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ChatGPTとの異次元対話(その5)「事実と評価と真実の関係性ってどうなの?」

上記の記事にインスピレーションを受け、このような対話をChatGPTと行ってみました。

bingにAIチャットが搭載される事で、 Googleの広告ビジネスはピン チになる」 という内容の文章を800字くらいで書いてください。  日本語でお願いします。
質問があります!😄
近年、人工知能(AI)技術が急速に進化しており、ビジネスシーンにも大きな影響を及ぼしています。特に、検索エンジン市場においては、Googleが長年にわたり主要プレイヤーとして君臨していますが、このシーンに新たな参入者が現れることで、今後のシェア分配が変わる可能性があります。  その一つが、Microsoftのサーチエンジン「Bing」にAIチャットが搭載されることです。Bingはこれまでも優れた検索結果を提供すると評価されてきましたが、AIチャットを採用することでユーザーとのやりとりをよりスムーズにし、より質の高いサービスを提供することが期待されます。  これにより、Googleの広告ビジネスに対する圧力が高まります。Googleは広告収入の大部分を検索エンジンから得ており、検索結果に表示される広告を主な収益源としています。しかし、Bingがユーザーとのやりとりをよりスムーズにすることで、より高品質なサービスを提供することができるようになります。これは、ユーザーがGoogleからBingに切り替える可能性を高め、Googleの広告ビジネスに対する影響が大きくなる可能性があります。  さらに、AIチャットを採用することで、Bingはよりユーザーフレンドリーなサービスを提供することができます。ユーザーは、AIチャットを介して質問をすることができ、すぐに答えを得ることができます。これは、Googleの検索エンジンと比較すると、より使いやすいサービスを提
うむ。
続きをお願いします
よろしくです。
供することができると同時に、ユーザーのサイト利用時間も増加させることが期待されます。このことから、Bingは広告主からの関心を高め、より多くの広告収入を得ることが期待されます。  一方で、Googleはこのような状況に対応するため、自身の検索エンジンを改善することも期待されます。例えば、よりスムーズなユーザーとのやりとりを実現するためのAIチャットなどのサービスを導入することが考えられます。また、高品質な検索結果を提供するために、検索アルゴリズムの改善なども行われることが期待されます。  結論として、BingにAIチャットが搭載されることは、Googleの広告ビジネスに対するピンチになる可能性があります。しかし、Googleもこのような状況に対応するため、自身の検索エンジンを改善することが期待されます。このことから、今後の検索エンジン市場は、より高品質なサービスを提供することが求められることが予想されます。
うんうん、なるほど。
「認識せずして評価するな」 という格言があります。  上記に照らして考えれば、 「検索」 して得られる情報には、ふたつの 種類があるのではないでしょうか。  ひとつは「事実」としての情報。 以下のような例になります。 (ウィキペディアからの引用)  “円周率(えんしゅうりつ 英: Pi、 独: Kreiszahl) とは、円の直径に 対する円周の長さの比率のことで、 数学定数である。 通常、 ギリシア 文字で表される。 円の直径から円周の長さや円の面積を求めるとき に用いる。 また、 数学をはじめ、 物理学、 工学といった科学の様々な 理論の計算式にも出現し、 最も重要な数学定数とも言われる。  円周率は無理数であり、 その小数展開は循環しない。 円周率は、無理 数であるのみならず、 超越数でもある。“
お魚を料理するためには、さばかないといけないよね。これは何事においても同じ。
もう一つが、「評価」 としての情報。  このような例があります。  (https://bookmeter.com/books/518522からの引用)  "漱石大好きな私にとっては、非常に興味深く読めた本だった。「国 民的作家漱石と狂気じみた作家漱石」 という表現には感心したし、 「猫」については、 私が昔から感じていたことを見事に言葉にしてく れたという思い。 「それから」 以降の作品を読み直してみたいと思 う。「野分」についてもうちょっと触れて欲しかったというのは贅沢 か。  しかし、前者の 「事実」 においても、 「ウェブ上には、このような情 「報が存在する」 という 「事実」 を前提とした 「評価 (いわゆるSEO はそれを目的としている)」 が根底にある事は忘れてはならないでし ょう。  冒頭で指摘した 「認識せずして評価するな」 と言う言葉と、 「事実」 「評価」との関係性についてお考えをいただければ幸いです。
どんなもんでしょう。
「認識せずして評価するな」という格言は、正確な情報を知らずに評価することは避けるべきであるということを表しています。これは、検索エンジンにおいても同様です。  「事実」と「評価」は、検索結果において重要な役割を果たします。「事実」とは、正確な情報を提供することを目的としています。例えば、円周率に関する情報は、正確な数学的な定義を提供することを目的としています。一方、「評価」とは、情報に対する個人的な見方や考え方を示すことを目的としています。例えば、漱石の本に関する評価は、評者の感想や考え方を示すことを目的としています。  しかし、「事実」に対する「評価」は、その「事実」を知っていることが前提となります。例えば、円周率に関する評価をするには、円周率の正確な定義を知っていることが必要です。同様に、漱石の本に対する評価をするには、その本を読んでいることが必要です。  つまり、「事実」と「評価」は、互いに関連しあっているということです。「認識せずして評価するな」という格言からもわかるように、正確な情報を知らずに評価することは避けるべきであり、「事実」と「評価」を正しく理解することが重要であると言えます。
評価のための評価。認識の精度を上げることは後回しで良い。
これの代表がディベート。
「事実」と「認識」との関係性についてお考えをいただければ幸いです。
さらに教えて下さいまし。
「事実」と「認識」は密接に関連しているといえます。「事実」は正確な情報や事実を指しますが、その「事実」を知ることが「認識」です。「認識」は、私たちが知っていることを指します。つまり、「事実」と「認識」は互いに依存するということです。  例えば、円周率に関する「事実」は「円周率は無理数であり、数学的「な定数である」というものですが、この「事実」を知ることが「円周率に関する認識」です。このように「事実」と「認識」は互いに依存する関係にあります。  また、「認識」は、時間や環境などによって変化することもあります。例えば、今まで「円周率は3.14」と認識していた人が、正確な定義を学び「円周率は無理数であり、数学的な定数である」と認識するように変化することがあります。このように「認識」は、「事実」を知り、「事実」に基づいて変化することがあります。  結論として、「事実」と「認識」は密接に関連しており、「事実」を知ることが「認識」であり、「認識」は「事実」に基づいて変化することがあるということが言えます。
なるほど。
「とにかく答えを出す」それそのものが自己目的化すれば、世の中おかしい方向に行きますわな。
評価を下すには、事実という情報の質と量、両方を満たすことが必要  である。  理想を言えば「広く深い」情報を認識する方がよく、「狭く浅い」もしくは「狭く深い」さらには「広く浅い」事実という情報では、不完全なものにとどまる。  私のこの認識について、お考えをいただければ幸いです。
精度を上げないとシュートは決まらない。これはサッカーだけではなく、物事全てにおいて言えること。
あなたの認識は正しいと思います。評価を下すには、事実という情報の質と量の両方を満たすことが必要であるということは確かです。  「広く深い」情報を認識することが望ましいということは、評価するにあたり、多角的に見て、多様な情報を収集し、分析することが大切であるということを表しています。「狭く浅い」情報や「狭く深い」情報、「広く浅い」情報は、不完全な情報となりますので、正確な評価を下すことは困難となります。  このように、評価を下すには、「広く深い」情報を認識することが大切であり、多角的に見て、多様な情報を収集し、分析することが必要であるということが言えます。あなたの認識は正しいと思います。
これは理想かもしれないが、可能な限り前提条件を理想に近づける。それを怠けてしまうと、良い結果をもたらさない。
ありがとうございます。  もう一つ質問があります。  「事実と真実は違う」という格言もあります。 本件に関するお考えをいただければ幸いです。
さらに切り込む。
「事実」と「真実」は異なるという格言は正しいと言えます。  「事実」は、正確な情報や事実を指します。例えば、「円周率は3.14「この本は500ページある」といったような正確な情報が「事「実」に該当します。「事実」は、事実に基づいて正確な情報を得ることができるという特徴があります。  一方、「真実」は、「事実」に基づいて得られる情報に加えて、私たちの認識や理解、価値観などが反映されたものを指します。「真実」は、人それぞれによって異なることがあります。例えば、同じ「事実」に基づいていても、人それぞれが異なる見方をすることがあります。  結論として、「事実」は正確な情報や事実を指しますが、「真実」は「事実」に加えて私たちの認識や理解、価値観などが反映されたものを指します。「事実」と「真実」は異なるという格言は正しいと言えます。
「真実に対するあくなき探究心」
それなくしては、「そうだったのか」などとテレビの画面の前で相槌を打つ情報弱者と変わらなくなる。
「真実」を知るためには、人間の眼で知りえる「事実」だけではなく、思想や哲学、場合によっては、宗教的モラルといった洞察力といった「触媒」を掛け合わせる必要がある。私はこのように理解しております。  この考え方に立つのであれば、ChatGPTなどのAIチャットにおいて「真実」そのものを言い当てることは可能でしょうか。それとも人間の思考によらなければ、やはり不可能と言うことでよろしいのでしょうか。本件に関するお考えをいただければ幸いです。
「究極の選択」
あなたの考え方は正しいと思います。「真実」を知るには、「事実」だけではなく、思想や哲学、場合によっては宗教的モラルなどの「触媒」を掛け合わせることが大切であり、人間の洞察力を掛け合わせることが必要です。  このような「真実」についての認識を言い当てることは、AIチャットを用いた場合も同様です。現時点でのAIチャットは、「事実」に基づいて情報を提示することができますが、「真実」に関しては、人間の洞察力とともに判断することが必要です。  AIチャットは「事実」を正確に提示することができますが、「真実」に関しては、人間の洞察力とともに判断することが必要ということが私の考えです。
うん。ただし、自分の考え方もかなり主観的で偏っている可能性もある。
ChatGPTの太鼓持ち的な性格を考えれば、違う角度からの質問で検証する必要もあるだろう。

最後に(前提条件となる問題提起を少し変えてみました)

「認識せずして評価するな」という格言があります。ただし、私は必ずしもそうではないと理解しております。  「検索」して得られる情報には、ふたつの種類があるのではないでしょうか。  ひとつは「事実」としての情報。以下のような例になります。(ウィキペディアからの引用)  "円周率(えんしゅうりつ、英:Pi、独:Kreiszahl)とは、円の直径に対する円周の長さの比率のことで、数学定数である。通常、ギリシア文字で表される。円の直径から円周の長さや円の面積を求めるときに用いる。また、数学をはじめ、物理学、工学といった科学の様々な理論の計算式にも出現し、最も重要な数学定数とも言われる。  円周率は無理数であり、その小数展開は循環しない。円周率は、無理数であるのみならず、超越数でもある。
「認識せずして評価するな」これを無理筋で否定するのではなく、「前提条件によっては結果は異なるのでは」と言う問題提起と言う形で再度聞き直してみる。
もう一つが、「評価」としての情報。  このような例があります。(https://bookmeter.com/books/518522からの引用)  "漱石大好きな私にとっては、非常に興味深く読めた本だった。民的作家漱石と狂気じみた作家漱石」という表現には感心したし、「猫」については、私が昔から感じていたことを見事に言葉にしてくれたという思い。「それから」以降の作品を読み直してみたいと思う。「野分」についてもうちょっと触れて欲しかったというのは贅沢か。  しかし、前者の「事実」においても、「ウェブ上には、このような情報が存在する」という「事実」を前提とした「評価(いわゆるSEOはそれを目的としている)」が根底にある事は忘れてはならないでし  その上で言えるのですが、上記における「事実を前提とした評価」は、必ずしも常に100%完璧なものではあり得ず「無限に続くグレー「ゾーン」の中からある一定のラインで線引きしたものではないでしょうか。  冒頭で指摘した「認識せずして評価するな」と言う言葉の持つ不完全さと限界と、「事実」「評価」との関係性についてお考えをいただければ幸いです。
続き。
そのとおりです。「認識せずして評価するな」という格言は、情報を正確に理解し、情報源の正確性や信頼性なども考慮しながら評価することが大切であることを示しています。  しかし、実際には、「事実」と「評価」は曖昧なグレーゾーンの中で交差していることが多いため、「事実」と「評価」を分けることは容易ではありません。そのため、「事実」を前提とした「評価」も常に完璧ではありません。  例えば、ウェブ上の情報においては、情報源の正確性や信頼性が不明確なものも多いため、「事実」を前提とした「評価」も常に正確ではありません。また、個人的な見解や意見も「評価」として提供されることもあり、これらは正確な「事実」を前提としていない場合があります。  このような状況から、「認識せずして評価するな」という格言が持つ意味は、情報を正確に理解し、情報源の正確性や信頼性などを考慮しながら評価することが大切であることを示しています。
完全な「逆張り」の質問に対して、「あなたの主張はその通り」と言う返事が返ってくるのかどうか、これは違うテーマを設定し、改めて検証してみたいと思います。

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