ふたたび、日本がタフさを取り戻すためには
今の日本も、日本人も諸外国と比べて、タフだとは決して言えない。
国家レベルで考えてみると、不甲斐ない外交や迷走する政治などは、間違いなく世界からは二流三流と思われている。
ビジネスにおいても、似たような傾向である。
世界に誇れる高品質の製品を作り出す日本の代表的なメーカーは、世界でも十二分に戦って、激戦にも勝ち残っている企業もある。
しかしこれはごく一部であって、低迷を続ける日本経済を背景に、足がすくんで身動きが取れない企業が山のように存在する。
新たなマーケットの開拓のために、アジアに進出することが不可欠になっている今でさえも、進出に対して臆病なのが我が国の実態なのだ。
アジアの諸外国からは、こんな風に揶揄されている始末だ。
“ノーアクショントーキングオンリー(NATO)”
視察や打ち合わせは良くするが、なかなか実行には移さないと・・・。
さらに、日本人個々に焦点を当ててみると、草食系、植物系男子と揶揄されるように、今の若者は打たれ弱い。
一方、女子は強くなったと言われる。
そういう傾向は一部あることは私も実感するが、相対的に男子が弱くなったことによる錯覚の方が大きいと思う。
現実は、アジアの女性は本当にタフなのである。それは昔の女性のように。
今の日本人は、一言で言えば、タフではないのである。
戦後の荒廃から世界も驚くほどの強さ、スピートで復興を遂げ、世界第2位の経済大国に上り詰めた、あの日本人のタフさはどこへ行ってしまったのか?
一体、何がこの数十年で変わってしまったのか。
私も、日本を再び元気な国に戻したいと真剣に考え議論し、行動している1人である。
自然とそういう仲間との会話は弾む。
元気な日本といっても、当然、昔とは違う形ではある。
そんな会話をする度にタフさを失ってしまった原因を解明したい衝動に駆られるのである。
タフさを取り戻す手ががりになるのではとも思いながら。
人は子供の頃に育った環境に大きく影響される。
今の子供達は少子化の影響もあり、昔に比べたら天と地ほどの差があるぐらい甘い環境で育っている。
昔は、子供の周りも理不尽なことだらけだった。
私だけでなく、大抵の家に鬼のような恐ろしい頑固親父がいて、親に歯向かうことなど許されなかった。
当然、親の言うことに納得してからなにか行動するなどあり得ない。
親が言うから、四の五の言わずに言うことを聞け、と。
逆らうと、鉄拳が飛んできたものだ。
自然と、目上の者や大人の言うことは、まずは聞くこと、従うこと、と叩き込まれた。
極端な話、その話の意味は、自分が子供を持って初めてわかることだろう。
ちゃぶ台を機嫌が悪いからという理由だけで、ひっくり返す親父の話などは典型だ。
こんな類の話で、同世代以上で盛り上がる。
思い起こせば、子供心に「早くこの家を出たい、大人になりたい」と思ったものだ。
家の手伝いも、報酬なしで、当たり前のようにした。
というよりも“やらされた”。
掃除、洗濯は当たり前で、親が忙しいときにはご飯も自分で作って食べる。
自然と自立することが身についた。
また、子供は、好奇心が旺盛だ。
本能的な感覚で欲求が膨らむ。
あれが欲しい。
これが欲しい。
あれが見たい。
これが見たい。
あそこに行きたい。
遊びに行きたい。
昔の平均的な家庭では望んだものがすべて手に入るなどあり得なかった。
せいぜい10個の願望のうち、ひとつが叶えば良い方だった。
自然と我慢することも覚える。
友達が買ってもらったから、買ってよというと、
“ほな、友達が死んだら一緒に死ぬんか”ときリ返されたものだ。
マズローの欲求段階説があるが、それこそ、第1段階、第2段階レベルの欲求が満たされるか否かのせめぎ合いだった。
自然と、欲求を満たすために、思考を巡らせ、少々のリスク覚悟で、行動に移すことが当たり前にできたわけである。
単位は小さくても、日々が“狩り”の連続だった。
やんちゃさ故の武勇伝も多かった訳である。
今は、どうだろうか。
ネット社会とあいまって、行動がネットの社会で
完結してしまうことも多くなった。
必然的に、リアリティの場でのチャレンジやガチンコ勝負が減る一方だ。
知りすぎると行動するのも怖くなる。ということも重要なポイントだ。
タフであることのひとつに、少々の困難でも常に勇気のある言動ができるかどうかということがある。
昔は、今ほど情報が巷にあふれていなかった。
自分がチャレンジしようとするテーマに対しての先行事例やそれに関わる評論や意見などの情報が簡単に入手できる。
就職活動もそうだ。
見ず知らずの誰かが訪問した感想など聞いて一体何になるのか?
お手本がなければ、何もできなくなってしまっている。
何も知らないからこそ、冒険し、失敗しても力がついていくのである。
例えば、ゴルフもそうだ。
初めてのコースはリスクを知らないから、自然体で攻めることができ、結果が良いことも多々ある。
何回もプレーしていると、先にリスクばかり考えて、攻められないゴルファーが多くいるのも現実だ。
失敗を恐れすぎるとタフさを失っていくのである。
便利で安全で衛生的過ぎることも、タフさを失う要因だろう。
アジアなどに比べると日本だけが特別なんだということに気付かない。
まさに、温室育ちなのである。
今の日本でしか暮らせないようになってしまった若者は可哀相でもある。
日本の復活、再生のトリガーになることは必ずあるはずだ。
こんな現実の中、再び、日本人がタフになるために、色々と試行錯誤しながらでも行動していきたいと思う。
もしかして、とことんまで底に落ちないと変化できないのかもしれないが・・・。
(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2011年1月25日に投稿したものです。)