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おろかものとおろかもの 14

佐藤は難民キャンプの病院に搬送されてから、3日余りで散歩が出来るほどに回復した。
頭痛は発作的にやってくることがある。しかし、日常生活に困る、というほどのものではない。
しばらく過ごすうちに、この難民キャンプ及び、周囲の状況が把握できるようになった。
キャンプは横須賀の軍港基地の隣に建設されている。潮風がそのまま通り抜けていく空間に、約20万人の「難民」が一旦「収容」されている。
東京ドームで例えると約4個分。キャンプ内には佐藤が世話になった病院、大手コンビニエンスストア、軍の駐屯地、難民認定事務所、NGO事務局などが設置されている。
病院にはマギーを入れて、約20名の医師とその他の医療スタッフが常駐している。マギーは専門外のことも診るらしく、どうやら私の主治医として動いてくれている。季節は本格的に春へと移り変わりつつあり、その時に風邪を悪化させて肺炎を患ってしまう高齢者が多い、という。
佐藤はまるごと盗まれなかった財布から身分証明が出来、難民認定を受けることが出来た。難民キャンプにいる間は大抵の設備の使用が可能になる。


都市空爆で発生した一番の問題は、人口移転であった。これは合衆国軍が予測していた以上だった。
ミサイル発射後から第一軍を即座に侵入させた北朝鮮軍は、各個隊を分散させながら東日本の主要都市圏に分散した。ゲリラ戦を行うつもりであった。


合衆国軍はそんなゲリラ兵に対し、無差別都市空爆で応戦した。
インフラが麻痺した状態での容赦ない空爆は、ゲリラはおろか、一般市民も文字通り灰燼に帰した。
一極集中型都市圏の構造が多い日本においては、交通網が麻痺した場合に、東京を中心とした大都市から逃れられず、周辺都市も爆撃で瓦礫となり帰る家もなくなり、人々は行き場を失った。
その結果、合衆国軍が駐屯していることで安全な横須賀などを中心として人口が一気に過密する事態となった。
横須賀は飽和状態となり、人々の不安・不満が鬱積し、治安が悪化した。


佐藤が襲われたのも、急激に犯罪が横行した地区だった。わずかに残った飲食店・商業地では強盗・傷害・レイプが横行した。
頭を悩ませた合衆国軍と国連は、一時的に難民キャンプを設立し、安全の確保と人口の移動を計画した。
人口の移動というが、一体どこに移動せよというのか。
佐藤たち「難民」は、国際法上認められている亡命は出来ないらしい。過去を通して、亡命や難民を潔癖なほど拒絶したしっぺ返しなのだろうか。詳しくは分からない。

とりあえず、横須賀から、復旧事業が産まれつつある沿岸都市に「移送」される手順だそうだ。
近畿圏にはもう戻れない。放射能汚染を唯一免れた神戸は、土着の暴力団と人民解放軍の癒着による暴政、という名の一定の秩序が形成されつつあるという。これは難民キャンプ内で流れていた情報だ。

大阪や京都にいた人々は、海岸線伝いに神戸に流入しているという。

妻と子供が逃れられたとすればそこだ。

神戸。こうべ。コウベ。KOBE。
佐藤は絶望の中のまた新たな絶望をうらみつつ、僅かな希望のセンテンスを何度もつぶやいた。

現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。