ゴルフつれづれ草 近藤経一著 ⑨

ゴルフ旅愁

 『ゴルフダイジェスト』から東北のゴルフの旅に誘われた。高等学校の三年を仙台で暮らした関係から、東北は私にとつて懐しいところであるし、それにこんな時でもないと、もう生きてそこを見ることもあるまいと思ったから、心うれしく同行した。

 まず特急で11時間半で青森に着く(50年前には、仙台までちょうどそれ位かかった。そしてウィルフェルというドイツ語の教師が、よく「ゾー・ゲナンテン・シュネルツーグ」ー 名ばかりの急行だといってからかった)。
 明治の頃四百何十人かの兵隊を凍死させたので有名な八甲田山の見える青森カントリー・クラブで、一行はゴルフをした。「日本で一番お金をかけずに作ったコースです」とのことだったが、それにしてはよく出来ていた。

 3時頃そこを出で、自動車で3時間、十和田湖に一泊して次の日は八戸に近い十和田カントリーで1ラウンド。
 ここで私は、かねて一度お逢いしたいと思っていた中村正信氏にお目にかかった。御承知の通り、中村氏は40をすぎてゴルフを始め、5年で日本アマチュアのセミ・ファイナリストにまでなった奇蹟の人である。八戸の出身で、ここのメンバー、ちょうど帰省中とのことだった。
 コースの敷地は、もと牧場で今でもあちらこちらに馬の姿が見える。こんな風景は日本ではここだけかも知れない。
 夜は八戸に出て、グランド・ホテルという立派なホテルに泊った。東急系のものとかで、パンと菓子が非常にうまかった。八戸といえば小さな漁港かと思っていたが、そこにこんなホテルがあるのには驚いた。


 翌朝、汽車で盛岡に出て、クラブ差し回しの車で八幡平のゴルフ場に行った。
 この辺は町名を雫石といっていろいろの史話に富むところ。付近には鶯宿という有名な温泉もあるーーというより、その温泉があったればこそ、その温泉の所有者でもあり、岩手中央バスの副社長でもある前川さんがここにコースを作ったという方が本当であろう。
 三方を山に囲まれ、東に開けた盛岡盆地の向うに岩手、姫神の二名山を望む地形は正に絶好。こんな所でゴルフをしていられたら何もいらない……と同行の誰彼がいったのも無理はない。が、その言葉には実はもう少し真の意味も含んでいるのである。

ーーそれは、ここのキャディさん達の美しさである。
 キャディさんの中には、時々どうしてキャディなんかしているのだろうと思うようなひとがいるものだが、ここのキャディは驚くべきことに、殆ど例外なしにそう思われる位美しい。
 特に優れた幾人かに至っては、すぐにもスターになれる位に美しいので、このことが中年の悪童共をして「生涯ここに住んでゴルフをしたい」などといわせた本当の原因かも知れない。
 宣なる哉、あとで聞けば、このあたりは美女多き南部でも特に優れた美女の産地で「雫石あねご」といって有名なのだということだった。
 温泉の流れ出る静かなロッジに泊めてもらって翌日は仙台。


 仙台には驚いた。50年前の姿はおろか、20年ほど前、文芸春秋の旅行で来たときとも全く別の所へ釆たかと思うほどの変わりようーー。そこには、もう「森の都」の姿もなければ 「学都」の姿も見出せない。
 東京の池袋か新宿あたりを、そのまま移植したような姿にはがっかりした。気のせいか青葉城のある向う山などの緑もうすれてしまったような気がした。広瀬川の水も、さぞ濁ってしまったことであろう。
 郊外、富谷のコースにくるとそこには、もう都会のゴルフ・クラブの匂いがぷんぷんとしていた。どこかの会社のプライベート・コンペティションなどが幅をきかしていて……。


 有名な七夕祭中は仙台には宿がとれないということで、1時間以上も車を走らせて鳴子に行った。50年前、私がここに来た時には、数軒の宿しかないひなびた山の温泉だったが、今では大きなホテルが並立する歓楽境、ーーこれも仙台とともに私を嘆かせたものの一つであったが、また感心したことも幾つかあった。
 第一に汽車が速くなったこと、第二に、道路がよくなったこと。それから、各行き先き先きにゴルフ・コースのあることも、我々ゴルファーにとっては、まことに楽しいことといわなければなるまい。


 ただ、ここでそれらの地方のゴルフ場にお願い申したいことがある。それは、どうかその地方地方のローカル色を保っていただきたいということである。
 日曜ごとに幾百という人間が押しかけ、ウィーク・デーでさえ100人、200人のプレーヤーが来るというような大都会近傍のゴルフ場は、本当いえばもうゴルフ・コースの機能を失ってしまっているといっても過言ではないであろう。
 そこへゆけば、ウィーク・デーは10人か20人、日曜でも100人位のメンバーしか来ないというコースでこそ、人間は本当のゴルフを楽しむことが出来るのではあるまいか。
 私は地方のゴルフ・クラブの当事者諸氏が、決して大都会付近のゴルフ・クラブなどにあこがれることなく、いろいろの意味で素朴な地方色を守り育ててゆかれることを、切に切に望むものである。

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