2020年11月20日

 こなつの散歩コースが定番化した。私の誘導するほうにスムーズに歩くようになり、立ち止まりが減ったので(もちろんまだあるが)、時間の見当がついて、出勤前などでも「このあたりまでなら行って戻ってこられるな」とわかるのである。自宅のすぐそばの公園を起点にし、そこで犬たちとあいさつしたり遊んだりしたあと、歩くことを目的として出かける。
 余裕のある朝や休日の昼間には上野公園へ行く。こなつはここに行くとしばらく戻りたがらないし、私も公園を歩くのは好きだから、近所の公園まわりと往復の道のりをふくめて最低一時間半コースである。休日には三時間ほどの外出を楽しんでいる。
 上野公園本格デビューまでには少々時間が必要だった。四ヶ月の段階で公園には行っていたのだが、途中の高架などで止まってしまうので、公園を楽しむ前に時間またはこなつの集中力が切れてしまうのだ。好きなだけ立ち止まらせる日と、立ち止まりポイントでだっこして公園を楽しませる(ワープと呼んでいた)日を交互にやって慣らした。今ではすいすい歩いて行く。公園が好きなものだから、近づくとすいすいからぐいぐいに変わる。

 私は犬が自分の前を歩くことを禁じていない。常に私の左側をキープしていれば良しとしている。超小型犬なら踏みそうで怖いから横にいてほしいが、柴犬くらいの大きさがあれば前に立って自分で判断しながら進むのは犬にとって楽しかろうし、ときどき私を振り返って「これでいいかしら」と確認するようすもかわいいし、そのプロセスで頭を使うのも犬にとって良いだろうし、危険があれば私がリードを引いて止めてやればいいのである。
 思考と判断は成長中の生物にとって重要なことである。具体的には、身体だけでなく頭も疲れさせないとよく眠らない。毎日遊び、遊びの中で頭も使い、そしてばしっと寝てくれるのがいちばんだ。
 そんなだからこなつにはぜひ頭を使ってほしいのだ。そうすれば私の仕事中にはぐうぐう寝ているし(たいていよく眠っている。わりと初期からお留守番の上手な犬である)、リビングで過ごしているときも興奮や要求が少なく穏やかに過ごせる(こちらはまだまだである)。朝晩のリビングの平穏のためには散歩時の頭と心を使うチャレンジが不可欠である。

 こなつは上野公園の土のある場所をひとおり楽しむと(犬はほんとうに土が好きだ。好きすぎていつのまにかだいぶ飲み込んでいて吐いたこともある)、他の犬や子どもに近寄ってかまってもらい、大道芸を見物し、噴水前で休んでおやつをもらい、また歩き、掃き寄せられた落ち葉を蹴散らし、興奮して私にとびついて叱られる。

 とびつきはリビングで私が膝と手足をついてする「犬ごっこ」のとき以外では禁じている。犬ごっことは、ワクチンが済む前のこなつがあまりに暇そうだったので、私がリビングで四つん這いになって犬のふりして遊んでやっていた、その遊びの名である。
 こなつはもう散歩ができるから運動量に問題はないし(一日二時間、日によって三時間の散歩をし、室内でも遊んでいる。これで運動不足なら立つ瀬がないというものである)、犬仲間もできたし、保育園経験後は遊びかたもこなれてきたし、どこへ行っても通りすがりの犬たちがあいさつをさせてくれるから、私が犬ごっこをする必要はもうないのだけれど、リビングでかがんだときなどにこなつが「やった」という顔で犬ごっこに誘ってくるものだから、かわいくてなつかしくて、つい乗ってしまう。こなつの遊び相手が私と私の家で犬をかまってくれる人々だけだった、ついこのあいだの、永遠のように遠い八月。うだるような暑さの中、毎日だっこして連れ出して外の世界を見せてやっていた夏。こなつが赤ちゃんだったころ。

 日が暮れたあとにまとまった散歩をしたいときの定番は浅草、次いで上野の繁華街の側だ。浅草までは広めの歩道が確保されていて街灯も明るく、車道がない場所も多く、飲み屋街やBGMの大きいアーケードなど刺激も豊富で、浅草寺に着けば境内は公園のようにしつらえられ、他の犬とも会える。こなつもご機嫌である。
 こなつはここで人混みの歩き方を覚えている。まだ少々手間取るが、人の動きを見て自分の動きを決めているようすが見受けられる。車道がなく適度な人混みがあるので練習にはもってこいだ。車がびゅんびゅん行き交う大通りの横の通勤時間帯の歩道もたまに体験させているが、夜の浅草寺界隈での練習をはさんでいるからか、なかなかの上達ぶりである。
 上達したので近ごろは上野の繁華街も歩いている。駅前の巨大な交差点の複雑な人通り、大量の店が発する大量の音声、不意にしゃがんで犬をかまおうとするほろ酔いの人、食材を積んで運ぶ途中のカートからこぼれる果物、それを慌てて拾おうとする人、クラクション、工事、ペット不可の店のテラス席から「え、かわいい」「こっちおいでー」と呼ぶ人。
 私の子犬はその中を歩く。勇ましい子犬である。上手に歩けてえらいねえと褒めると、口をあけてハッハッと息しながら、私の目を見て大きく笑う。

 週末には犬の飼育経験のある友人が家に遊びに来て一緒に散歩してたくさん写真を撮ってくれた。子犬の歩き方は「二歳半の人間そっくり」だそうだ。そういうものかもわからないが、返事は保留した。人間の子のある人はよく犬を人の子にたとえるが、犬を飼っている側としては人の子と一緒にしちゃあ悪いだろうと、そう思うのである。
 家に私がいてケージをあけていても眠るようになってはいたが、この日は来客がいる状態でソファで眠った。

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