仕事も生活も同じ価値あるコミュニティと考えたらどうなるんだろう

忙しい。でも忙しさにかまけて働いた気になっているとせっかく生きている「何か」を享受したり発揮したりできなくなってしまう。そんなぼくが最近考えているのがコミュニティのこと。普段会社というコミュニティに属しているぼくはそのコミュニティによって多くの時間を奪われている。そのこと自体は一概にわるいことではない。

そんなことを考えるようになって実に様々なコミュニティがこの世界にはあることに気づく。家族だってそうだ。大学時代の友人たちとのコミュニティもある。仕事だって1つ1つは実は違ったコミュニティだったりする。僕が世話人になれるようなタイプであればもっと多くのコミュニティに属していたことだろう。一方でオンラインによるいままでなかったコミュニティも生まれている。ほとんど意識することもなかったが僕は実に多くのコミュニティの中に生きている。

どれもとても大切で意味があり僕自身を育むようなものばかりだ。そう思ったとき、なぜ僕らは会社というコミュニティにだけ特別に自分の時間を捧げるのだろう。それを当然と考えてきたのだろう。楽しいから?給料をもらっているから?それが会社との契約だから?しかしあまりにも多くの仕事量を会社という組織の中で背負うことになったとき人は責任感からコンプライアンスを踏み越えてまで進んでいってしまう。

実はどのコミュニティも同じ様に大切で、仕事の質を変えるほどの変容を僕に促しそれがあるからこそ僕は社会的なバリューを生み出すことができているというのに。

バリューを高めることに自覚的であるとき、会社という組織の中だけで時間をむしばまれることほどムダなことはない。時間をただ食うような仕事は個人的には機械に任せたいし、ぼくに限っていえばそれはまるで死と同じだ。そう思うと社会に対して圧倒的なバリューを生むには、自分にとって最適な出口となるコミュニティを選ぶべきなんだろうと思う。様々なコミュニティを組み合わせた先に僕が出口として選ぶコミュニティ、それが僕にとっていまもっとも働きたい企業だと思う。

ぼくは自問する、それはいま働いている会社なのだろうか。そして様々なコミュニティを僕はどう選び組み合わせるのだろう。キーワードは「未来」だ。それらが残すに値する未来のためのコミュニティかどうか。現実の社会をわずか3%、残すに値する未来へとずらすことができるコミュニティを心から求めている。

限りある命を未来のために燃やし尽くしたい。いま僕は本気でそれを探し求めている。

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