ミステリー小説 二話 (全三話)
「佐久くん、あなたよ」
沈黙の時間は長かった。
僕が理解できていない時間、美琴はずっと僕の目を見つめて、絶対にそらさなかった。その眼力に押し入れられるように僕の心にポンと彼女の言葉が放り入れられた。その言葉をゆっくりゆっくり僕の心が消化していく。
「あ……えっと」
始めに僕が吐いた言葉は特に意味があるものではなかった。
それから美琴の言った言葉の馬鹿らしさが追い付いてきて、僕は声を出して笑った。でも、彼女はまだ僕を見つめていた。
僕はずっと笑っていた。
笑って……、そうやって不安をもみ消そうとした。でも彼女はそれを許さなかった。
「……どういうことですか」
笑いが途絶えて、もろだしになった不安をそのまま彼女に向けると美琴は意外にも優しく微笑んだ。
「ごめんね、戸惑わせちゃったね」
「なんで、僕だと思んですか」
冗談言わないで、とか、馬鹿馬鹿しい、とか他にいうべき言葉はあった。でもその言葉のどれもが僕の不安をもみ消すには足りなくて、その言葉のどれにも意味を感じることができなかった。
だから僕は正直になるしかなかった。思ったことを、先回りして考えずに吐き出す道しか残されていなかった。
それは、彼女のいうことがもっともだと、どこかで分かってしまったからだ。
「どうして、というよりどう考えても、あなたしかいないのよ。ほかに一体誰が妹さんを殺せるの?」
不意に視界が潤んで、彼女の姿を見失った。
「ああ」
自分の嗚咽が遠くに聞こえる。
「他の人が部屋に入った時点で、あなたが気づかなければおかしいよ。あなたの妹さんに刺さっていたナイフも01号室の物だった。計画的な犯行なら、ナイフは自分で用意するだろうし、突発的な犯行なら、わざわざ他人の部屋に入る必要はない」
彼女の声に耳をふさぎたかった。
よく考えればその通りなのだ。
一体他の誰が妹を殺せるのだろうか。
「それに、他の人々が妹さんの死に気づいたのが朝になってからだったのは、妹さんが襲われたとき叫ばなかったからだわ。妹さんにとって近くにいても、ナイフを持っていても、叫ぶ必要のない、依存に近いほど信頼している人間、もう、あなたしかいないよね……」
「でも……、僕が妹を殺す理由が……、殺した覚えも」
涙で言葉が詰まる。
どうしようもなく声が震えた。
彼女が話す度、真実を知るのが怖くなっていくのが自分でもわかる。
「これは……、突拍子もない話なんだけどね」
言葉を選ぶように彼女はいちいち間をおいて続きを話した。
そして彼女が話したのは鼻締めの宣言通り、突拍子もない考えだった。
「佐久くん、二重人格なんじゃないかな」
「え?」
「佐久くんが二重人格なら説明がつくのよ、全部。これまで、記憶が飛んだことはなかった?」
「ないよ!それ本気で言ってる?」
僕がそう答えると美琴は少し残念そうな顔をした。
それにまた、イラっと来た。
不安で、不安で仕方ないのに、この人は何を言っているのか。こんな馬鹿らしい考えを聞かされるために僕はここまで来たのか。
そう思うと、もうとにかくイライラして、なぜか17歳の家の机の上に置いてあった缶ビールを彼女が咎めるのも気にせず、ぐびぐび飲み込んだ。
チュン、チュン
「ん……」
昨夜の波乱が嘘のように鳥が優雅にさえずっている。
重たい体を起こすと、彼女が横に転がっていた。
全く覚えていないが、あのままソファで寝てしまったのだろうか、そう思って立ち上がるとそこに広がっていたのは想像もできない景色だった。
ぐちゃぐちゃになった服。
脚が折れた椅子。
割れた食器の群れ。
水浸しのキッチン。
放り出されたフライパン。
机の上にかぶさる布団。
びりびりに破れた新聞紙。
ぼこぼこに跡がついた壁。
……これは一体……。
「うーん」
後ろで声がした。美琴が起きたらしい。
「あ…のー、これは……?」
「戻った?君、佐久くん?」
戻った?とは何なのか。僕が佐久以外の何になるというのか。
「これね、あなたがやったのよ。死ぬかと思ったわ。特にフライパンが飛んできたときはね」
「どういうこと……」
全く状況が飲み込めない。
「記憶が……ないの?」
「…はい」
彼女の問いかけに答えてからぼくはハッとした。
まさか……。
「ねぇ、これもしかして、私の言った通りじゃない?」
できる限り片づけた部屋の中、僕らは大まじめで本当に突拍子もない話をしていた。
「酔った感じというよりは、別人みたいだったわ。だって酔って、自分が誰か、ここがどこか、全部忘れて、そこにいた人間を手あたり次第に殺そうとする人間がいる?」
「う……。身に覚え、本当にないんですけど、なんかすいません。てか、どうしてビールがあったんですか?」
「あー、それね、この前両親が泊まりに来た時、残って捨てようとしてたやつだったのよ。私のものではないわよ?」
「へえ?」
「信じてないな、このやろー!」
「ちょ、痛いですって!!」
自分が妹を殺したかもしれない、そんな絶望的な状況もこの人の明るさに救われる。
「私が思うにはね、アルコールがあなたの二重人格目の登場の鍵なんじゃないかな?妹さんと泊まったあの日もアルコール、飲んだんじゃないの?」
「……はい、冷蔵庫にあったのを……」
僕が目を伏せて言うと美琴はいきなり僕の肩を引き寄せて
「落ち込まない、二重人格目の佐久は、佐久くんじゃないんだから……。それに、まだ傷つくときじゃない」
と言ってくれた。案外優しいところを持ち合わせている。
「あの、アルコールが二重人格の鍵っていうの、心当たりあるんです」
「え?」
「母親が、アルコールを飲んだら人が変わる人なんです。だから僕も」
「なるほど、その影響もあるかもね。アルコールへの過敏な恐怖」
彼女は僕よりも真剣に事件と向き合ってくれる。今だって眉間に皺を寄せてずーっと考えこんでいる。
「これ、解決じゃないですか?犯人は僕の二重人格目。あとはこれを警察に」
「……そう……だね……。でも、信じてくれるかな……」
「それは……分かんないけど」
僕が不安そうに呟くと、肩を抱く手の力を強めて
「ごめん。弱気になってる場合じゃなかった。きっと大丈夫だ、大丈夫」
ジュー
炒飯を炒めるいい音と、おいしそうなにおいが漂う。
励まされてもまだ弱弱しい僕のために美琴が昼ご飯を作ってくれるらしい。
その間、料理に集中している美琴は無言だった。
話すのを止めたら、妹のことばかり思い出してしまった。
今も生きていたら、きっと喜ぶだろう、とか。
妹も美琴と同じように一人暮らしとかしたかったかも、とか。
それも、その未来も全部、僕が奪ってしまったらしい。
僕が。
「うっ」
不意に吐き気に襲われて僕は机に突っ伏した。
汚い声と、汚物、汚臭。
美琴がこっちを振り返って、あせって向かってきた。
それがまた、妹の姿と重なって吐き気が増した。
涙も止まらない。
美琴は床が汚れることに怒るでもなく、悪い子だと家を追い出すでもなく、優しかった妹と同じように、僕の背中を撫で続けた。
僕はあれから何時間も吐き続けて胃の中が空っぽになってもまだ吐き続けた。
やっと落ち着いたころに、間をおかず美琴が、出よう、といった。
このまま家にいたら、また僕の気分が悪くなると思ったのだろうか。
涙も収まりはしたが、妹のことを考えるとまた溢れそうになる。
僕の膨らみ続ける不安はこの先をまっすぐ行けば交番が見える、と案内する美琴が半分背負ってくれていた。
もうすぐこの事件も終わりだ。
しかし、そんな僕の安易な考えは次の瞬間打ち破られた。
パシ
それは本当に小さな音だった。次の1秒後には暗い路地に引き込まれていた。
こめかみに冷たく当たるのは、おそらく、拳銃。
横をみると、美琴にも拳銃が突きつけられている。
誰だ。
出来るだけ首を動かさないよう精一杯目を後ろに向けると、
不敵に笑うあの人がいた。
つづく
どうも
こんです。
二話目も書いてみました。
実は二話で終わらすつもりだったのですが、いろいろあって三話まで行くことに……。長い物語ですが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。
二話目、読んでいただいて、本当にありがとうございました。
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