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令和 6 年 6 月分 金剛寺住職短文法話集

令和 6 年 6 月分 金剛寺住職短文法話集

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某高校の講演会で、生徒さん達に「とある社長会(北九州、小倉ステーションホテルで50名程)において拙僧、こんな話(下記)をさせてもらいました」とご披露を。

「求人広告に経験者優遇の記載が。あれはどうかと思います。経験者が仕事が出来るとは限らないし、一生懸命仕事をするとも限りません。経験者優遇など記さなくとも、大半は経験者が面接に来られるでしょ。その中、未経験者が面接に来るという事は『やる気がある』という証拠にて。やる気のある未経験者なら、やる気のない経験者など、あっという間に追い抜いていきまっせ。昨今、育てるという一手間を面倒臭がる会社があると耳にします。社長さんでも、部長さんでも、初めの内は、誰しもがど素人にて、磨けばどんな宝になるやら。確かめもせずに書類審査だけで除くは、会社にとって大きな力になるやもしれん逸材を、逃す事になるかもしれませんよ。以前、新人教育で困った社長さんから、拙僧に相談が。教えた事を覚えない新人さんを頭ごなしに中堅社員さんが叱りつける為、新人さんが怖がってすぐに会社を辞めていくと。中堅社員さん達も自分の仕事に支障が出る為、新人教育に時間を割かれる事にイラついて、つい荒い言葉を彼らに。対し拙僧、その社長さんに『退職された社員さん達をアルバイトで雇ってみたらどうですかね。時間に追われていない退職者が、丁寧に優しく指導していくから、新人さん達も育つだろうし、退職者さん達もお小遣いがもらえて助かるだろうし、一石二鳥となりはしませんかね』と。これを実行してその会社は、人材確保が成功したようです」と、この様(上記)な話を、社長さん達に話をしたんだよね、と生徒さん達に。

続けて、生徒さん達に「昨今は、努力論、根性論などを嫌う傾向があるが、人並みの努力では、やはり、人並みにしか成長してないよ。諺の『石の上にも三年』は普通の事にて。人よりも抜きに出ようと思えば『石の上にも五年』かな。この言葉は、萩本欽一さんが言われた言葉だけどね。戦国時代では、負け戦(いくさ)の最後尾での処理係『殿(しんがり』が最も重要な仕事。殿様を無事に逃がす為に、戦場に踏み止まり、追手の猛攻を食い止める役目。この殿(しんがり)の話で最も有名なのが、1570年の金ヶ崎の戦いで、浅井、朝倉軍から信長公を逃す為に、死を覚悟の危険な仕事をやり遂げた、秀吉公の功績(金ヶ崎退き口、この時は徳川家康公もその場に)は大変有名。いつの世も、人が嫌がる仕事をやってこそ、上のステージに上がれるもんだよ。以前、ある若者達と話す機会があって、その若者達(社会人)に『昨今は、怒られるは嫌、とか、パワハラ、モラハラ、とか、何でも、ハラ、を付けまくって自己防衛する傾向になってるが、君らはどうなんだい』と尋ねると『僕らは、怒られた方がいいかな。怒られないと、理解しないまま時間が過ぎてしまって、結局、力にならないもんね。怒られたくない、という人達はその仕事に対し、真剣に取り組んでないんじゃないですか』と言ってたよ」と。

この学校講演の最後に質疑応答の時間があり、男子生徒の1人が「昨今、二宮金次郎像が、薪を背負ったまま、または、薪を横に置いた状態で、座って本を読んでいる姿があちこちに。歩きスマホを注意された人達が『じゃ、二宮金次郎像は、どうなんだ』と文句が出たからだと。が、これが本末転倒した考えである事は、スマホに依存している僕らにもわかります。ところで住職さん。薪を背負って本を読んだだけで、こんなに有名になるはずがないですよね。二宮金次郎さんっていったい、何をやった人なんですか」と。対し、拙僧「それこそ『スマホで、ググれ』と言いたいところだが、実は、二宮金次郎さんだが、この人は1878年に小田原で生まれた人でね。裕福な家に生まれたんだが、川の氾濫で田畑を失い、金次郎さんが14歳を超えた頃、2年の間に父親、母親を2人共を失った事で(絶命)、叔父の家に預けられる事に。薪拾いの仕事中に本を読んだは、夜に灯りをつけて勉強していると『油代が勿体無い。百姓に学問などはいらん』と怒られたが理由だと。その後、叔父さんの家を出て勤勉、倹約に勤め、金次郎さんが24歳の時、二宮家を再興。それを聞き知った小田原藩が、武士の位を授け、名を『尊徳』に改め、藩の財政建て直しの役目を金次郎さんに。その功績が認められ、幕府に召し抱えられる事に。その後、70歳で他界するまで、生涯を通し615の村々の財政立て直しを。詳細を知りたければ、それこそ、ググってごらん。二宮金次郎の銅像は、勤勉の象徴を表したもの。それを知っていたら、スマホ歩きと一緒には、出来ないんだけどね。文句言いというは、常に知識なき人の専売特許だよ」と生徒さん達に。講演会の最後、生徒さん達に「拙僧の法話の読者で某母親が『住職さん。私の息子ですが、超有名大学を中退して、俺の夢は、と共感出来る(心地よい)本ばかり読んで、理想ばかりを吐くので、住職さんの言葉を借りて、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとるんじゃ。建設的意見を持たん文句、講釈は、ただの雑音でしかないわい。経験なき知識者は、ただの物知りさんじゃ。本の中だけで、生きてんじゃねえよ、と息子に』と、その母親が。まあ、そういう話も、拙僧の耳に入ってきたので、君達の参考になれば」と生徒さん達に。

生涯を通すといえば、この話は余談になりますが、かれこれ30年以上、お世話になっている鍼灸師(その道60年)の女性がいて、今年の3月2日で92歳に。今尚、バリバリの現役にて。凄い腕で、いつもマッサージだけで熟睡(あまりの気持ち良さに)させられています。嘗ては、常連の患者さんの中には、お医者さん、政治家、芸能人(俳優、歌手など)、極道さん、スポーツ選手など、様々。長嶋茂雄さん、王貞治さんに限っては、婚約発表前に結婚の話を聞いていたそうで。そういえば、昨年、その鍼灸師老女さんが「英照(拙僧)さん、この前、役者と名乗るモジャモジャ頭の四角い顔が、治療に来らっしゃってね、『僕の事を知ってますか』と聞くんで『知らん』と返すと『結構CM にも出ていて、有名なんですが』と落ち込んでたんだよね」と。「んっ、モジャ、四角顔」とタブレットで調べて「もしかしたら、この人ね」と見せると「そうそう、この人、この人」と。「この人は、吉田鋼太郎さんと言って、非常に有名な俳優さんだよ」「だって、知らんもん」と。栗原小巻さんが治療に来られた直後だったので、紹介してもらったのかな、北九州劇場の仕事で来られた時に。

さて、先日ですが、拙僧、治療に伺った折りに、その鍼灸師老女が「英照(拙僧)さん、私ね、今日で92歳になったのよ。もしかしたら、死ぬ時期を通り過ぎちゃったのかもしれないね」と。「通り過ぎたんなら、迎えに来るはずの死神さんは、もう忘れとるかもしれないよ。恐らく、彼(死神さん)も忙しいだろうからね。この際だから、死神さんに忘れたままにさせときゃいい。そしたら拙僧も含め、常連の患者さん達も、治療してもらえて、助かるし」「そうやね、もうしばらく、知らん顔しとくか」「そうしなされ」と。

【おまけ】
人間には生涯のうち、何度か、チャンスというものがやって来る様に思える。その時に自分が『0(無努力,力量)』なら、何度チャンスがやって来ても、得られるものは何もない。0×1度=0、0×2度=0、0×3度=0、が示すように。チャンスが来た時に、自分が『1』の努力、力量を持っていたなら、1×1度=1の実り。その時に自分が『2』の努力、力量なら、2×1度=2の実り。その時に自分が『7』の努力、力量なら、7×1度=7の実りとなる。結局、人間は、努力をしただけ、力量があるだけの実り、しか得られない。これは、紳助さんの「人生は掛け算だ。どんなにチャンスがあっても、君が『0』なら、意味がないんや」を参考にしたもの。島田紳助さんの言葉は、実に、法話の参考になる。その紳助さんが「歳をとった人間は、若さが買えるなら、1億円だって払う。だから、若いという事は、ポケットに1億円持っているのと同じだよ」とそんな表現を。何で1億円なの、って細かい事は、言いっこなし。同じ事例で、大海原を漂浪中に「カップラーメン、今なら1億円で買うぞ」と男性が。物の価値は、時と場所、状況によって変わるもの。


令和 6 年 6 月分  金剛寺住職 臨時法話

読者の若者が「住職さん、ある番組で『富士山は、山梨のもの、静岡のもの、論争』があったんだよ。。明治から昭和に掛けて、法廷論争まで起こったんだって。『富士山は、静岡のもの』と判決が出ると、山梨でデモ活動にまで発展を。この争いは江戸時代から続いていて、400年経った今でも、燻り続けているんだと。静岡側の主張は『宝永山(1707年、宝永4年に大噴火によって誕生した富士山最大の側火山。静岡県側から富士山を見て右側の中腹)まで見えるのが、本当の富士の姿で、登録遺産にもなってる。葛飾北斎の富嶽三十六景の富士山は、静岡側から見たものしかない』と。対し、山梨側の主張は『千円札の裏に印刷されている富士山は、山梨側の本栖湖から撮った富士山だ。お札にまでなっとる』と。山梨、静岡、お互いの県をライバル視している県民の割合は、お互いに40%超えなんだって。これって、県を州に変えたら、1発で解決しそうだけどね。考えたら、国内の国民の間でも、これだもんな。国家間の竹島、尖閣が揉めるは、仕方のない事なのかな。北九州在住の住職には、どうでもいい事でしょうが、それでも、どう思いますか、この富士山問題(論争)を」と。

対し、拙僧「嘗て、戦国時代の三国同盟調印の時、今川義元公が『駿河(静岡)から見た表富士は格別のもの。甲斐(山梨)から見る裏富士はどうですか』の問い掛けに対し、武田信玄公が『甲斐の国では、誰1人として、裏富士などと思っている者はおりません。裾を隠して見上げるが、霊剣あらたかな富士。尻丸出しの富士では』と返したとか。それを横で聞いていた江戸(東京)の北条氏康公は、どうでもいいや、と笑っておられたとか、おられなかったとか。また、他にも県同士の争いでは、京都、滋賀の『琵琶湖の水論争』も有名だよね。滋賀県側からは『琵琶湖の水を京都に流してやらんぞ』が定番の言葉。逆に、京都側からは島田紳助さんが『放水させてやらんぞ。湖の底に沈んでしまえ』と番組で滋賀県出身の芸人さん達に」と。

続けて、拙僧「映画やテレビドラマにおいては、時折『会津(福島)、薩摩(鹿児島)論争』も、根強く脚本に組みされてますよね。任侠映画でヤクザに腹を切られた早稲田学生役の柳葉敏郎さんの手術途中で、医師役の田中邦衛さんが『おめえ、薩摩か。戊辰戦争の恨み、思いしれ』と荒い手術を。映画『釣りバカ日誌』でも、吉岡秀隆さん演じる医師(会津)の親が、宮沢りえさん演じる薬剤師(長州)に対し『外国人でも何でも構わんが、但し、長州(山口)の女性を嫁にする事だけは許さん』と。映画の脚本とはいえ、本当に根深いのか、それとも、単なるパロディにしているのか。が、どれも、これも、県を州にしたら、県境の問題はなくなっていくのかもね。まあ、でも、そう単純な話ではないか。積年の何たらがあるからね。仮に、州になったとしても、今度は州境で新たな論争が勃発しそうだけどね。でも、地元に熱い思いを持つという事は、悪い事ではないんだけどね」と。

対し、この読者の若者が「やっぱ、国でも県でも家でも、親子でも夫婦でも兄弟でも姉妹でも、お隣さん同士は利益の損得が目の前にあるから、切実な問題になるのかもしれませんね」と。「以前ね、大分県の中津というところに『相談があるから』と呼ばれた事があって。その時、偶々、爺様同士が鎌を振り上げ、大声で喧嘩してる場面に遭遇したんだよ。すると、その場面を見るを慣れてるかの様に『拙僧に相談がある』と呼んだ爺様が『隣同士で、いつもああなんだ。気にせんでよかよ。殺し合いまではせんから。今日は、地べたに置いた鎌の刃が、境界線から10センチほど出ていたとかで、大喧嘩だよ」と。続けて、爺様が「住職よ、田舎というは面白く、けったいな所でな。この見渡す限りの田畑、山あり川ありの中に、人間の都合で決めた県境の線が。隣同士で片方は福岡県、片方は大分県というところも。コロナ流行の時期、福岡県でコロナが蔓延した時『福岡の人間は、大分に入って来るな』と隣村同士で口喧嘩だわ。全くもって、笑い話以外に何もないわ。これがまた、実話ときたもんだ」と。「その手の話なら、北九州でもありましたよ。拙僧の住む八幡東区と戸畑区は、隣同士なんですが、戸畑でコロナが出た時『八幡東区じゃなくてよかった』と、どれほどの人(わが寺の檀家さんも含め)が、そう言って喜んだ事か。両方の区を合わせても、狭い地域なんですけどね。ほんと、人間が勝手に決めた区の境界線を挟んで『コロナが出た、出らん』で一喜一憂。滑稽でしかなかった。と。
最後に、この檀家の若者に「相談が終わっての帰り際に、この中津の爺様が『そこに置いてある野菜を持って帰りないや』と、そう言われるので『有難うございます』と手に取ろうとすると『違う、違う、そっちのじゃない。その右側にあるのじゃ。虫も食わん様な野菜(農薬育成)を食べるな。住職が手に取ろうとした野菜は、町のスーパーに出すもんじゃ。そうじゃないのに、店頭に並んだら、無農薬、という札が置かれて売られとったわ。町の人間は、綺麗なもんしか手を出さん。どこかの病院で《農薬は、農毒薬の略語なり。虫は即座に、人はジワ〜と殺される》という標語を見たが、少し虫が食っとろうが、少し形が歪(いびつ)だろうが、なんぼのもんじゃ。料理してしまえば、何ちゃわからん』と、この爺様が」と。頷きながら聞いていたこの檀家若者が「住職、今日のこの一連のお話(爺様との会話)ですが、非常に面白かった。何かしら、今後の参考になりそうです。人間のこだわりって、厄介なもんですね」と。「ほんと、厄介だよな。この世の中は、人間関係も含め、割り切れん物ばかり。その割り切れん物を、無理矢理割り切って、わが心と折り合いをつける事が出来る人が、様々な問題を事前に回避出来る人、なのかもしれないよね」と。

【 こだわり、の話】

超神経質の檀家が「住職、先日、バラエティーで『捨てられない人間』をテーマで、番組があっておりました。それに当てはまる芸能人が集合を。風呂の水を3日かけて使い切るとか。が、風呂は1人入れば、数多の菌が湯の中に。1日放置すれば、排水溝より汚いと、専門家が。やっぱ、神経質と言われ様と『清潔は大事』と思った、初めの内は」と。「初めは、とは、どういう意味ですか」と問うと「ペットボトルも、口を付けて飲んだ直後の菌は1000個程と。24時間後には、菌が1000万個に。48時間後には3億個以上の細菌が確認されたと。初めは『オエッ』と思ったが、考えたら『そんな事、今更言われたって、残ってたら次の日も、飲んできたがな』と。そんな芸能人の話を聞いている内に『えっ、待てよ。そんな不潔な事をやり続けているのに、体は大丈夫(異変なし)なんだ。つまり、菌としっかり共存出来る体になってるんだ』と。そう考えると『そこまで神経質になる必要があるのかな』と少し、自分自身の潔癖に疑問を抱くようになった。不潔過ぎるのもいかんが、極度に清潔過ぎるのも。考えさせられた番組でした」と。

対し拙僧、この神経質君に「君以外にも檀家や知人に極度の潔癖が何人もいるが、潔癖って、エスカレートしていくばかりなんだよな。今現在の君の潔癖は、今現在の君が持っている知識からなる潔癖症状だろ。これから先、他の知識(清潔情報)が次々入って来る度に、潔癖症状はどんどんとエスカレートしていくだけ。これってね、知人医師がある意味、病的だと言ってたよ。が、君は、潔癖に疑問を抱いただけ、大丈夫かもよ」と。「自分自身を振り返ってみると、至れり尽くせりの国(何でも抗菌。してもらって当たり前)に住んでいるが為に、起こっている症状(潔癖症も)なのかもしれませんね」「拙僧妻の妹は英国人と結婚し、ロンドンに25年以上在住を。その妹の子供達が定期的に日本に。今年も1人(21歳)来ていたが、数年前、初めて日本に来た時、便座が温いのと、ウォシュレットに『ロンドンは、一般家庭には殆どない』と相当驚いてたよ。こっちは『ロンドンには、ない』という事に驚いたが。何か、こういう至れり尽くせりの話をしていると『そりゃ、この国の民は、こうなる(平和ボケも含)よな』と思ってしまうは、拙僧だけだろうか。

【追伸】

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