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課題先進国の日本だからアジアに貢献できる

当社の強みはアジアビジネスの講演やセミナーを日本、アジアの双方で開催している点である。
10年以上継続的に行っているが、自分たちのビジネス活動が俊敏かつ新鮮でないと役立つ有益な情報はお伝えできないと確信している。
そう思うと日々緊張感をもって仕事に取り組める。

最近は、『蟻の目、鳥の目、魚の目』を意識して活動する必要性を実感している。
私自身、ベトナムや東南アジアビジネスについて話をすることが多い。
特に「まるごとベトナムセミナー」はお気に入り。
人口9000万人超の伸び盛りのこの国はそうそう簡単に把握などできない。
ベトナムで活動を始めてもう20年近くになるが、知らないこととの出会いを繰り返す毎日である。

ベトナムでホットなビジネスの分野としては、建設・住宅、農業と食、サービス業などがある。
つまり、人間が生きていく上で不可欠な「衣食住」にまつわる分野が増えてきた。
ローカルマーケット狙いのビジネスにシフトしてきているのは間違いがない。
必然的に、日本の企業だけでなく、世界から企業が参入し、激戦地になりつつある。
日本は、日本の強みを生かした戦い方があると確信しているが、今のままではとても心許ない。
今後、日本がベトナムなどの有望なパートナー国に十分な貢献ができるだろうか?
お互いにWin-Winの関係を長期に続けていけるのだろうか?
不安になる。

私は、どのアジアセミナーでも毎回、聴講者に尋ねることがある。
「みなさん、ご飯にハエが飛んできてとまったら、そのご飯を食べられますか?」

ベトナムでも日本でも、対象者が経営者であっても一般の方であっても、聞いてみるのだが、それぞれの反応がとても面白いし、あることに気づく。
ご飯にハエがとまる様子を漫画を使ってスライドに映す。
感性に訴えてみる。

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予想通り。
今の日本では、年齢に関係なく、食べられるという人はほとんどいない。
昔、食べたことがあるかと聞けば、私の年齢(今52歳です)以上の人は経験があるだろう。
田舎育ちか都会育ちかによっても違う。
いずれにしても、今は食べたくない。
あるいは食べることができない。
当たり前の話である。

一方、ベトナム人に聞くと、8割~9割の人が、笑いながら手を挙げる。
「当たり前でしょう、なんでそんな質問するの?」

「日本人の多くは食べません」と聞くと、不思議そうな顔をする。
先進国をよく知るごく少数派は別として、ごはん(食事の場所)にハエがいない環境など知らないのだ。
私が子供のころの田舎の生活環境とそっくりなのである。
私もその頃、都会の生活体験はないが、都会育ちの友人たちに聞いても、よほど裕福な環境の人を除けば、そんなに大差はない。

日本のような先進国がベトナムなどの東南アジア、さらには将来アフリカなどに出て行ってローカルマーケットを相手に商売するということは、昔の日本の生活環境に戻って生活体験し、そして商売することと言っても過言ではない。
では、この頃の日本はどんな世界だっただろうかと思い起こしてみる。
私は真っ先に、「公害」と「農薬」が頭に浮かぶ。
特に、農薬の怖さが身にしみている。
専業農家で育ったこともあり、子供の頃に農業を手伝う中で、農薬の怖さも体験した。
「吸ったら死ぬぞ」と、親父が真剣に怒っていたのを覚えている。
この頃の日本の農薬は本当にひどかったと思う。
規制も何もない農薬を使い放題の時代だ。
今、日本の農業が世界から安心安全の面で信用されていること自体が自分自身では信じられない。

公害は、もっとひどい。私は田舎で平和に暮らしていたので、尼崎や四日市や川崎などの工業地帯の環境汚染を体験はしていない。
しかし、痛々しい公害の様子や川に浮かんだ魚の映像が今でも脳裏に焼きついている。
そして、その公害のど真ん中の場で生活していた人の体験を聞くと、衝撃的なことも多々ある。

日本も随分とひどいことをしていたし、問題だらけだったのだと痛感する。
今はどうだろうか?
日本は確かに環境先進国だ。
そして、環境面で劣る中国を「けしからん」と批判している。
また、中国以外の新興国の環境破壊に対しても駄目出しをする。
こうした風潮に対して一言言いたい。

「昔の日本を忘れたの?」

今までの日本とこれからの国の歩みを重ねて考えてみると、人間は、ある進化の過程で、必ず同じ過ちを犯す。
工業化を優先したり、利益至上主義で食品に色々な添加物を加える。
そして、汚染された廃水をそのまま川に流したり、空が一面曇って見えるほど、工場から噴煙が吐き出される。

現代の日本は、事実、世界に誇れる環境対策万全の工場があり、安心安全の農業が存在する。
いわば、過去の失敗から学び、時間をかけて改善して課題を克服してきた国なのだ。

私は、最近、好んで『課題先進国』というキーワードを使っている。
あるテレビ番組のドキュメンタリーで使われていたのだが、私にはとてもピンときた。
日本は、優れた国というよりも、課題を克服してきた国である。
それは、経済発展がスタートした新興国や後進国に有益なノウハウがたくさんある国ということである。
過去が反面教師であり、お手本でもあるのだ。

ちなみに、課題先進国という言葉は、もうひとつの意味がある。
それは将来に向けての課題が山積している国という意味も含まれる。
世界でも真っ先に少子高齢化社会を克服しなければならない状況だ。
これから課題を克服できるだろうか?
きっと、日本は乗り越えるだろう。
今の日本では、こちらの意味での使われ方が主であると思う。
いずれにしても、これからの日本の歩み次第では、昔も、今のノウハウも世界の発展に貢献できることは多いと思う。
だからこそ、まず大切なこと。
近い未来で、近隣の国に貢献できることはなんだろうか。
過去の歩みの中で学んだ失敗や教訓、そこから生み出した技術やノウハウを伝えていくことこそが、本当の意味での貢献につながることだと確信している。

(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2015年5月18日に投稿したものです。)


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