旅行記③


多摩川橋梁を越えて川崎駅に滑り込む。
東京や新橋ほどではないが、それでも多くの乗車がある。僕の陣取ったボックスにも1人、2人と座ってきた。

川崎を出て鶴見で品川以来、横須賀線と再会。また府中から地下トンネルを潜って武蔵野線と合流、横浜羽沢駅方面へ東海道貨物線が分岐……とせわしなく分岐、合流が続く。

横浜に着き、降りていった2人と入れ替わりにまた1人着席。

横浜を過ぎて保土ヶ谷、戸塚と過ぎる。戸塚はかつて旧東海道の最初の難所、権太坂があった。当時は険しい坂も歩いて越えるしかなかったが、東海道本線はトンネルでもってあっさり通り過ぎてしまう。

また戸塚には開かずの踏切として知られた東海道踏切があった。どれほどの物だったかといえば、朝夕ラッシュ時は車両通行止めとなる、かの吉田茂元首相がこの渋滞に腹を立て横浜新道戸塚支線の建設を命じた、箱根駅伝のランナーが足止めを食うことがあった…と聞いているだけで光景がありありと浮かんでくるのはなぜだろうか。

そんなこともあり、2015年にこの踏切は廃止、歩行者通路が新たに作られた。

余談だが、この東海道踏切は国道1号線上にあった。そしてこの東海道踏切が廃止になった際、その国道1号はなんと分断されてしまったのだ。
横浜新道がある現在、戸塚の市街地を抜ける現道を通過する需要なぞたかが知れている……ということか。
このため国道1号は国道のトップナンバーでありながら分断区間が存在するということになってしまった。

電車は大船に滑り込む。ここで横須賀線とはお別れだ。大船観音を眺めながら藤沢、辻堂と進む。

相模川を渡って平塚に到着。ちょうど回送のE257系2000番台とすれ違った。特急あずさから踊り子へと転身したのが3年前、今ではすっかり馴染み深くなった。

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