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おろかものとおろかもの 17

晩夏の新潟は一気に涼しくなる。午前中の暑さとは裏腹に。

海斗と圭吾は、まだ夜も暗いうちから親戚と夏野菜の収穫を行い、軽トラックに出荷出来る野菜を詰め、日の出とともに街へと出発する。
燃料を節約するために、車内の冷房は付けない。窓を開けっぱなしにして走る新潟の風はとても気持ちよかった。
しかし、市内に着くころには日差しは容赦なく照り付け、海斗達の体力を奪う。野菜が熱さでやられてしまわないように、手早く、軍施設内にある食堂や、復興し始めた長岡の繁華街にある料理屋に配送する。スーパーなど、日用品類を取り扱う店、コンビニなどはまだ閉店中だ。
野菜といえども、一つのコンテナにぎっしりと詰められていればとても重い。汗びっしょりになる。二人がかりで、半日かけて配送を完了し、夕方前には帰路に着く。
世界の基軸通貨とも言っても差し支えなかった円は、当然のことながら暴落し、海斗達はもっぱらドルでやり取りをした。
それでも外貨としての流通量はまだまだ少なく、野菜を売る時は円で買い叩かれるか、物々交換を行った。素晴らしきかな、原始共産主義社会。北朝鮮の主張は正しかった、と自嘲気味に圭吾は呟いた。

海斗は一日一日を必死で働いた。生き続けた、と表現してもいい。
海斗達子供と圭吾夫妻、遠縁の者たちはこんな時でも、いやこんなときだからこそお互いの意見を尊重して、食べ物や住居を分け与え、労働を差し出した。
遠縁の親類は高齢の夫婦二人暮らしで、自分たちで田畑を営む、ましてや行商に出て稼いでくる、ということを行っていくには体力も気力もなかった。
困ったときはお互い様、という精神も勿論機能しているが、この共同生活には利害の一致、という側面も当たり前のように存在した。
海斗達が寝静まったあと、叔父夫妻と老夫婦が今後のことについて話合っている声が聞こえてきた。いつまでもこのままで、というわけにもいかない。お前たちだけを受け入れるだけならなんとかなるが、これからどうしていく?という言い合いがかすかに耳に入ってきた。

惠と流は近隣の小学校で勉強をすることが出来た。
海斗達が思っている以上に、山奥の田舎まで「疎開」してきた人々は多く、子供の養育の為、働きに出る大人に替わって面倒を見る為、という必要性から、廃校した小学校に子供たちは集められた。教師は在住の人間、逃れてきた教員が無償で責を務めた。

長岡は復興の段階を進みつつある。戻るにはちょうどいいタイミングだ。そんな声も田舎から聞こえてきた。裏を返せば、もういいだろう、自分たちの住処に戻れ、ということである。
復興途中とは言え、長岡はまだ瓦礫に埋もれた地区が多い。叔父の自宅があった区画も、すでに焼け野原で自然発生的にバラックや掘立小屋が出来ていた。

戻ったところで、生活の糧はない。そもそも海斗達は叔父に預かってもらっている形である。父母の消息ははっきりするまで出来ればこのままがいい。海斗はそう考えていた。

それに、市内には『徴用・徴収』がある。という噂もある。
惠と流がいる以上、自分が『徴用』されるわけにはいかない。しかし―。

だから、海斗は一日一日を必死で働いた。働いていれば、頭の中の不安を一瞬でも忘れることが出来るからだ。

桜子と椿子と海斗が出会ったのはそんな時だった。不思議な姉妹との運命的な出会い。

時計の歯車が、何かに向かって大きく動き出した。

現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。