今日の法話は、7月5日に投稿させて頂いた『ご老人と若者』関連の、続きのお話をさせてもらいましょうかね。
さて、数日前、仏壇参りに伺うと、80代の檀家男性が「わしらの若い頃は、クーラーなど家にはなく、団扇(うちわ)と扇風機で夏を過ごしていた。孫達を見てると、どうも、我慢が足らん様な気がする。親が甘やかし過ぎとるんだ。かと言って、嫌われるのは嫌だから、孫達にはその事は言えんが。そうは思わんかい、住職」と。「拙僧のお寺(家)も、拙僧が27歳(35年前)まで、クーラーはなかったけど、その頃は暑くても35度前後で、扇風機で事足りてたもんね。その頃(時代)のクーラーのCMで『くーる、くーるで、夏がくーる』という歌があったでしょ。あの歌が流れ出すと『夏の到来か』とウキウキしてましたけど、今の夏は恐怖でしかない。年齢が60を過ぎたせいもありまっしょうが」と。
続けて、拙僧「昨今は地域によっては、40度を超える時もちらほらと。昔とは随分と環境に違いが出てきてますもんね。自分の事なら、ある程度は努力で何とかなろうけど、努力しても、どうにもならん事が世の中には数多に。昨今は、気象状況(自然環境)も含め、様々な問題(国際情勢、経済、少子化など)が山積し、それが負担になってる様で、それに対応して生きていかにゃならんから、大変ですよね。あっ、そうか、対応(工夫)していくも、努力と言えば、努力になるか。まあ、何にせよ、今の若い人達は、容易な事ではないと思いますよ。『今の若いもんは』とか『今の年寄りは』とかの言葉は、順送りの言葉ですもんね。作者は不明ですが『子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ。来た道、行く道、二人旅。これから通る今日の道。通り直しの出来ぬ道』なる言葉がありますが、若い者もお年寄りも、お互い、穏便に、穏便に」と、この檀家の爺様に。
前回、今回と『ご老人と若者、努力と工夫』の法話を書きながら、また、終戦日(8月15日)が近い事もあってか、次の話が脳裏を過ってきました。
もうかれこれ10年程前になりまっしょうか、90代婆様と30代曽孫娘が、拙僧の前で面白い会話をおっ始めよりました。その婆様が「ところで、お前(曾孫娘)は、結婚する気はないんかい」と。対し、曽孫娘が「だって、素敵だな、と思った男性は皆、結婚してるんだもん。残ってるは、残念君、ばっかり」「あん、残念君ばっかり、じゃと。お前もその、残念さん、と向こうからは思われとるわい。わしらの時代は戦争で、金やら、銀やら、皆死んで、残っとる中から掘り出し物を嗅ぎ分けるしかなかった。その嗅ぎ分ける力も、女の器量じゃ」と。曽孫娘はその言葉に、一言も返せませんでしたね。
この時、言い放つ婆様の言葉を聞きながら、拙僧『ドヒャー、この婆様、男性の事を、金やら、銀やら、と表現しおった。やっぱ、女性は生き物が違うわい』と心の中で大笑いを。この婆様ですが、身体は衰えたりとはいえ、現在101歳、口は相も変わらずの健やかにて。思えば、日本は戦争で多くの若い男性を失いましたが、その僅か23年後、昭和43年には、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に成長を。その時の最大の功労者は、やはり何と言っても、5人、10人産んで育てた女性陣にて。『人は城、人は石垣、人は堀』ですもんね。武田信玄公が言われた言葉、という事ですが。
この婆様と曽孫娘の会話の後、婆様に拙僧「ところで婆様は、その掘り出し物(夫)を嗅ぎ分ける事が出来たの」と尋ねると、婆様が「勿論、嗅ぎ分けたくさ。50そこそこで死んじまったがな」「その旦那さんは、金だったの、銀だったの」と返すと「金とまではいかんが、わしが銀にまで育ててやったわい。男(夫)は、女(女房)次第じゃ。頼朝(妻、尼将軍政子)も、秀吉(妻、ねね)も、女房の影の力があったからこそじゃ」と。もう、天晴れ、と言うしかない、敵わんわ。お寺もですね、栄えている寺院を見ると『住職の力』というよりも『奥さん(坊守さん、寺庭さん)の力』と言った方が間違いない。
いやいや、女性というは、やはり凄いですな。漢字を見ても、それが的確に表現されております。素直な良い子の『娘(むすめ)』が、結婚して、他家に嫁いで『嫁(よめ)』となり、子を産んで育て、夫を支え、家を守っていく内に、鼻に付く『嬶(かかあ)』となり、晩年は、波風を超えてきた経験から、波風立てる『婆(ばあ)』となっていく。変化を続ける女性に、単細胞(男の漢字には変化なし)の男性が、適うはずがないですよね。すいません、大変失礼な事を言いました。お許しを。
【余談】
これは余談ですが、朝ドラ『虎に翼』の一場面で、日本人夫とフランス人妻の夫婦が離婚調停で、子供の親権の押し付け合いを。離婚したら日本人夫は、他の女性(妊娠中)と結婚するから息子の親権はいらんと。フランス妻は、フランスに帰ってやり直したいから、息子は邪魔と。このドラマでは、父親の姉がこの息子を引き取りに。これに似通った相談は拙僧、今日までに何度か受けてきました。こういった人達(父親、母親)は、自己反省をしない限り、次に結婚(再婚)しても、また、自分の都合で同じ事の繰り返しを。
子供は親を選んで生まれては来れませんもんね。この言葉に対し「親も子供を選んで産む事は出来ません」と明後日の方向から、的外れの事を言ってくる親も、過去にはおりましたな。が、この言葉には、少し無理がある。無色透明で生まれてきた子供に、色をつけていったは、親ですもんな。子供は、親が育てただけしか、育っておりませんもんね。芥川龍之介さんの『河童』では、河童の世界は『生まれてくるか否か』は、赤ちゃんの方に選択権があるとの事。河童の父親がその事を、母親のお腹の中にいる赤ちゃんに尋ねると「あなた(父親)を見ていると、私もその様な人生を歩むのかと思うと、生まれてきたくありません」との返答を。こりゃ、何とも、キッツイ言葉ですね。この小説『河童』を拙僧は、小学生時代に読んだままですので、もう1度、読み返してみようかな。自己反省の為に。
【付録】
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