悪魔にたどり着いた。

「悪魔」とはなんなのでしょうか。

私が観念世界の中にそれを配役し始めたのはごく最近のことです。悪魔、彼らは大概主人公的な場所に存在し、物語宇宙の時を前に前にと進める「法則」そのもののような存在。神と同様にその行動はメタ的な自覚にこそ乏しいが、物語宇宙の全てを焼き尽くして物語を推進することにかけて明確な役割を持つ。物語の代弁者とも言えるかもしれません。

悪魔という言葉の始まりは、神との対比でした。

自覚的に物語宇宙の法則を創造、変革する力を持つ神を唯一キャラクターに落とし込むことができる存在、それを便宜的に悪魔と呼称したのがきっかけです。プリレジェ のネズミちゃんの初期配役は悪魔としてのものでした。ここから、悪魔の探求が始まります。常に神話の中では神として扱われる現王丸修吾の中の人観念と並び立つ、もう一つの超物語的存在であるネズミちゃんのことを、最初はかなり苦労して解釈していました。神とは違い、悪魔はメタ的観念において、物語化の中心にいるもののその動機は完全なるゼロ地点から発したものではありませんでした。あくまで、神の物語宇宙に従いながらもその物語を動かす存在として造形された悪魔は、仮名や物語からの配役を得て、自身のアイデンティティを取り戻しに行くというストーリーを通してその存在を明確にしていきました。そして現在、それらの構造に演技と人格、<見るもの>にとってのスペクタクルの肯定という儀式を通して獲得した物語宇宙をまたぐ本質的不在の偶像という側面が加わりました。

悪魔の立ち位置を、夢小説の主人公と共通したものであると考え始めたのはそのあたりで、ネズミちゃんの中の人観念が様々な物語を超越して無限に増え続けた頃のことでした。ある時は平行電脳世界の歌として、またある時は過去の全てを壊すウサギとして、そしてそれらの観念が共通のビジュアルイメージを通して接続と分裂を繰り返していました。

ちょうどプリレジェ では、4代目伝説の王子が決定し、また脚本王子である彼が繰り返す輝きの中にあるどうしようもない初恋に敗れた後、事後処理に追われていました。いつか夜を明かさないまま死んだ神を蘇らせたネズミちゃんという人物は、果たして何者なのか。れっきとした登場人物でありながら、群衆に紛れ、仮名を使い、観測者に徹してきたこの人物こそ、我々読者の目であり、手であり、残酷にも物語の終わりを定義する力を持った悪魔でした。神がいるならば悪魔も当然いるでしょう。しかし、もはや神としての自我はすでに死に、システムとして王子を産み続けるカルト・スターのとなりに、悪魔がいる必要はあるのでしょうか。悪魔は、自殺ができるのでしょうか。不在を表す仮定キャラクターであるところの悪魔が死ぬ方法など、物語そのものがオシャカになるくらいしかないでしょう。

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