ゴルフつれづれ草 近藤経一著 ⑬

アルミシャフトの将来性

 「アルミのクラブ(シャフト)はどうなんでしょうか」というのが、近頃私が一番よく耳にする質問である。そして今日まで私はそれに対する本当の答えを口にすることをひかえて釆た。
 理由は私のような者でも、一種の虚名を持っているから、その言うところが、多少とも業界に影響を与えはしないかということを懸念したからである。
 ところが、最近このアルミ・シャフトについて悪推量すればそれを抹殺しようとするかのような言論を目にも耳にもするようになって来たので、別に義憤を感ずるというほどのこともないが、それを愛用している者の一人として、率直に意見を述べたい、述べるべきだと思うに至った次第である。

 さて このアルミと鉄(スチール)との関係は、いろいろの意味でラージ・ボールとスモール・ボールとの関係に似ていると私は思っている。
 いうまでもなく前者がスモールで、後者がラージである……というのはものには総て一長一短があり、ラージにはラージのよさがあり、スモールにはスモールの不利があるように、スチールにはスチールのよさがあり、アルミにはアルミの弱点(私には分らないが)はあるかも知れないけれど少なくともゴルファーにとって絶対の魅力である「ボールがよく飛ぶ」という点に於てはスモールがラージに勝るように、アルミがスチールに勝るということには何如なる疑いをはさむ余地はない。

 若い時、私は比較的よく球の飛んだ方であった。ドライビング・コンテストで253ヤードを飛ばしたこともある。
 そして戦後も、四、五年前まではボールとクラブの進歩に助けられて220、30は飛んでいたが、六五歳頃からは年毎に距離が落ちて、ラウンドするのがいやになっていたのであるが、三月ほど前から使い始めたアルミのおかげで起死回生の想いをしている。ドライバーは220と延び、特にアイアンに至っては二割方は距離がのびた。
 一つだけ例を挙げようか。それまで使っていたウィルソンのスタッフでは、五番で140しか飛ばなかったがこのスポルディングのエグゼクティブだと軽く150を越す。

 だから「距離」に心配の要らない人はラージ・ボールを使えばいいように、今まで通りスチール・シャフトをお使いなさるがいいが、一フィートでも距離の欲しい人には、私は絶対にアルミをおすすめする。
 その効力は筆や口ではいいあらわせないほどだ。
 「アルミはポールが真直ぐに飛ばない」などという説をなす者もあるが、これも真赤な嘘であって、ドライバーからウェッジまで、すべて方向はスチール以上に正確である。
 「アルミはフィーリングがつかみにくい」ということをいう者もいる。が、久しく使い馴れたものから新しいものに移るときそう簡単にそれに馴れることが出来るものだろうか。

 五〇年前ヒッコリーからスチールに移ったとき、人々はすぐにそれになれることが出来たというのであろうか。
 私は断言するが、これらの説をなす者は、全然アルミを使ったことのない人か、使ってみてもそれに馴れようと努力をしない人か、もう一つ、最後に言いにくいことであるが、アルミの隆盛によって損害をこうむる人達(例えばスチール・シャフトを生産する為のぼう大な設備と莫大なストックとを抱えた業者)であると。

全日本パブリック・アマチュア選手権

 気候はよし天気はよし、場所も私の居る所からは近いので過日、紫カントリーヘ「全日本パブリック・アマチュア選手権」を観に行った。
 結果は佐藤正之君という一九歳の東北大学の学生が301という立派なスコアで優勝し(幸いにして私はその大部分を見たが、ラスト・ラウンドのコース・レコード71こそのゴルフは最近私の見た中、プロを含めて最も優れた内容のものであった。

 因みに、まことに示唆に富んだことであるが、彼は練習場でのみボールを打ち、コースへは極く稀にしか出ないということである。
 以下一二人が一ラウンド80を割るという立派な成績を残したことは、想像以上の出来栄えでありこの分でゆくと、数年を出ずして「ジャパン・アマチュア」との格差はなくなってしまうのではないかとさえ思われた。
 今年から一本化されて、JGAからも岡田、細川、小寺さん達の顔も見えていたが、それにつけてもギャラリーの淋しさはどうだ。
 どうも日本人という奴はゴルフをやることは気違いのように好きだが、ゴルフを見ることには全く興味を持たない人種らしい。
 それにつけても、出場者の殆んどが、三〇歳を中心とした壮年者であったが、あれはいったい何をしている人達なのであろうか。

 ところで最後に、どうしても書いておきたいことがある……。佐藤君の優勝が決った時グリーンを少し離れた松の木の下で、同君についていた若い女のキャディが泣いていたのである。
 ……ああ、ゴルフ道、地に落ちキャディ道もまた昔日の面影を失った末世にも、未だかかる女のありて、かかる情景を見られたことの感動にむせびながら、私はひとり楽しく家路をたどったのである……。

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