ゴルフつれづれ草 近藤経一著 ⑪

ゴルフは小男の方が上手い

 この標題にはいくらか誇張がある。本当をいえば「ゴルフに大きな身体はいらない」というべきかも知れない。いや、それよりも、むしろ「ゴルフに大きい身体は邪魔だ」というのが一番真実に近いかも知れない。

 まず、これを世界のゴルフ史に見てみようか。前近代的ゴルフ-十九世紀的ゴルフといってもいい-の綽尾を飾ったハリー・バードンに、ジェームス・ブレード、テッド・レイのイギリスの三巨人は例外中の例外であるが、ゴルフがヒッコリー・シャフトとともにその旧態を捨てて以後、近代ゴルフの父といわれるウォルター・ヘーゲン以来、巨体のチャンピオンはいないのである。

 バードンとブレードの間にはさまれた写真を見るとボビー・ジョーンズは大人の中に入った中学生のようだし、名手サラゼンに至っては五尺五寸にも満たない小男である。
 最近二〇年間の全英、全米オープンの勝者を見ても、その中に大男は一人もいない。(まれに先日、飛行機で死んだトニー・レマ的な背の高いものはいるが、私はこういう人間を大男とは思わない……。ついでながら背の高いということはゴルフにとって有利な一面を持つことはいうまでもない)
 いいかえれば三五〇ヤードを飛ばすジミー・トムソンやフットボールの選手上りのジョージ・ベーヤーのような巨漢は決してチャンピオンにはなっていないということである。

 これをもつと手近な例に見てみようか。一九七二年(四〇年前)に始められた日本オープンと手近一九一八年に日本人が初めて優勝したときからの日本アマチュアとの勝者の中、第一回オープンの赤星六郎氏を除いてはいわゆる巨体の人はひとりもいない。
 日本オープンを六回もとった宮本留吉。一年間に四大タイトルをとつて、いわゆる日本のグランド・スラムをなしとげたただ一人の男、戸田藤一郎。今日の日本のゴルフ時代を作ったといってもいい中村寅吉-諸君はぴっくりなさるかも知れないけれど、この三人は五尺五寸三分(一六二センチ)しかない。私よりも小さいのである。
 また日本アマチュアを三度とった鍋島直泰、故佐藤儀一、三好徳行、中部銀次郎の諸氏の中に私より身体の大きいと思われる人はひとりもいない。

 これは一体どういうことなのであろうか。
 ご承知の通り、ゴルフは一種の芸ごとである。私はよくこれを舞踊にたとえる。道成寺を踊る。百遍踊れば百遍同じ形になるのが理想であろう。ゴルフのスウィングもその通り、百遍振れば百遍同じ形になることが望ましいのであるが、ここで思い出されるのが、舞踏家の身体である。
 六代目菊五郎、先代三津五郎の例をとるまでもなく、私の見た限りでは男女を通じて、踊りの名人に巨体の人はなかった。彼等は例外なくどちらかというと小柄なびしっとしまった体躯の持ち主だった。

 ということは、つまり人間がある一定の身体の動きをマスターするためには、どちらかというと小柄な体躯の方がいいということなのではあるまいか。身体が大きいと自分で自分の身体をマスターしにくく(身体をもて余すといってもいい)て、踊りの中にどこかにすきというかゆるみが出てくるのではあるまいか。そして、私はこのことはそのままゴルフにも通じるのではないかと思っている。

 というと、私はたちまち反撃を食うかも知れない。いわく「何をいうか、ニクラスを見よ、パーマーを見よ。みんなあんなに大きいではないか」と。
 しかし、それは日本人にくらべてのことであって、パーマーはいうまでもなく、ニクラスといえどもアメリカ人としては決して巨体というような身体ではない。そして、ゲーリー・プレーヤーに至っては、御存知の通り、白人種としてはほとんど飛び切りの小男であるし、もつと手近な所では、今年のいわゆる日本シリーズや本社(ゴルフダイジェスト社)主催のゴールデン・マッチに選ばれた今日の日本人を代表する人達(それが何とほとんど皆ダブっている)はいずれも一・六五メートル、五六・七キロの、今日の日本人としては小男ばかりである。

 また、私がよく行く二、三の練習上での経験でも、進歩の早いのは全部小柄な人である。また小柄でガッチリと、内容の充実した体格の人であって、いわゆる「巨きな人」は一人もいない-強いて求めれば大平透君くらいのものであろうか。
 しかし、これはプロの中でただ一人の例外である杉本英世君と同様、巨体であって、しかもその巨体をコントロール出来るだけの筋力と運動神経とを持ち合せた特例というべきものであろう。
 小男万歳!
 年を新たにして、大いに張り切っていただきたい。

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