2021年4月14日

 ドッグトレーナーTさんのレッスンは、六回コースの最初のクールで飼い主もとても勉強になり、こなつとのコミュニケーションが取りやすくなったので、二周目をお願いした。毎週ではなく、家での練習がじゅうぶんになってから次の回に行く形式にした。
 もっともすべてが順調というわけではない。服についてはTさんが上手に乗せたときでさえ「ごまかされている」「いやだな」「早く終わってほしい」という感じだったけれど、家では服に乗せたおやつを食べることさえしない。かっぱは二度ほど着たものの、その後は後退してもう着たくないと強く意思表示する。
 Tさんが言うには、手術がよほどいやだったのだろう、そこまでと思わずテンション上げて着せる方法でいけると思って申し訳なかった、ということだった。Tさんが悪いのではない。私だって服がそこまで根深くいやなんだとは思っていなかった。かっぱについても、服じゃないのだし何度か着たから大丈夫だと油断していた。しだいに「もしや、これも服なのでは」と気づいてしまったようである。そうしたら断固拒否、もうぜったいにいやなのである。

 半ばあきらめて考えを変えることにした。服が苦手なんてそうたいした問題ではない。けがや病気にそなえて成犬前に慣れさせたかったけれど、そんなのは人間の都合である。エリザベスカラーのほうがかえっていい個体もいるようだし、慣れるのに一年でも二年でもかけたらいいのだ。すぐけがをするというわけでもないのだし。
 そのように話すとTさんはとても喜び、その切り替えはとても良い、服なんかなくても死なない、と褒めてくれた。そうして、あれもできるからこれもということはない、というようなことを語った(Tさんは日本語ネイティブではないのでこまかいところは雰囲気で聞いている)。たしかにそうだ。できるからといってあれもこれもと期待値を上げすぎてはいけない。ピンポイントでこれだけがいけないというのは私にだってある。折り合いをつければいいのだ。八時間以上日常的にお留守番ができるだけで百点満点以上、ほかのことだって褒めるところが何百もあるのだ。服くらいなんだ。
 ついこのあいだまでクリップ式の首輪を使っていて、今でも首輪のつけはずしはよくする。たいていは簡単につけさせる。まれに逃げてみせて追いかけっこを仕掛けてくることはあるが、本気で拒絶したことはない。
 Tさんの推測によれば、首輪はつけはずしについては、やれば散歩など良いことがあるとわかっていて、なおかつつけていていやなことはとくにない、それに慣れているからだ、ということだった。だから首まわりにゆるめのひらっとしたものものをかけ、「何かを首に通す→よいこと(おやつ)」という訓練を気長にやるのがよいと言う。ああいいさ、気長にやるさ。

 そのほかのトレーニングの目標は歯ブラシを使った歯磨き(赤ちゃんのときから歯磨きシートを使っている)、できればドッグスリング。スリングについては服の二の舞になるといけないので、出しておいてまずは慣らすということだった。しばらく出してその上でおやつを食べさせたりしていたのだけれど、私が不器用なために自力では上手にスリングに入れられなさそうであきらめて仕舞ってあった。スリングの存在に慣らしておいて教室でやってみようということで、また出すことにした。

 「毛刈り」ことスリッカーブラシでのブラッシングには完全に慣れた。顔周りでちょっといやがるが、あとはだいたい問題ない。最近はフードを人並み(犬並み?)にしか食べなくなって食べムラがあるからか、ブラシ中のごほうびフードさえ必要としないこともある。そして抜け毛の量は急速に減っている。おおむね春の花粉症の時期と同じようにはじまり、同じように終わるようだ(飼い主はスギ花粉症がひどく、ヒノキ花粉症もわりとひどい)。
 しかし油断は禁物である。あまり毛が抜けなくなっても定期的に普通のブラシでブラッシングして慣れさせようと思う。一歳を過ぎて豹変して過敏になる犬もいるということだから。

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