たっちゃんのこと

僕には仲の良いおばさんがいる。母方の5人姉妹のおばさんたちだ。そのうちの一人、5人姉妹の4番目にあたるたっちゃんのことを書こう。

幼い頃千葉県に住んでいた僕ら家族は夏休みや冬休みになると母方の祖母がいる大阪へと帰省した。そこでいつも僕らを温かく迎えてくれた一人がたっちゃんだった。僕が幼稚園の頃は確かまだたっちゃんは独身だった。河内松原の祖母の家からさほど離れていない近所の駄菓子屋まで、土壁に挟まれた道を僕ら幼い兄弟の手を引いてよく連れて行ってくれたのが確かたっちゃんだったと思う。

僕らにとってはおばさんにあたるのだが、おばさんと呼んだことは一度もなく、いつもたっちゃんと呼んだ。それぐらい距離が近かったのだ。ちなみに三女である母のすぐ上のお姉さんはまっちゃん、ひとつ下の妹がたっちゃん、一番したの妹がかよちゃん、長女ののぶこおばさんだけは北村のおばちゃんだった。少し大きくなった頃、当時はのぶこおばさんを除いてみなまだ結婚していなかったから、おばさんと呼ばせないように姉妹の間で取り決めをしていたらしいことを聞いた。

結婚したのが5人姉妹で一番最後だったからだろうか、大阪に帰省した僕らの面倒をたっちゃんはよくみてくれていた。先述の駄菓子屋しかり、境内の4人乗りブランコやレンゲのあぜ道など、小さな手を握っては連れて行ってくれた、と思う。たっちゃんは小さくてかわいらしく、一方でとてもさばさばした女性で、どんな時も変わらず僕らに対して優しかった。僕はやんちゃな方だったと思うがたっちゃんに怒られた記憶はない。だからかは知らないが、僕はたっちゃんが大好きだった。次男だったせいか、誰に遠慮もなく自由きままにふるまう僕を、どこか理解してくれているようなところがあった。これも後から聞いた話だけど、たっちゃんにはもっと自由にやりたいことがあったのかもしれない。そのきゃしゃな体の奥に情熱を隠しもっているようなところもあった。

祖母の家でのある日の光景が目に浮かぶ。それは五女のかよちゃんが結婚することになり、白無垢姿で、広い畳の居間に親戚みんながいて、にぎやかな笑い声があちこちから聞こえていた、僕がまだ幼稚園の頃のことだ。どんな話の流れだったかほとんど覚えていないが、たっちゃんが少し寂しそうな表情をみせたのを僕は見逃さなかった。「たっちゃんには僕が指輪を買ってあげるよ」と僕は宣言した。たっちゃんのためにとんでもなく大きな指輪を買ってあげると僕はいい、その時にたっちゃんがとても喜んでくれたこと。

僕の心にはその指輪の約束がずっとあった。中学3年生の僕が父親の転勤の都合で急きょ大阪の高校を受験することになり、2月の末からあたふたと2週間あまりたっちゃんの家で寝泊まりさせてもらった時も、合格のご褒美にとなんばシティのロケット広場に連れて行ってくれた時も、大学卒業後会社を飛び出して無職となり、居候となってたっちゃんの家に転がり込んだ時も。そして今に至るまでずっと。僕はいつかたっちゃんに指輪を買って恩返しをしたいとずっと思っていた。

だけどそれはもう叶わない。昨日、たっちゃんはけがをして入院することとなった病院の一室で亡くなった。

僕にはもっとたっちゃんにしてあげれることがあったはずだ。そして恩返しをしなければいけなかったはずだ。たとえ大きな指輪は買えなくても、その代わりにできることがたくさん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?