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暗幕のゲルニカ(原田マハ)

ブッククラブ3月の本「暗幕のゲルニカ」を偶然にも先に図書館から借りていて、3月6日に読み始めて1日で読了してしまった。

2月のハゴロモは、市内の図書館にはなかったので他市から貸し出してもらう関係で、2月に頼んだものがようやく3月に入って届いた。この暗幕のゲルニカを返却して、ハゴロモを受け取る予定だ。

achiさんの動画で、2021年に読んだ中で1番のおすすめとあったので、先に借りておいたのだ。私は本を読む速度は遅いし、集中力が無い。でも、この本はあっという間に読んでしまった。

3月の本になった理由は、件の戦争のためだが、私にとっては、アートに対する考え方が少し変わった。

本のストーリーが面白いのは読んだらわかることなので、敢えて書かない。私がこの本を読んで感じたのは、いかに、自分がアートをみくびっていたかということ。

私はこの記事で、表現することはお金にならないし、つまらないものだと押し込めてきたと書いた。

そうでもしないと、今の日本では生きられないと思ったし、アートを嗜むのはお金持ちであり、私の生活とはかけ離れた崇高なものと思っていた。一部の才能ある人しか認められていないものであり、素人が下手に触れると火傷をするような、私にとってアートとはそんな位置づけであった。そして、素人がアートに手を出すことは、まるで夢見た青臭いバンドマンがメジャーデビューを目指してフリーターをするような、非現実的な絵空事だと思っていた。

本書を読んで、私の中で心に刺さったのは、「〈ゲルニカ〉は、わたしたちのもの」だという主人公のセリフだ。どうしてこのセリフが出てきたかは、本書を手に取ってぜひ読んでもらいたい。私にとって、アートとは前述した通りのもので、全く自分とは違う世界のもので、見えるけれどもガラス張りの中の触れてはならないものだという意識が強かった。しかし、このセリフで、一気に私もアートの当事者になることができた。
見る人の目、つまり観測者がいてこそのアートだということ、そして、アートが与えるメッセージ性、死してもなお受け継がれていく、志。

この本の舞台から今日まで経た年月は20年経過している。〈ゲルニカ〉が公開された時からは、80年以上経過している。しかし、今日ですら、同じ過ちを人間は繰り返している。

日本では、戦争を忘れつつある。それは良いことだと思う。しかし、同じ過ちを繰り返して欲しくない。戦争経験者の高齢化が進み、戦争を伝える人も減ってきた。風化させてはいけないメッセージがあるのだ。

戦争だけでなく、アートにはメッセージがある。本人が望むこともあれば、アートそのものがそういった性質を帯びることもある。
私の父も絵を嗜むのだが、私の誕生日に絵を描いてくれた。その絵は私を優しく包み込む。
そして、私が描いた絵は、ある人の車に飾られ、その人を毎日笑顔にさせている。

アートには、不思議な力がある。その力を信じるのか信じないのか、そして、〈ゲルニカ〉がわたしたちのものと言われたように、アートは一人ひとりのものなんだと思う。誰かに許しを得るものでもなく、別世界でもない。理解できなくてもいいし、知識があればもっと楽しめるけど、感じればいいのだと言ってくれたように思う。ピカソが受け入れてくれるかどうか気にしていた描写があった。〈ゲルニカ〉は、問題作とも言われる作品だ。作中のフィクションかもしれない。私が感じたのは、アートが私を受け入れてくれなかったのではなく、私が遠ざけ、ガラスの中に入れ、接触することを恐れてきたと思う。拒否とも言える。純粋に感じるだけで良かったし、好き嫌いももちろんあっても良かったのだ。

義理の母はアートが大好きだ。美術館にも足を運んでいる。特に絵を描くことはしないが、アートを楽しんでいる。この本を読んでいることを話したところ、原田マハの別の本を先月読んだと話題に上がった。読書も好きな人だ。
実の父母は自ら絵を描くのが好きだ。絵が日常に溢れている。
そうやって気軽にアートを自分の世界に入れていけばいいのかもしれない。

本を読むことで、自分の中の湖に石を投げ入れたような感覚になる。石が湖底に沈むとふわりと砂が舞い、自分の記憶が蘇ったり、自分の考えを巡らすようになる。そして、しばらくすると、水が澄んできて、思考がクリアになる。そうか、私はこんな考えを持っていたのか!と、新しい自分に出会う。

次に読むのは、よしもと ばななの、「ハゴロモ」の予定。今度はどんな一投になるか楽しみだ。

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