太田裕美さんと同じ抗がん剤だった・・・

以前の記事『がん告知を受けて決めたこと』で

がんについて調べない、聞かない


と書いたが、ここ2,3日前にネットニュースで目に留まったのが、

太田裕美さんと、桑野信義さんの記事だった


桑野信義さんは「ラッツ&スター」のトランペッターであり「バカ殿様の家来役」として有名❕シャネルズとしてランナウェイでデビューした時からテレビでよく見ていた。

太田裕美さんと言えばもう『木綿のハンカチーフ』リリース年を調べると1975年12月21日、たぶん私が小学校高学年の頃の大ヒット曲である。

「ランナウェイ」にしても「木綿のハンカチーフ」にしても今でも1番くらいは歌える。当時はネットもなくテレビ、ラジオが全盛期。歌番組もたくさんあって、特にファンでなくてもヒット曲は歌えたし親近感もあった。

そんなお二人ががんにかかっていたと知り、つい記事を読んだ。

桑野信義さんの方は部位が違うのだが、手術後の抗がん剤の副作用がきつく中止したと書いてあった。本人の言うように「今1番大切なのはストレスを感じない事、自分の好きなことを楽しむこと、笑うこと」その通りだと思う。7日には鈴木雅之さんのステージに上がられたようで、やはり好きなことをやることほど力がでるものないなと思った。また無理なくつづけてほしい

さて本題の太田裕美さんについて。こちらの記事は結果完治されているとのことで私も力をもらった。ただ私と違い先に手術を受けている点が大きく違う。記事内では太田裕美さんの乳癌の種類等についてかなり詳しく書かれており、「薬物療法は抗がん剤のみとなる」というのは同じだった。

私の場合は腫瘍が大きく筋肉までがん細胞が進んでいて切除部分が広範囲になり手術ができず、まずは抗がん剤治療で小さくしましょうと言われたので、素人考えではあるが先に手術が出来るという事はわたしより進んでいなかったのだと思った。

なので最初の4回の抗がん剤は2種類投与で、結構きつい薬だったよう。そして5回目から抗がん剤が太田裕美さんと同じ

[ ドセタキセル ] である。


先生にも最初に言われたが、副作用は人によって出方が違うから、ただ吐き気止めの薬が随分と良くなっていて、あんなテレビで見るようなことはないからね、とのことだった。薬でも違いがり、このドテサキセルというの吐き気はましなほうで、太田裕美さんの記事の中にも吐き気の話は出てこない。だるさは同じで私も最初はひたすら横になっていた。手の皮がピリピリ剥ける副作用は私の場合はまだそこまでいっていないのか、ぶつぶつがでてひたすら痒かった。一週間くらいで収まったが、月曜日に2回目を打ったのでまた出ると思う。

抗がん剤治療中もお仕事をされていて、私も体調が良いときには仕事に行っているがかなり自由に出勤させてもらっている。太田さんのお仕事とは比べ物にならない。抗がん剤治療の時期をずらしてデビュー45周年のコンサートをやりきったとのこと。ひたすら頭が下がる。

抗がん剤治療が終わった後は、放射線治療を受けて、終了後の3ヶ月検診で移転再発なしと確認されたとの事。ご本人やご家族、周りのスタッフさん、そしてファンの方々がどれほどほっとされ喜んだことか。

今後も定期的な検査を受けながら歌い続けてほしいと思う。[ 木綿のハンカチーフ ] は永遠なのだ!! ぞして曲のハンカチの色は私のなかでは白。ちなみにその次の曲 [ 赤いハイヒール ] はさびの部分のメロディは覚えている😅 私より10歳ほど年上だが永遠の少女といった感じで今となっては、というよりずっと前から見た目は太田さんの方がずっとお若いと思う😂



最後に正直なことを書くと、

がんについて調べない、聞かない

これを破ってしまった事を後悔している。お二人とも手術後も抗がん剤治療を受けている。太田さんにいたっては放射線治療も。私はまだその説明は受けていないのでどうするのはわからないが、手術後もまた抗がん剤治療をしなければならない可能性が高いと思いぞっとした。

自分が決めた事は守らないといけない😅


昨日の記事の最後に、明日は1回目の抗がん剤治療について書く、と宣言していたが、只今病院で抗がん剤の名前を覚えていないことに気がつき、また家に帰ってからにしようと思う。


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