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硬派物語⑥

こ数日、全国で一番の最低気温を更新している信州富士見高原です。
参った氷張ってます。

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硬派物語、続きをいってみましょう。
薄っすらとしたのが好まれるのがこの頃ですが、濃い目の野郎たちの物語。
しかしこれがあったから、硬派はうまれたのです。

Episode⑩ いいボードとの出会いは人生を変えることがある。

人であれモノであれ、その時のその出会いが人生の根底までに影響を与える。
よき出逢いを。
それは最高の幸せだと思う。

Konayuki Snowboardsも同じように、乗る人をブルブルと震るわせるような刺激ある板でありたいと思って創っている。

なぜそう思うかというと、俺自身が20年前に出会ったボードも凄いボードだったからだ。

クマさんがウインタースティックに胸を焦がす同時期、俺はTEAM BURTON JAPANを離れることを決める。

その頃バートンを出るということは、イコールでアイツはもうだめだ。
というくらいバートンにはバリューと信頼を過剰に持ち、加えてバートン教の信者も多かった。
『今もバートンに限らず宗教みたいなブランドもあるけれど(爆笑)』

俺はというと・・・
コロラド州ブレッケンリッジのW-CUPでみたフランスのHOT Snowboardsの非対称ボードにノックアウトされていた。

ユーロスタイルはズレの少ないユーロカーブを描き、アメリカンなスタイルとは一線を画して圧倒的な速さでW-CUPを席巻していた。
それも髪の毛の長い細身長身、女子のような金髪野郎がSuper-Gでは俺よりも15秒も速かった。

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俺は思ったね~~~このままじゃ、日本はダメだ!!
俺の見ていた世界は小さすぎて、本当の世界はやっぱり知らないことだらけの世界だった。
今この時に外に出て滑りもボードの進化にも貪欲にならなかったら、いつまでも伸びたり縮んだりのバートン滑りになっちまう。。。
それもヨーロッパにだ、と危機感を感じた1990年の冬。

菊地さんは山に向かうためにウインタースティックを求め、俺は日本で1番はもとより世界で戦うためにHOTを求めた。

滑るフィールドは違えど、魂の震えのままにそれぞれのボードを自分のために選ぶことになる。
フランスの片田舎グランシャバン社で作られるHOT。
それは革新的でいて洒落ていた。
オマケにユーロカーブとハードブーツと深めのサイドカーブ。
完全な非対称ボードはどこまでも続くカーヴィングターンでイキそうになったもんだ💛

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HOT PRO TEAM はそれからの数年間数々のワールドタイトルを手中に収め、本当に強いチームとして君臨する。
っても、俺はそんなタイトルを手中にしたわけではないけどね。

クマさんはフワフワの山へ、俺はカチンコチンの青氷のレースバーンへ。
フィールドは違えど己の信じたボードを手に入れ、ウキウキで滑りまくる時代に突入して俺たちはそれぞれの夢を追いかけることとなる。

がっ、北海道ではクマさんの身に・・・ 続く🐂

投稿日 : 2017/11/01

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