ゴルフつれづれ草 近藤経一著 ⑦

マスターズ


 過日、マスターズ・トーナメントのテレビを見た。
 宇宙中継の実況放送でないのが残念だったけれど、フィルムではなく、ビデオだったので、色もよく、振り方もよく(恐らく何十台というカメラを使ったのであろう)アナウンサーもなかなか勉強していたし、特に陳清波の解説は流石に五年もつづけてそこでプレーしただけあって、とかくテレビでは分りにくいボールのライだとか、グリーンのアンジュレーションや、芝目の早さの具合とかを分らせてくれ、殆んどその場にいるような満足感を与えてくれた。

 実をいうと、私は昨年このマスターズを見に出かけようと思って準備をしていたのだったが丁度その時来日したゲーリー・プレーヤーにその話をすると、例によってまず「グッド」といったが、すぐつづけて「しかしお前は小さいからーと自分のことは忘れて失礼にもいいやがったー そこでパーマーやニクラスの顔も見ることは出来ないだろう」

 しかし、まだ行くつもりで、陳清波に宿のことをきいたら、それはともかく「とても大変だろう」ということで出鼻をくじかれて、そのままになってしまったといういきさつもあって、この放送は私にとつては正に干天の慈雨ともいうべきものであった。


 一番驚いたのはベン・ホーガンに対するギャラリーの拍手である。二、三週間前になるだろうか、サム・スニードとの対戦フィルムをテレビで見て、すっかり彼のゴルフに魅せられてしまった(ついでながら、スニード、パーマー、ニクラス等を八段とすれば、ホーガンは正に名人というべきであろう)私はその私の気持が間違いではないことを感受することが出来て、まことに嬉しかった。

 アナンウサーもいっていたが、このギャラリーの拍手は、ひとりホーガンのみにおくられるものだということであり、中にはわざわざ立ち上っている人さえもあった。そしてホーガンもそれとなく軽く会釈を返しながら歩いてゆく……という、それは何ともいえない、いい風景であった。
 最後の授与式でボビー・ジョーンズの風貌に接することの出来たのも、私としては望外の幸せであった。

 それにしてもあの授与式の簡素さの中の品格と暖かさはどうであろうー 勿論、他にパーティーなどの準備はあるのだろうが、その場には身体の不自由なジョーンズが只一人椅子に腰をおろしている。
 そして、それとかぎの手に置かれた長椅子の上に優勝者のブリューワーと一ストロークの差でランナース・アップに落ちたボビー・ニコルスと、トップ・アマチュアの三人だけが腰をかけている。

 「去年ここでスリー・パットしてからの一年(因みにブリューワーは昨年十八番でスリー・パットとしてニクラス等とタイになり、プレー・オフで彼に負けたのである)ほんとうに君はつらかったろう」と、やがてジョーンズがブリューワーに呼びかけ、以下ー人ー人に実に心のこもったねぎらいの言葉をかけ終ると(ここでまた驚いたのは、ジョーンズがその場にいないホーガンに彼がその競技に参加してくれたことに特に感謝の言葉をのべたことである)昨年の優勝者ジャック・ニクラスが出て来て自分も着ているのと同じ青い上衣をブリューワーに着せかける……それで式は終るのである。

 いうまでもなくそれはボビー・ジョーンズという人がいるからこそ出来ることであるかも知れないけれど、大きな造花を胸につけた人が沢山並んで、長たらしい演説などのつづく何処かの国のものとは何と異っていることだろう。


「全くいやになっちゃった」と私はTBSの橋本君にいったーというのは、私はいつの日か日本で此のマスタ-ズのようなト-ナメントをやり、それを立派に放送してみたいという夢があったのだが、それがまず到底及びもつかない願いであることが、これを見て分ったからである。
 第一に、日本ではあれだけのコースを作ることは出来ないであろう。第二に、たとえ出来たとしても、それをキープしてゆくことは殆ど不可能であろう。そして、第三にあれだけの選手を集めることは絶対に不可能だからで、なお、その上にもう一つ付け加えるなら、あれだけ大ががりな放送準備は費用の点(それは回収され得る収入による)からみても、これまた絶対に不可能だと考えられるからである。

 「いや、そうでもありませんよ。なんとかなりますよ」と、これにたいして橋本君は否定的であったけれど……。
 それにしても、これはひとりTBSといわず、最近のスポーツ放送のテレビにおける白眉であったという。

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