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【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 大人は、子供だと思って、舐めてかかると、大恥をかく事となり兼ねん。子供の思考能力は、時に、大人を超えております。

今月(6月)に入って「私の事を覚えておられますか」と、若者から拙僧に電話が掛かってまいりました。会話の冒頭で即「ああ、あの時の子供さんか。はっきり覚えとるよ。よく、ここ(金剛寺)の電話番号がわかったな」と返すと「当時、講演を主催された団体の人に、尋ね聞きました」と。それは15年以上も前の事、ある団体に呼ばれ、600人以上の参加者の前で法話講演をさせて頂いた事がありまして、その講演での質疑応答の時間に、お婆ちゃんに連れられ、参加していた男の子が、大きい声で手を上げて「住職さん。キリストさんが復活するって、本当にそんな事があるんですか」と、拙僧に疑問をぶつけてきました。

対し、拙僧「こりゃ、たまげたな。君は、何歳 になるんだい」と問うと「8歳です」と。「キリストさんとは、何か深い関係でもあるんかい」と返すと「このお婆ちゃん(この子の横に座る50代半ば程の女性を指して)と、日曜日に教会へ行ってる」と。「そうか、そりゃ、感心だな。さて『キリストさんは、本当に復活するのか』の君の質問に対してだが、ところで、君の爺ちゃんは、ご健在かい」と尋ねると「今日はどこかへ仕事に行ったよ」「そうか。じゃ、爺ちゃん、婆ちゃんのその上の、爺ちゃん、婆ちゃんは」と尋ね返すと「大爺、大婆は、死んじゃった」「大爺、大婆の事は、覚えてるかい」「可愛がってもらったからね、当然、覚えてるよ」「覚えてるって事は、大爺、大婆は『今でも君の心の中で生きてる』って事だな」と返すと、この男の子が口を止め『ハッ』とした顔して、大きな声で「そうか、なるほど、そういう事なんだね」と、生き生きした表情を。「おっ、何か、気付いたんかい」と問うと「つまり、こうでしょ。僕がキリストさんの事を心の中で思ったら『いつでも、どこでも、復活してくれる』って事なんだよね」と。これには、再び驚いた。なんちゅう読解力や、と。この男の子の返しに、会場も少しザワザワと。

更に拙僧、この8歳の男の子に「それじゃ、君さ、1つ聞くが、君の心の中にキリストさんや、死んだ大爺、大婆が生き続けているとしたなら、君は日常生活において、どうしなくちゃならんと思うや」と問うと、速攻で「この人達が見てくれているから、心配を掛けない様にしなくちゃいけない、と思う。友達と仲良くして、一生懸命勉強して、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さんを大事にしなくちゃいけないと、そう思う」と。これには、再び三度、驚かされた。『育てた親の顔が見てみたい』という言葉がありますが、こんな子供を育てた親の顔がほんと、見てみたい、と思いましたね。『躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの』ですもんね。

因みにイースターとは、十字架に掛けられて、お亡くなりになられたキリストさんが、その3日目に復活した事を祝う(復活祭)行事の事。日程は各々の国で違いますが、日本では、春分の日の後の最初の満月の、次の日曜日という事。今年は、3月31日だったそうです。イースターといえば、卵が印象深いですが、新しい命が誕生する『卵』は、生命や復活の象徴である事からだと。また、卵と並んで印象深いは『うさぎ(イースターバニー)』ですよね。うさぎは、1度に沢山の子供を産み、1年に何度も妊娠と出産を繰り返す事から、子孫繁栄の象徴という意味合いからだそうです。

さて、この電話をしてきた若者とは、ある事を思い出しながらこの時、会話をしておりました。そのある事とは、東京オリンピックの前だったかな、コロナの関係で『トイレが最も密になりやすい場所。この対策が最も大事』なる話が方々で。この時期、東京在住檀家の息子(当時小学6年生)と話をする機会があって、その子に「トイレで密にならない様な名案が、何かあるかい」と軽い気持ちで問い掛けると、その息子が「手洗い場に鏡を置かなきゃいいじゃん」と。拙僧も一瞬でその答えに『大正解や』と心の中で。「君、凄いな」と返すと「父さんから1度『男がいつまで鏡の前に立って、わが顔を眺めてんだ』と怒られた事があるんだ。鏡がなければ、手を洗ったらすぐその場から離れるでしょ」と。この東京在住檀家の息子の話、及び、この8歳の男の子(電話してきた若者の幼少期 )の話、俄には信じ難いでしょうが、全て実話です。脚色なし。子供を侮(あなど)る事なかれ、ですばい。当に『真実は小説よりも奇なり』ですね。

この電話を掛けてきた若者は、当時の思い出話や、社長である父親の下で今、汗だくになって従業員さん達と働いている話を熱心に拙僧に。話が一区切りすると「それじゃ、住職さん。また、連絡させて頂きます」と若者が電話を切ろうとしたので「おいおい」とそれを止めて「何か、相談があったんじゃないのか」と尋ねると「はい、ありました。でも、住職さんと話をしている内に、自然と答えが見つかって、自然とその問題が解決しましたので」と。「ほう、そうなのか。何のこっちゃか、さっぱりわからんが、何にしても、そりゃ、よかったな。また、電話しておいでや」「はい、必ず、近いうちに」と、この若者が。

電話を切った後、この若者との会話の余韻の中で拙僧、本堂の仏さん達を見ながら「そろそろ、引退を考える時期かな」と、そんな心に。「暫く様子を見て、息子達に代を譲ろうかな」と。「代を譲った後は、お寺に再就職させてもらって、息子達の下で働かせてもらおうかな」と。雇ってもらえたら、の話ですが。還暦(暦が還って赤子戻るので、赤いちゃんちゃんこ)も数年過ぎた事だし。代を譲った後は拙僧、父(わが寺の先代)の下で何もわからず、懸命に働いていた40年程前の初心に返って、あの頃の様に1歩1歩こつこつと、お寺の雑用のお手伝いでもさせてもらおうかな。身体(からだ)が動かなくなるまで。

さて、代替わりの成功例といえば、やはり、徳川家康公かな。2代将軍秀忠公が「大名達はわしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公在所、静岡県)の方に向いておる。が、10年も『上様、上様』と呼ばれ続けたら、それなりの姿になるわい」と言われたとか、言われなかったとか。拙僧も今の息子達の年齢の頃(30代半ば)に、住職の代を父から譲られ、大いに失敗し、大いに恥かいて、徐々にそれなりの姿に。親が後ろに控えてくれていたので、拙僧が頼りなくても、関係者(檀家さんなど)は皆、落ち着いたものでしたね。『代替わりは、親が元気なうちに』が、やはり大事(理想)かな。

【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。近頃は、有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですね。

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。

【おまけ】

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