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おろかものとおろかもの 23

実際のところ佐藤はここまで難民キャンプに留め置かれることに、何かえも言われぬ不信感を抱いていた。

年齢的にも体力的にも、一般的な成年男性というだけで佐藤には需要があるはずである。
ところが横須賀からいわきに移送されて3か月、相変わらず佐藤は簡易な軍用テントの下におかれている。
キャンプ周辺ではすでに、工事用の重機や建設現場の人員たちが、何かよくわからないビルや施設の建設を始めているというのに。

そんな佐藤の焦れったさを知ってか知らずか、週に一度は定期的な検診があった際にマギーとは良く世間話をした。その時だけ、佐藤は少し楽になれた気がした。

暴漢に襲われた際の傷はもうほとんど消えているが、実は定期的に後頭部に鈍い痛みと、もう一つの謎の意識不明瞭を感じていた。
佐藤はそれほど気にしてはいなかったが、いわきに移送されてきてマギーと早い段階で再会した時に、その痛みのことを漏らした際に、マギーから定期的に検診をしましょう、ということを言われた。

佐藤にしてみれば、痛みはそんなにつらいもではなかったし、何より周りの状況を考えると、自分のそんな痛みのことを気にしている場合ではないように感じた。

それ以外にも、実は佐藤には引っかかることがあった。いわき市に来るようになって以来、毎週一度、必ず記憶が抜け出す時間があった。
意識障害のようなものだろうか。不定期だがいつも夜にそれは起こった。
イメージとしては難民キャンプ内での手伝いが終わり、自分があてがわれたテントに戻った時に、気が付いたら朝になっていた、というときが何度もあったのだ。
それに関しても、佐藤は余り気にしないでいた。慣れない生活での疲れが出ているせいなのだろう、くらいにしか思っていなかった。
いや、自分の身体のことに関心が薄れていた、と言った方が近い。

佐藤が一人でどう考えていようと、マギーとの面談・診療は週に一度必ず行われた。
そして佐藤は、その際にマギーと話が出来ること自体には、悪い気がしていなかったし、むしろ心の平穏と気持ちの上昇を感じていた。

佐藤も妻子があるとはいえ、怪我をしていたとはいえ、健康的で働き盛りの男性である。少し年下で、しかも理知的で美しい女性と話せることに喜びを感じないわけはない。

佐藤が英語を解するのも大きかった。話すことには慣れていないが、そういう時は診療室にあるホワイトボードを使って意思疎通を図った(海外の医学論文・ジャーナルを読むことには職業柄慣れていたので、読み書きは十分に出来た)。
コミュニケーションは円滑に進んだ。時折冗談やプライベートな話も出来るようになった。

宙ぶらりんの状態に置かれていた、と感じていた佐藤にとって、マギーとのおしゃべりが生活の中の唯一の楽しみになっていた。

現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。