2021年3月16日

 こなつがだいぶ大きくなり、5月の成犬のときが見えてきたので、このnoteにつけている飼育記録を見返した。そうしたらブリーダーさんに見学に行ったときのことを書いていなかった。うちに来た日から飼育記録を始めたからである。そのうち記憶も薄れてしまうだろうから、今のうちに書き留めておく。

 こなつは栃木県のブリーダーFさんの犬舎で生まれた。
 飼い主は二年ほど前からあたためていた犬の飼育計画を疫病禍で前倒しした。犬を飼えない主な理由が出張と趣味の旅行だったからである。
 犬種ははじめから柴犬一択だった。その前の住居もペット可ではあったけれど、犬を飼うにふさわしい広さの物件に引っ越し、万端ととのえてブリーダーを探し、Fさんのところに決めた。口コミ的なもので決めたので、てきとうである。結果的には大当たりだったと思う。飼い主は気の強い雌同士で暮らしたいという願望があったので、Fさんのところの雌の子犬を見学するために予約を入れた。

 そうしたら疫病禍のために犬が飛ぶように売れていて、ブリーダー仲介サイトに出ていた子は予約されてしまったという。でもまだ情報を出していない雌の子犬が生まれていますから、とFさんは言った。その子たちでよかったらご見学にどうぞ。三頭の姉妹です。
 Fさんの犬舎は山の中といっていい場所にあった。とはいえ近隣の駅から車で少々で着くのだから便利なところである。道々Fさんが語るところによれば、疫病禍による犬ブームはたいへんなもので、柴犬が数万円から十万円値上がりして、よそでは良い犬は三十万円超えもざら、とのことだった。そんなの柴犬の値段じゃないですよ、というのがFさんの持論だった。でもうちでもちょっとだけ値上げさせてもらってます。具体的には二万円上げてます。はい。すみません。血統も状態もとても良い犬たちなので子犬一頭二十万円を超えてしまいます。健康診断は無料でつけてます。遺伝病はきわめてまれな脳の病気以外は検査済みで、これももちろんお金はかかりません。でもそのほかに一回目のワクチン代がかかります。
 私としてはもちろん異論なかった。市場原理である。

 ちなみにこの値段は標準の柴犬のもので、「豆柴」を名乗る小型の血統につく特別の価格ではない。あれは天井知らずである。
 そんなに小さい犬がいいなら別の犬種を飼えば良いと思う。柴は十キロ前後が当たり前で、個人的にはそれくらいの大きさがないと壊れそうに感じて一緒に暮らしにくい。
 こなつは十一ヶ月段階で八キロ弱、見た目はそれより小さいらしく「豆柴ですか」と訊かれることが多いが、しっかり「いえ、ふつうの柴犬です」と答えている。私としては豆じゃないほうがいいのだ。

 駅前まで迎えに来てもらって敷地に入る。車を止めてから砂利道を上がる。そのあたりから敷地なのだという。犬舎はとても大きく、たいへん清潔である。聞こえてくる犬の声もとげとげしくなく、のびのびとしている。これは当たりだなと思う。
 事務所らしき気取らない部屋に通されて待つ。ほどなくFさんがとても良い笑顔で赤ちゃん犬を三頭入れたバスケットを持って戻ってくる。きょうだい犬と親犬を一定の月齢まで一緒に育てるのだという。適切な方針である。
 三姉妹を順番にだっこする。一頭はすでに柴犬っぽい色白のおっとりたぬき顔、もう一頭はこの月齢に特有の鼻面の黒さがありいかにも愛らしいアイドルフェイス、もう一頭はさらに黒っぽい鼻面のいわゆる「どろぼう顔」(柴犬の子犬を愛でるときに使う慣用句)で、いちばん活発に動き、表情もいかにも強そうで、はっきりとこちらを見る。
 一頭ずつ机の上に置く。白い子はあまり動かない。たぶんまだ半分寝ている。ちょっと黒い鼻面の子は用心深そうにこちらを見ている。いちばん黒い鼻面の子はよちよちと歩き、私の顔の前でぴたりと止まっておすわりし、幼いながら一丁前の犬らしい声でわんと鳴いた。そして体格のわりに驚くほど大量のおしっこをした。
 そのいちばん度胸のあった犬が、のちのこなつである。

 この子いいですねと言うとFさんは「元気な姉妹ですが、この子は格別です」と言う。家庭犬として一般的にいちばん人気があるのは、ほどよく活発でほどよくおっとりしている愛らしい容姿の犬だろう。でも私はなにしろ気の強い雌が好みなのだ。それに私の腕の中で「はい、ここね」という顔をしている。
 うちに来る、と訊くと、まるでそれが当然のような顔をして、フスフスと私のにおいをかいでいた。Fさんがリボンを出してその子犬の首に巻いた。
 両親犬も見せてもらった。いずれも端正な顔立ち、筋肉質の痩せ型で脚が長く、裏白がくっきしていて健康そうだった。おとうさんの名前はツバサくん、おかあさんの名前はレイちゃん、とFさんは言っていたけれど、いずれも8月になってからもらった血統書にはまったく別の、いかめしい「○○号」みたいな名前が書いてあった。どうやら血統書つきで子をなす犬には正式名と愛称があるらしい。
 事務所に戻り、犬を買うための契約書を書いた。それから犬についての世間話などし、Fさんの車で駅まで送ってもらった。
 Fさんによれば、犬を売らない相手もいたのだそうである。その場で断ったのは一件で、「子どもがほしいというから。裏庭に放してエサやっとけばいいんでしょ」という人だったそうだ。Fさんは怒り心頭に発し、そんなことしたら死ぬ、あなたに犬は売りません、と宣言したとのことだ。結構なことである。そんなやつの人生には犬を与えてはいけない。
 そこまでいかなくても、バカ犬って言われるのはだいたい飼い主がちゃんとした飼い方してないから問題行動を起こすんですよ、自分の犬舎からはそんな犬が出てほしくはないですね。Fさんはそのように語り、私はがんばりますとこたえた。
 そのほかに印象的だった話は、柴犬が外でのトイレを好み、ハウスではたとえトイレを設置していても出し渋るという話だった。Fさんは近隣の住宅地から車で犬舎に通っているのだけれど、台風やなにかでスタッフ全員の出勤が遅れることがある。いちど川があふれそうになってどうしても行けなかったときは気が気ではなかったそうだ。
 他の犬種はしぶしぶでも中でしますが、とFさんは言った。柴ちゃんはがまんしてしまうんです。からだによくない。ほんとうに心配しました。きれい好きも度が過ぎてはいけません。少なくともおしっこはしてほしい。でもうちの子たちは日中に敷地内の犬牧場みたいなところにわーっと放して運動させるから、それを待っちゃうんですよ、柴ちゃんは。ほんとうにおしっこをがまんしないでほしい。

 それから一ヶ月弱ののち、こなつは私の家にやってきたのである。成犬になったらFさんにお礼状でも書こうかと思う。

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