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[第009話]兎角この世は合縁奇縁(後編)

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【合縁奇縁】
読み:あいえんきえん
意味:不思議な巡り合わせの縁のこと。応援したい誰かや目標としたい誰かが見つかるのも、縁の一つかもしれません。
(参考:日本漢字能力検定協会『漢検四字熟語辞典』)
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《中編の続き》

今年の2月に出会った方達の話。
秋葉原で出会った二人組の漫才師。漫才を続けている裏に隠れていた挑戦を知り、私も触発されて漢字検定に挑戦しました。

7.達成

試験から1か月。あの二人組の配信を時々観るようになっていた頃、漢字検定の合否がインターネット上で発表される日がきました。
当日は仕事の昼休み中に、必要な情報を入力し照会。合否判定に目をやりました。

合格おめでとうございます

ご…合格したらしい…。やっと、4回目の挑戦で準1級に合格しました。
職場だったので大きな声で歓声をあげることはできませんでしたが、内心ではずっとガッツポーズを決めていました。
今回の挑戦の原動力には偶然秋葉原で出会ったあの二人組という「誰か」が関わっていたわけです。そしてその挑戦をTwitter(当時)で公言した以上、もしかしたら隠れて私のことを応援してくださっていた方もいらっしゃったかもしれず、決して自分一人で獲得した合格ではありません。
合格の喜びは一入(ひとしお)身に沁みました。

さて、漢字検定合格後、私はあの二人組の挑戦を陰ながら応援していました。チケットを手売りする場所が変わり、あれから秋葉原でお会いすることはなくなりましたが、二人組の挑戦は続いていました。
私の漢検の挑戦が二人組に影響を与えたわけではないでしょうし、仮に何らかの影響をもし与えていたとしてもほんの僅かなものに過ぎないと思います。でも、そんなことは全く関係なく、この挑戦の行方がどうなるのか知りたかったのです。
チケットが○枚売れた、■■人のお客さんと出会った…。そんな報告をTwitter(当時)で見たり、配信で聞いたりしながら、二人組の挑戦の面白さと辛さ、そして二人組の漫才師としての矜持を感じていました。

そして私が漢検に合格してからさらに1か月。暑いある日の夜に、二人組はチケットを売り切ったと知りました。
初めて二人組にお会いした時に感じた「本当にチケットを完売しそうな雰囲気」が、「雰囲気」ではなくなりました。完売の瞬間を見たわけではないですが、私も勝手に嬉しくなっていました。

8.後日

2月の秋葉原から、漢検の勉強をして漢検を受検して…としている間に、いつの間にか7か月が経っていたようで、あっと言う間にライブ当日。もちろん私もライブを観に行きました。
ライブの話を詳しく書いているとまだ長くなってしまいそうですが、とにかくライブは「あのチケット、この値段でよかった…?」と思うくらい内容が濃くて、時間があっという間でした。
そんなライブの最後に、二人組の一人がこんなことを仰いました。

『何歳からだって、挑戦したっていい』

それは、私の心にずっしりと響く言葉でした。
挑戦には、大きな覚悟も責任も、もしかしたら痛手も必要かもしれません。周りに嘲笑されるかもしれないし、どこかで挫折を感じるかもしれない。
挑戦の結果、自分にとっていい結果が出るとも限らない…。運や巡り合わせが挑戦の成功や失敗を決定づけるようなこともあるかもしれない。

でもそれでも、本人が「挑戦する」と決めた以上、結果がどうあれ「挑戦した」という事実は尊重されるべきことなのではないかな、と思っています。そして挑戦するかしないかは本人次第ですが、挑戦する機会自体はどんな人にも平等にあるはずなんだと思っています。
尤も、自分や誰かを故意に傷つけようとしたり、明らかに生命に危機が及んだりしそうな挑戦だとしたら周りが止めないといけないこともありますが…。

あの時、ステージから客席に放たれたあの言葉を胸に、私も何かに挑戦する気持ちは忘れないでいようと誓いました。
そして、この出来事を通して、今年は少しだけ自分に自信を持てるようになった気がしています。また、漢字検定に挑戦し続けている色々な方とX(旧Twitter)で少しずつ交流できるようにもなりました。ほんの少しだけ、目には見えないような小ささですが、自分が変わったように思います。

(余談ですが、漢字検定は回によって問題の難易度が変化する場合があるようです。私が準1級を受けた回は、合格率が20%台後半というかなり高い数値でした。私が合格できたのは、たまたま自分が解答できる問題が多めに出題されたという運に恵まれたことも大きいと思っています)

私は今でも時々、二人組のライブや配信を見に行っています。自分でも想定していなかったのですが、私は二人組が出す熱意におそらくどこかのタイミングで魅了されたのだと思います。2月の秋葉原で、電車の車窓から見えた人だかりが妙に気になったのも、私の中で何かが変わる予兆を感じ取ったからかもしれません。

最後に、ここまでずっと、「二人組」とだけ書いてきた漫才師さん。
その名は、「ヴェートーベン」。図らずも、私が好きな作曲家に名前が似ていました。
そんなヴェートーベンさんに、このnoteに書いたことが少しでも伝われば、こんな嬉しいことはありません。

ヴェートーベンさん、お二人のこと、勝手に書いてしまってごめんなさい。
お陰様で、今年は私にとってすごく良い年になりました。
ありがとうございます。

(2023/12/21)

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