なんか そうじゃないかな。と
今朝は久しぶりに近所のパン屋さんに行った。
1年ぶりくらいかな。
半年前くらいにお店を少しリフォームされて、白が基調のシンプルでかわいい雰囲気になっていた。
うちの両親とそう変わらないくらいのご高齢のご夫婦のお店。
こっちに引っ越してきてから10年経つけれど、初めて会った頃と比べたら店主のお父さんもレジ担当のお母さんもだいぶ腰が曲がられた。
今は息子さんも一緒にされてて、数年前から目新しいパンがたまに増えてたりする🍞
会計の時、お母さんの
「これね、この前試作してみたら美味しかったから出すようになったんですよ。
あ。ちょっと待ってて。いま焼きたてがあるからそっちと替えますね。」
って、そんな対応と控えめな笑顔に胸がぎゅっとなる時もあって
お店を出る時には自分も少し優しい人になったような気がする。
気のせいなんだけど。
夫がすきなパンが買えて、単純明快な夫はやっぱり喜んでくれて(新作の、デニッシュ生地のカレーパンも美味しいと満足してた)なんだか今日は朝の時間がシンプルで気持ちいい。
今は、自分のまわりの出来事がそれほど重たく感じない。
それは自分以外のまわりの人たちが重さを担ってくれているからだなとも思う。
兄の1人暮らしに向けての話し合いを、姉が半年前から細やかに進めてくれている。
兄を担当してくれているケースワーカーさんとは10年の付き合いになる。
最初は頼りなく感じていた(お世話になっている身ですみません。)ケースワーカーの彼女は経験を積まれ、今は、兄の状態と性格をふまえながら相談にのり、提案をしてくださるようになった。
B型就労に通っている兄の状態は相変わらずの波がある。
体がきつい。きつい。尋常じゃない。
と連絡してくることもある。
薬も効果があるのかは分からない。
でも、1番にわたしに連絡が入る事は以前に比べて断然減った。
根っからの人懐こさとお人好し感からか、スタッフさんからの応援を得やすいのは兄の強みな気がする。
根が単純なゆえに裏表が出来ないのは無防備で危ういけれどでも、人間らしくてほおっておけない一面と映っているのかなと思う。
お金の管理や、最低限の家事、状態がよくないときの自分なりの対処法…まわりの人たちの助けを得ながらどうにか自分で生きていくやり方を兄本人を真ん中に置いて考える。
兄自身が、病気と共生していく自分のこれからの生き方を考える。
それを姉が主導で進めてくれている。
第三者の人たちとの連携や信頼関係はこれまでの数年間で姉がしっかりと築いてきてくれた。
父は、自分が生きている間は兄を1人暮らしさせる気はないし、成年後継人も自分がいる間は務めると言い張っていたけれど、
それではすぐ先で詰んでしまうのは明らかだった。
いつも明るく、父の要望には大概何でも快く応じながら実家を支えてくれていた姉は、父に言ってくれた。
「お父さん、その考え方は違うよ。
もう、両親がいなくなった後にあの子がどうにか自立して生きていけるようにしておかなきゃいけない時期に来てる。
私もmiyaも自分たちの家庭がある。
お父さんが居なくなったその時からあの子が急に1人でやっていけるわけがない。
自分でやっていけない場合に、私たちは自分の家庭よりもあの子を優先させることはできないよ。
成年後見人も、ちゃんとした第三者に任せることが大事だし、お父さんには死ぬ前に
"ああ、これであいつはどうにか生きていけるな"
とそういう様子を見届けてほしい。」
「…わかった。
成年後継人のことも、裁判所に行ってくる。
あぁ。俺はあいつの為に生きてるようなもんだな。」
父は苦い思いを少し姉にぶつけたくて言ってたのだろうけど、
姉はもうこの先の道すじをイメージして、進めていくことを真剣に考えているから1ミリも揺らがない。
底なしに優しくてきびしくて、分からないことは即座に白旗掲げて人に頼ることも厭わない、力強い姉。
わたしにはそう見えてる。
兄の事ばかりを考えていた時期。
私が生きている理由は、
"どうにもならなくなった時には兄を殺して私も死ぬ為だ"
と思っていた時期。
確かにあったはずのそんな、息も感情も殺して過ごしていた数年間。
そこからもう30年程経った。
兄もわたしも生きている。
手立てが無いのかもしれないと、背中で冷たさを感じながら綱渡りのように進んできた。
母は兄の心の安寧を願い、宗教に明かりを求めていた。
そうこうしながら時代が過ぎていき、病気に対する世間の認識もだいぶ変わった。
私が引っ越しで物理的に実家と離れたあと、先の未来を姉が懸命に繋いできてくれた。
ケースワーカーさんとの面談の時、兄の状態が悪い時、
「miyaちゃんの方が、私よりあの子の気持ちがわかると思うから。どうしたらいいと思う?参考に聞かせてほしい。」
姉はそんな風にいつも連絡をしてきてくれる。
離れていたら口しか出せない。
労力は全部姉と義兄にお任せになるのが申し訳なくて、せめてガソリン代にしてとパート代から少しの送金をするくらい。
心を使って相手と向き合うのは端金では全く見合わないけれど、
姉はいつも
「今から子どもたちにお金掛かるんだから、こんな気を遣わなくていいからしっかり貯めとかなきゃ。ほんと気を遣わなくていいんよ。」
と言ってくれる。
優しいときびしいをコントロールするのが断然苦手なわたしが太刀打ちできない部分を、姉は自分の手が傷んでも諦めずに切り拓いていこうとしてくれる。
それが当たり前のことだと受け入れて。
姉が見ているのは20年後、30年後だ。
姉もいっ時は母と共に宗教にどっぷりだった。
姉らしさが失われてはいなかったけれど、宗教で言われることに対する優先順位は高かったし、兄の状態のことは「甘えだ」と切り離していた。
私が訴える、父と兄の関係性についても耳に入れるのを嫌がっていた。
今は姉もわたしも、お互いの言葉がよく分かるようになったと思う。
大きかったのはそれぞれに子どもたちを育てていく中でたくさんの感情を抱き、人間をじっと観るという行為を繰り返してきたことだと思う。
よく分からない表現だけど、
どういう世界であってほしいか。
そんなことに繋がっているような気もする。
本で読んでも分かるようで分からない、言葉じゃ片付かないような部分。
「甘え」とか、そういう表面に浮かんで見えるところだけじゃなく、もっと踏み込んだ部分。
相手のしあわせを願う という根底がないと見えてこない部分。
兄のことを話題にする上で、「結局、甘えなんよね…」だけで話が終わったりはしない。
甘えも確かにあるんだけど、それは承知でこの先どうするか。
専門知識のある第三者を交えて、兄の意思や要望も聞きながら話し合いをする。
甘い話にばかりにはならない。
酷だけれど、兄が生きていく道はこれからも苦しいだろう。
きっと劇的に症状が治るなんてことはもうないだろうから。
兄に自覚を持ってもらいながら、でも、
"あんたが苦しい中でも頑張るなら出来る限り応援するつもりはあるよ。"
と伝えながら。
支えたり、励ましたり、どこがどう作用してるのかは空気だから見えない。
認知機能に不自由がある母の生活面をサポートしているのは父で、父と同じ家で暮らしていることが大きなストレスになっている兄がいて(父さんが嫌いってわけではないんだけど…と兄はいまだに前置きをする。)、根っから明るくて朗らかな母のひと言に笑う父がいて。
だいぶ大きくなってきたわが家の子どもたちは3人の何となくの関係性は感じ取れているようで。
それでいて3人を好いてくれている。
両親は孫たちの成長を心から願って、なにより楽しんでくれている。
兄は自分の事で手一杯で余裕がない時が多い。
けど、兄なりに子どもたちの事はかわいいと思って大事にしてくれているのは感じる。
そんな事をふわふわ思ったのは、朝のパン屋さんに行ったからかな。
*ithem_noramoyoさんのイラストをお借りしました。
ふんわりとてもかわいいです🍞✨
ありがとうございます🥖