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おろかものとおろかもの 10

叔父の圭吾は無事だった。叔母、つまり圭吾の妻の早苗も3人を心良く迎えてくれた。
長岡は放射能の影響化に入ることもなく、国土の中では一時的にだが、戦乱を免れていた。
しかし、海斗、惠、流が到着して3日後、沿岸から大量の武装難民が押し寄せてきた。
漁船、武装船、人民解放軍の偽装によるゲリラ兵たちが、都市圏の混乱の隙を付いて一気に侵攻を始めたのだ。
在日米軍は太平洋側を中心に展開しており、関東の首都圏・九州・沖縄奪還の為に兵力を集中していたため、日本海沿岸の防衛には日本の海上保安庁が中心となって活動したが、圧倒的な物量差に屈し、武装した北朝鮮系のゲリラ兵たちは次々に新潟県の沿岸に上陸、各都市を占拠していった。
カラシニコフ銃やRPG-1による襲撃、強奪、壮年男子の殺害、婦女の強姦。
長岡市もあっという間に占拠された。

合衆国が選んだ方法は、至極合理的で、彼らの得意な方法で、且つ非人道的な方法だ。
占領都市への無差別空爆である。
制空権は合衆国・国連軍が握っていた。武装難民の暴挙は一時的には終息したが、それは見えなくなっただけであった。
殺す側、殺される側も、より大きな殺す側に一掃されただけなのだから。

国連の非難を完全に無視して、空爆は合衆国の手により粛々と行われた。

長岡市も例外ではなかった。叔父夫婦と海斗達は、山奥の親戚のところに避難した。

開志3年、つまり2021年4月6日、日本の国家機能不全により、国連安保理主導による信託統治が提唱されることとなった。
首都圏・原発へのミサイル爆撃が一旦終わり、大陸系・半島系武装勢力が日本を蹂躙し、それに対して合衆国が、日本国民がそこにいないかのように爆撃を行い、僅か1週間足らずで国内は荒廃した。
その状況を受けての、国際社会の措置である。
荒唐無稽なことに聞こえるだろう。だが、思い出して欲しい。76年前もそうだったのだ。
大きな違いはある。76年前は、(議論の余地はあるとしても)日本が自分で決めたこと、今回の日本侵攻は、日本が全く想定していなかった、他からもらたらせた厄災であること。

中国はすでに沖縄を手中にしていた。九州、中国地方の一部は人民解放軍による占領が完成してしまい、軍政が布かれた。
関西圏は琵琶湖の放射能汚染により、首都圏以上の人口流出が続いていた。汚染区域外には、中華系・朝鮮系・自衛隊の一部の反乱軍が勢力を拮抗させた。

東海より東は、合衆国の占領区域として信託統治が始まろうとしていた。
しかし、経済・政治の中心であった東京は壊滅状態、辛うじて横須賀海軍基地を軍事的起点にして、横浜が関東の中心となろうとしていた。

海斗・惠・流が逃れた新潟、北陸は、半島系の武装兵と、自衛隊の独立勢力が激しく衝突する紛争地帯と化しつつあった。

海斗は、ただ、黙って見ているしかできなかった。自分の妹・弟が殺されたりしないようにするだけで必死だった。
両親からの連絡は相変わらずない。そのことが絶望に拍車をかけた。

現代版 打海文三『応化クロニクル』を書こうとふと思いたち、書きだしました。支援・応援は私の励みとなります。気が向いたら、気の迷いに、よろしくお願いします。