長い自己紹介その1

いまさらながら自己紹介

ありがたいことに直近いくつか取材を受ける機会がありました。経歴や創業の経緯、創業から今に至るまでというのを聞かれます。聞かれる中で、自分の中でまとめて言語化していなかったなというのに気づきました。毎回「え~っとなんだっけ」となります。今回は、今後の取材等に備えて、そのあたりを記録しておきたいと思います。

※長くなったのでいくつかの記事に分けて書きます。

出生から代ゼミまで

1984年生まれです。金正恩やカズレーザーと同じ生まれ年です。生まれは母の実家、京都府長岡京市です。長男で、妹が二人います。当時は父が関西でサラリーマンをしていました。その後、父が実家の会社を継ぐために、3歳のときに父の実家熊本県水俣市に引っ越し、中学卒業まで水俣で過ごします。自分は全く覚えていないのですが、引っ越してすぐは関西弁だったと幼稚園の同級生に言われました。

好きな科目は社会と理科。苦手な科目は、体育、音楽、習字。不器用な男です。センスのいるものが苦手でした(今も苦手です)。今でこそ税理士法人の代表をしておりますが、学級委員をやったりキャプテンをやるタイプではありませんでした(強いて言えば、あだ名が「社長」な時期はありましたが、太っていて貫禄があっただけな気がします)。マンガ日本の歴史や社会の資料集を読むことや録画したプロレスを見るのが好きでした。小学生のときには剣道をやっていたのですが、センスがなさすぎて全然勝った記憶がありません笑。本当に向いてなかったんだと思います。

中学時代には「熊本市内の高校に受かったら水俣を出て下宿できる」という人参に釣られて、高校受験はかなり頑張りました。ド田舎中学だとあるあるなのですが、勉強すること/できることが(先生を含め)全くリスペクトされる環境ではないので結構大変でした。中学の同級生の多くは定員割れしている地元の学校に進学するため、いわゆる受験勉強をちゃんとしてたのは全体の10%未満だったのではないかと思います。環境って大事だなと思います。

努力の甲斐があり、学区外の熊本高校に合格しました。当時は九州新幹線もなく、通学することができないため、熊本市内で下宿生活をしました。ただ、下宿するという目標が達成されてしまったため、高校3年間はそれはもう楽しく暮らしました(高校生男子が親元を離れたらしょうがないですよね。両親には申し訳なく思っています。)。入ったときにはそれなりに成績も良かったのではないかと思うのですが、出るときにはかなりお尻の方で卒業させてもらいました。美術の出席日数が足りなくて怒られたり、点数が足りなくて高3のセンター試験前に追試を受けさせられてヒヤヒヤしたりしました笑。

高校卒業後は今はなき代々木ゼミナール熊本校に入学しました。下宿の同期や先輩も数多く浪人していたのである意味既定路線です。日々是決戦の精神を学びました。19歳浪人生(≒無職)という立場は、非常に宙ぶらりんな感じで、いい経験になったと思っています。属してる組織や立場みたいなのがないとこんなに邪険に扱われるのかと思ったものです。人間一度は無職を経験したほうが人生にはいいなと思います。代ゼミの授業もいわゆるカリスマ講師の授業で、世の中にはこんなに上手に話す人がいるんだなと感心しました。

大学入学から会計士試験、就職まで

代ゼミ卒業後は、2004年に慶應義塾大学経済学部に入学(第一志望の国立は落ちました。)します。SFCと迷ったのですが、あんまり田舎はやだなというだけで経済学部にしました。東京(正確には横浜)生活がスタートします。高校3年間と代ゼミでそこそこ遊んでしまったので、大学生活は真面目に送ろうと思い、大学では比較的真面目に勉強していました。元々経済にはとても興味があったので大学の授業はとても面白かったです。第一線で活躍する教授陣が多く大変刺激になりました。

高校3年間のダメっぷりのお陰で、大学生活をまともに送れたので、トータルではよかったのではないかと勝手に自己解釈しています笑。サークルはバドミントン。バイトは夜間の救急病院の受付。ゼミは植田浩史ゼミの一期生でした(一期生、二期生は男ばっかりのむさ苦しいゼミだったのですが、今はリア充な感じのゼミになっててびっくりしました。)

リーマンショック前で金融業界が華やかな時期だったのもあり、当初は金融方面に行きたいなと漠然と考えていました。ファイナンスを理解するためには、簿記も必要になるのでとりあえず簿記の勉強でもしてみるか、というのが会計に触れる最初のきっかけでした。やってみると、経済の仕組みの一端が見えるようで非常に面白く感じ、もう少し勉強してみたいなと感じました。

ちょうど大学1年生の終わりに祖父から成人祝い(一浪しているので1年生で成人します)でお金をもらいました。何に使おうかな?と悩んだのですが、モンゴルに行く、株につっこむ、会計士試験の予備校代にするという選択肢の中で悩み、結局、資格の大原で会計士試験の勉強を始めることにしました。

会計士試験はとにかく量が多くて(教材を積み上げたら身長より高かった覚えがあります)それをこなすのが大変だったのですが、勉強自体は楽しく、大学4年のときに合格しました。2回受験しました。会計だけでなく、会社法、税法、経営学とバランス良く学ぶことができ、振り返っても会計士試験の勉強は非常に今も役立っており、いい投資だったなと思っています。

勉強始めた当初は監査法人に行かなくてもいいかなと思っていたのですが、勉強しているうちに監査をしてみたくなったので、合格後は監査法人への就職活動をしました。まだ金融業界に興味があったのと、これからの時代国際化だろうという理由で、国際金融部のあるトーマツとあらたの2つに絞りました(当時はこの2つだけでした)。両社から内定をもらったのですが、トーマツの内定者飲み会でトーマツの若手の人から「おれだったらあらたに行くね」と謎の断言をされ、中の人が言うなら間違いないと思い、あらた監査法人に入社しました。

その2に続く


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