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記録の世紀、人類はどう適応するべきか?

今、人類がどれだけ気付いているだろうか?私達の日々の営み、言動や行動が記録に残る時代であることに。遠い未来から振り返った時、私達の時代が記録について変革の時だったと語られるのは疑う余地はない。かつて、活版印刷が登場し印刷革命が起こった。その後産業革命と続き今はデジタル革命、IT革命の時代だ。すでに今は記録革命であると言っても過言ではないのである。

先日、ライブでも話したので、リンクします。

15世紀グーテンベルクが発明した活版印刷技術により、それまで人間が書き写していた記録量が飛躍的に増大した。20世紀になり、コンピューターが生まれ、記録がデジタル化により劇的に進化した。

私たちが考えられない膨大な量の情報が記録されるようになった。 インターネットの普及により情報を記録するプラットフォームが次々と生まれ、消えていく時代になった。

記録革命により、私達が知らないうちに情報が記録され、利用されている時代となったのである。

そして、記録は永遠に残る可能性もある。

今回のコロナの感染拡大は、パンデミックであるが情報の感染という意味でインフォデミックの側面もある。情報がネットを中心にあふれ、それを利用する人が世界に沢山いる。一方で不幸なことに真偽分からぬ情報に翻弄される人が増大している。

どちらにしても、いままで情報に無関心であった人も、世界がネットでつながっていていとも簡単に情報にアクセスできる事に気づき、人類が記録の世紀にいることを体験するきっかけになったとも言える。

ところで話は変わるが、DIKWをご存じだろうか?データ、情報、知識、知恵の関係性を定義した考えであるが、私がここで書いている情報は、DIKWの中のIの情報ではなくて、これらを全部まとめて情報と考えていることを断っておきたい。

記録される情報は身近にも沢山ある。

ランダムに書くが、スマホ、ガラケー、SNS、写真、映像、学校、地盤、気象、生活、タクシーなど身の回りに無数にある。

地球と人に関係する情報が丸ごと記録される時代がとっくに始まっている。

しかし私達がそのことを意識して、生活することは少ない。例えば、個人情報。数十年前から色々なところに目的があって記録され利用されていたが、今は比べ物にならない程、見えない所で想像できない記録が劇的に進んでいて、それは同時に大きなリスクも生み出している。情報の記録による被害が増大し、意図しない記録の拡散のスピードも大きくなる時代でもある。意外と一般の人はリスクに気付いていないが、デジタルに記録された情報は簡単にコピーすることができる。しかも拡散された情報がどこに記録されているかを把握することは容易ではない。つまり、簡単には消せないのである。

そもそも記録しているのは誰なのか?

ということをITの専門家ではなくて一般の生活者でもこれからの時代は知識としては把握しておきたい。

企業、個人、行政、学校、プラットフォーマー?本人が知らないところでも様々な情報は膨大に記録されている。そしてそれらの情報がビジネスに利用されているのも歴然とした事実である。また、政治に利用する国もある。今とのころ個人情報保護に関しては、ヨーロッパが一番厳格で、この分野での先進国でもある。GAFAなどに対しても手厳しい。

記録の世紀に生きる私たちは、今までは専門家以外知らなかった情報の記録や利用の方法は、私達も知る必要がある。そして、人類はどのように記録の時代に適応していくかを考えなければいけない。

シンプルに書くと情報はビジネスの視点からは、チャンスとリスクのきっかけになる。

一方、生活者の視点からは、幸せか不幸せかである。情報を知らないほう幸せであることもあり、こういった感覚は大切にしていくべきである。例えば、具体的には無人島でスマホもネットもつながらない場所で生活する。こういうシーンをイメージするだけで、色々と考察はできる。

このような記録の世紀で、我々は情報感度を磨く必要がある。連想発想、目の前のことを 鵜呑みにせず、疑うこと。知れば知るほど知らないことを知ること。不自然さに気づくこと。 不自然さに気づく感度が鈍ってきている人が増えている。情報に対して考えることが必要だが、そのためには自分の判断軸をしっかりと持つ必要がある。

もっとも、危ういものには近づかない。のが一番である。しかし、人間はそういわれると近づきたくなる。こういうジレンマの中、人間が適応する訓練は必要だと思う。

今後も記録の世紀に適応して生きるためのヒントを模索していきたいと思う。

そして、近々に書籍にまとめようと考えている。

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