2021年7月2日

 子犬は一歳を過ぎたら落ち着くとか、一歳までしつけをがんばりましょうとか、そういうせりふはいっぱい聞いてきた。でも一歳になる前にも次々と進歩を見せていたし、部屋で静止して過ごす時間ができたとはいえ、元気さや好奇心や学習意欲(?)はいや増しに増すばかりという感じで、「まあ一歳を過ぎてもこんな感じで、判断力がつくから赤ちゃんのときみたいに心配しなくていいけどエネルギーはそのまんま、というくらいなんだろうな」と思っていた。

 そうして実際に一歳を過ぎてみたら、この予測は半分しか当たらなかった。
 元気は元気である。平日行きつけの公園が三つ、週末行きつけの大きい公園が二つあり、顔見知りの犬がけっこういるのだが、今でもしばしば「元気ねえ」と言われる。公園に顔見知りの犬が集まる時間帯には、他の若い犬の三倍くらい動きまわる。そうしていろんな犬を遊びに誘う。
 先日はこなつが生後七ヶ月の子犬を遊びに誘ったのだが、その子犬は狼狽したようにおすわりして私を見上げ、「あの、この先輩いつもこんな感じなんすか」みたいな顔をしていた。こなつ、と私は言った。おまえ七ヶ月の子に呆れられてどうすんのよ。
 遊べれば満足だった子犬のころよりは知恵がついたので、取っ組み合いで競り負けそうな相手だと向かい合ったままシャッシャッと左右に跳んで挑発したり、ボールやフリスビーで気を引いたりする。敏捷さは折り紙付きで、こなつと同じくらいの速度で遊ぶ犬は一頭しか見たことがない(ミニチュアピンシャーだった)。「体育5」と言われている。家でもしょっちゅう「遊んで遊んで」である。
 でもその元気さが無限に続くのではない。
 気が済むと猫みたいに腹を出してゴロゴロする。人間がソファにいると一緒に座る(そのまま服をかじろうとして叱られたりもする)。人間の料理中や朝食中にはダイニングの床で横倒しになっていたりする。私はそれを「横倒し犬ちゃん」と呼んでいる。そのまんまである。
 夜はとくに落ち着いている。先日ははじめて同居人に犬をまかせて近隣のジムに行ってみたのだけれど、私がいなくても落ち着きは変わらず、小一時間ずっとソファで丸まって、人間が立ち上がったら人間が座っていた部分にのっそり移動してまた丸まったそうである。ぬくもりを求めているのか。たまらんかわいさである。
 
 散歩中ときどき会う六ヶ月の子犬の飼い主さんは自分の犬をさして「too 元気」と言っていた(飼い主さんは外国人である)。一歳一ヶ月のこなつは元気だが、too 元気ではない。
 子犬のころはケージに入れないと常時動いていた。ケージの中にいてもけっこう動いていた。生後六ヶ月まで犬ベッドを正しく使うことがなく、疑似獲物としてだけ使っていた。顎でがっちりとらえてぶん回して乗っかって踏みつけ、自分の頭を下に入れて投げ飛ばし、また噛みつくといった具合である。ベッドなのに寝るのに使ってくれなかった。よその子犬の倍食べて(フードの袋の目安量の実に2.5倍以上)ひたすら動いていた。毎日ばかみたいに大量の散歩をして、頭を使うしつけもそれなりにしていたのに、である。
 今でも興奮したときや退屈したときには家じゅうを犬走りし、自分のおもちゃを地面に降りた鳥かなにかに見立てて襲いかかり素早くくわえて走る。これは子犬のときにはあまり見られなかったしぐさである。犬ベッドもしょっちゅうぶん回している。なお、こなつの中では犬ベッドが反対側に折れた状態(傘でいうおちょこ)になると「獲物が死んだ」ことになるらしく、攻撃をやめる。表に返してやるとまた楽しそうに襲いかかる。散歩も全盛期より少々減らしたが、それでも大型犬なみにしている。
 けれども今のこなつは、犬ベッドに丸まって時を過ごす。ソファは人間が優先と理解しているようで、ソファが定員いっぱいだと隙間にはさまってくるが、そのうち犬ベッドか床の気に入っているところへ行く。ソファの座面があいているときにはそこで丸まる。食欲は急激に落ち着いたあと少々の波があり、ドッグフード会社の標準より少し多いくらいの量を食べている。
 おもちゃや犬ベッドへの狼藉のしかたもそういえば変化していて、ちょっと複雑化している。あきらかに「ごっこ遊び」をしている感じがするのだ。「犬ベッドがこうなったら死んだってことなの」とか、「このおもちゃは今、地面にいる鳩ね、ソファから飛び降りて襲いかかります」みたいな感じである。ほんとうは動かないとわかっているけれど、動く獲物ということにして楽しんでいる、そういう動きなのである。

 そんなわけで「落ち着きのある犬になった」とはとても言えないのだが、ある種の落ち着きは獲得した。行動からカオス成分が減り、人間の目で見ても何らかの法則が感じられることが増えた。だから一歳になる前の予測は半分当たり、半分はずれである。

 そうそう、こなつは最近、雨のなんたるかを覚えた。
 こなつは雨を恐れない子犬であった。雨の中でも散歩したい、雨の日は公園の地面を掘るのが好き、水たまりも好き、雨樋から落ちる水も好き。でもシャワーの水をかけられるのは嫌い。そういう子犬であった。
 今でも恐れはしないし、雨の中の穴掘りも大好きなのだが(埋め戻すのは私だ。雨の中で掘られては埋め、掘られては埋め、無間地獄である)、どうやら「雨の中で長時間遊ぶと濡れて不愉快」「シャワーをかけられた時みたい」という事実に気づいたようである。雨のたびに「釈然としない」みたいな顔をしていたのだが、先週とうとう「帰る」という意思表示をした。隣の公園にいたのだが、すたすたと家に向かって歩き始めたのである。
 私は感激した。好きなことばは「散歩」、嫌いな言葉は「帰る」、雨だろうが手術後だろうが三時間散歩したあとだろうがそれは変わらなかったというのに、自分から帰るとは。すごい。たいへんなことだ。そう思った。
 その後のこなつは雨についての理解をさらに深めた。昨日今日は散歩中に隣の公園より遠くへ行こうとすると明確に「行きません」と意思表示するようになった。そうして公園の中で遊び、排泄を済ませ(がんばってしつけたつもりなのだが、八ヶ月あたりからおなかがゆるくならない限り家で便をしない。小用はする)、気が済むと「さて帰りますか」と意思表示するのである。遠くへ行ったら帰路が長くなってずぶ濡れになると理解したらしい。
 散歩そのものには喜んで行き、排泄以外にも遊んだりしているので、絶対に濡れたくないという感じではない。一定以上は濡れたくないということらしい。柴犬はダブルコートだから、こなつとしては「アンダーコートにしみこむまではセーフ」という感覚なのかもわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?