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【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん。が、教えてやらねば、尚、わからん。人の大半は、指示待ち人間にて。

拙僧父の時代から35年以上、安全祈願に伺っていた会社の会長(現社長の父上)さんが、1ヶ月程前に他界された。安全祈願とは、勿論『作業の安全』の事ですが、メインは『従業員一同の身体健全、無病息災、家庭円満』にて。会長さんが「従業員が健康で、家庭が円満であったら、事業繁栄など願わなくても、自ずとそうなる」と。この様な考え方を持って、拙僧に月初め、現地(事務所、作業場)祈願を依頼している会社は、数社あります。

会長さんが他界された次の月の1日、その会社に安全祈願へ伺うと、現社長(50代息子)さんが「実は住職(拙僧の事)さん、今年の2月頃ですが『あと1ヶ月で、この会社も倒産だな』と追い込まれていまして。だが、父が創業したこの会社を、父が存命の内に潰す訳にはいかないと思い、メインバンクに頼んで、借金返済を少し待ってもらう事に。が、融資の方は、といえば、全くその気がなかった様で、わが社の倒産を見込んで『いつ、掛けた梯子を外そうか』の時期を見計らっていた様子で。住職は、ここの会社がこんな状況であるを、薄々気付いておられたんでしょ。昨年の暮れ、住職は私に『人間は死ぬまでは、生きとかにゃならん。会社も潰れるまでは、踏ん張れるだけ、踏ん張らにゃならん。生活が掛かっている従業員の為にも』なる言葉を私に。その時、私が若い時(当時35歳)に、住職に言われた『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん』の言葉が脳裏を過ぎりまして」と。

続けて、社長(50代息子)さんが「メインバンクのその塩対応に『動いてくれん』と踏んだ私は、熊本工場(支店)近くの小さな地方銀行に、土地活用(熊本工場の1万数千坪)の話を持っていきました。すると、その地方バンクさんが興味を示してくれて、わが社の意向を文章にして広域に公布を。すると2月の1ヶ月の間に、熊本半導体関連で広大な更地を必要(作業員の住居、資材置き場など)とする40社以上が名乗りを挙げてくれました。3月末に倒産の危機だったわが社が、僅か1ヶ月の間で、地獄から極楽とまでは言いませんが、好転を。月極め賃貸で契約をしてくれた企業があり、どうにか一息つく事が出来ました。前触れもなく、いきなりのこのご縁が。正直、面食らっております」と拙僧に。

対し、拙僧「紀元前後に実在した、南インド地方の高僧が『この世の中は、縁で繋がっていないものは、何1つもない。偶然という言葉は、人間が言った言葉である』と。『縁』というは、網の目の様な物でして、正直に真面目に懸命に生きていたら、その噂(評価)が網の目を辿って、方々に流れていく。そして、その時期が来たら、その噂を聞き知っていた人達(縁)が、物凄い勢いで網の目を辿って、社長さん、あなたの元へと。『何の前触れもなく』と、あなたはおっしゃったが、前触れの元は、あなたが徐々に築き上げてきたもの。全く縁のないものが、あなたのところへ届いた訳じゃないですばい。その網の目も、自分の生き方次第で、どんどん広がっていきますもんね。人間は『今の自分を苦しめているも、喜ばせているも、過去の自分の行い。先の自分を苦しめていくも、喜ばせていくも、これからの自分の行い』ですもんな。自らが牡丹餅を作って棚に上げておかにゃ、落ちてくる事もないし、種も蒔いておかねば、芽は出らんですばい」と。

更に拙僧、この社長さんに「世に『捨てる神あれば、拾う神あり』という言葉がありますが、その『神(人)』の心をどう動かすかは、自分(我が)の行い次第にて。また『正直者が馬鹿を見る』という言葉もありますが、いやいや、人を支えているは、人にて。最後に土俵の上に立っているは、やはり、正直者ですばい。勿論、何にでも、例外というのはありますが。社長んとこの従業員の人達も、決してその目は節穴ではないはず。会社が倒産寸前だろう事は、肌で感じていたはず。なのに、1人も辞めず、黙って黙々と働いてくれてたんでしょ。会長さん、社長さんへの恩義を裏切らずに。網の目上に流れているあなたの会社の噂(評価)の中には、当然の事ながら、会長(現社長の父上)さんの生き様(築き上げてきたもの)も、従業員さん達の仕事に対する姿勢も、含まれているはず。みんなして乗り越えたこの度の峠ですもんね。この事を決して忘れちゃならんですわな。まあ、あなた(現社長)の事だから、忘れないとは思いますが」と。

この会社の会長さんと現社長さんの生き様は、度々、檀家の若者達に人生の例題として話をする事があります。「自分の為だけに努力をしている者は、自分が努力をしただけしか、実りはない。給料を貰って仕事をするんなら、誰だってやる。何の損得も考えず、駆け引き無しに、人の為に動いてごらん。ここぞ、という時には、何処からともなく、救いの手がやってくるよ」と拙僧、檀家、知人の若者達に、その様に。

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を、下記で読む事が出来ます。近頃は、有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですね。

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。

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