離れて気付く親のありがたみやで

母の日でしたね。私の中学と高校はキリスト教の学校だったのでキリスト教ならではの行事が多かったです。
特に毎年母の日には礼拝があってもれなく宿題に母の日作文たるものが課されました。(キリスト教教育と文章を書きまくって文章力を身につけようという教育のコラボレーション)私は作文ガチ勢だったのでテンションがハイになる真夜中にいつも書いていました。お母さんとの思い出を振り返ってみると泣きそうになるし本当に感謝してもしきれないなぁと思うけど、実際はその作文でしかお母さんに感謝を伝えられなかった気がする。義務的に書かせる母の日作文の意味ってなんなんだろうと思ってたけど今思うと思春期の中高生に改めてお母さんのありがたみに気付かせるのってその時にしか思えない感謝とかがある気がして意外と良い物だったんじゃないかと思います。
大学生になって初めての母の日(去年の今頃は留学準備?台湾は9月入学なので3月に日本の高校を卒業したら半年暇なんですね)(私たち日本人界隈ではそれをニート期間と呼んでいます。たとえバ畜だったとしても)が来て、5月病真っ最中かつこの9ヶ月でお母さんのありがたみをたっぷり感じた私は母の日礼拝がなくなってもお母さんに想いを馳せられます。私は長女なので(?)思いっきり甘えるのが苦手でしたが私含め母のありがたみをたっぷり感じた日本人の友達たちはみんなママ大好き症候群になって、どんなに母への愛を叫んでも誰もマザコンだとか言って毛嫌いしないので気持ちが楽です。
「お母さんにLINEで『産んでくれてありがとう』って送ったんだよね」ある日本人のお友達と話していた時、母の日の話題になってこんなことを言われました。私も確かに思ってる。お母さんに対して感謝してることランキング第1位である「産んでくれたこと」。それに対して直接言葉にして伝えたことなんて私はなかった、し、恥ずかしくてできる自信もない。その子は今までこんなことお母さんに言ったことなかったらしいんです。だけど親元離れて台湾に来て色々あって(体調崩した時に親のありがたみを知るのみんな)お母さんの存在の大きさに気付かされたそうです。だから母の日にLINEで「産んでくれてありがとう」って言った。あー、めっちゃいい子じゃないですか?私がその子の母だったら、なんていい子に育ったのって抱きしめます。ていうか泣きそうになった。何回思い出してもその子がその子のお母さんにそれを言葉にして伝えられたのすごいなって。
私が思うにですけど、「言わなきゃ」ってなって言ったんじゃなくて、言いたくなったから言ったんだと思う。
何歳になっても私たちは親の子だから、何歳になっても産んでくれたことと育ててくれたことに感謝しないといけないし。ていうかしてるし。それを直接言葉で伝えられたらいいんですけどね。

でもこのnoteお母さんに見られたら結構恥ずかしいかも。見てないことを祈ります。おやすみ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?