5本目:『パーティーで女の子に話しかけるには』

予告編を観て面白そうだったので、近所の映画館で『パーティーで女の子に話しかけるには』を滑り込み鑑賞。『ヘドヴィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェルの最新作。

あまり前情報は入れていなかったけど、ボーイ・ミーツ・ガールもの、UKロックが好きな悶々とした少年が主人公、惚れた女の子が実は宇宙人だった、という予告編から得た断片的な情報から、これは俺好みの映画だろうと判断して映画館で見ようと決めた。

結果、さっぱりダメでした。ここまでうーんとなったのも、久しぶり。いい感じのシーンはたくさんあるのだけど、なぜだか一切物語に入り込めない。誰にも共感できない。。と思っている間に終了。残念。

なんで心に響かなかったのかなあ、と考えた結果、「共感」や「感動」という感情は、当たり前だけど、前提に「理解」があって、初めて起こるものだからかと思った。分からないものには、感情はyesもnoも言えない。

作品における鑑賞者の「理解」とは、登場人物の感情のプロセスや行動の原理を正しく理解できているということだと思うので、要するに、途中経過が全然描けていなかったんだなあと思った。だから、感動したいはずのシーンで感動できなかった。

作品の話だけじゃなくて、例えばビジネスの世界でも、会議で出たアイデアの素晴らしさより、皆で意見を合わせて意見をまとめるプロセスの方が価値があることが往々ににしてある。だから、しっかりプロセスを大切にしていこうと思った。たまにはこういう反面教師的なのも悪くないかも。

Twitter(@konishi36)もやっています。

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