勢いだけで書いた話。誰かの励ましになればいい。(とにかく最後まで読んでいただければありがたい)

私は、何もできなくなっていた。

そして今、何もできなくなっていることにやっと気が付いた。

かれこれ3時間近く、私のキーボードを叩く手は止まっている。

画面には、はじめて見たときは大喜びしていた一桁代の「いいね」が映っている。

その隣で寂しくつるし上げられているのはもう何か月もそのままの制服だ。

そう、始めは学校にも通っていて、比較的「いい子」だった。

しかし、ある時、先生の圧、正確には自分よりも大きな存在がかけてくる理不尽な圧にストレスを感じるようになった。

疑いをもって日々を過ごすようになると、次に襲ってきたのは周りの人々との価値観の違いだった。

誰一人として私が理解できる人間はいなかった。

それが恐ろしくて、必死に合わせようとすればするほど、間違っていって、傷ついてしまった。

傷つくと、人と言葉を交わす度、その時の恐怖がぶり返してくるようになった。そしてその恐怖から、人と話すときは自分を押し隠し、疑いに疑って返答をするようになった。

自らの本当の思いを話せる人も、少数ではあったが居たには居た。

しかし、そうした人々に出くわすと、変に特別感を感じて、吐き出さなければ、吐き出さなければ、苦しい日々を全部話さなければ、と謎の焦りが生まれ、余計なことを言うようになった。

結果、相手を傷つけた。

自分が傷けられる以上に、誰かを傷つけ、その誰かに恨まれるのが恐ろしくて、いつしか「人」という存在自体を拒絶するようになっていた。

部屋に閉じこもった私に残されていたのはパソコンという、世界と簡単に繋がることのできる機械だった。

私は「MOMENTO」というアプリを利用し、自分の言葉をひそかに発信するようになった。

その結果得られた「いいね」は私に満足感と優越感をもたらしてくれた。

もたらしてくれていたはずだった……。

私の手は止まっている。

一ミリも動かすことが出来ない。

私が発信した言葉の数々。

それには一体どんな意味があっただろうか。

この部屋でただ、朽ちていく私の言葉に何の意味があるのだろうか。

私は何がしたかったのだろうか。



私が酷く悲観的になっているのには理由がある。

先刻、私がフォローしている(といっても、その人に特別な感情を抱いているわけではなく、誰かをフォローしている自分に興味があっただけなのだが)「ARU」からコメントがあった。

「はじめまして

 ARUこと西谷空の母親、西谷楓です。

 空は先ほど、亡くなりました。

 交通事故です。

 まだ悲しくはないので、この隙にみなさんに伝えておきたいと      思い至りコメントさせていただきます。

 これまで、あの子を応援してくださった10名のフォロワー様、ありがとうございました。」

とのことだった。

詳しい事情は分からないが、これを読んだとき私が思ったことは

「あー、人って簡単に死ぬんだな」

だった。

ぽっかりと穴が開いたみたいに、心が空っぽになった。

人はいつか死ぬだなんて分かっていた。

考えると怖くなるからやめていたけど。

どん、と何年も先の話で、それでいて一秒後の話が、目の前に現れて私は戸惑った。

そして今も戸惑っている。

自分が何がしたかったか、なんて分かるはずもないこと。分かっていて考えている。

きっと一時間も眠れば、消えている感情だ。

どうせ、その程度の感情。

しかし、その感情が今まさに私を動かそうとしていた。

  前に進みたい。

私の中の私が叫ぶ。

  ここでは進めない。

私をいつも慰めてくれていた声が今は語気を強めて言葉を投げかけてくる。

  外に出よう。

それだけは嫌だ。怖い。

  私の居場所はここじゃない。

違う、ここだ。

  苦しい道だけが、広がっているわけじゃない。

外をうろつく人間の怖さを忘れたのか。

  忘れてない。でも、君は忘れている。

何を?

  自分のやりたいことを。

そんなのないよ。

  あるさ。何がたべたいとか、どこに行きたいとか。

そんなの、一瞬だけの「やりたいこと」じゃなないか。それじゃ、私の一生の孤独は埋まらない。

  一瞬でいいじゃないか。いつかの一瞬で死ぬ私達なんだ。

考えたくない。

「私の中の私」と、「私」がぶつかり合う。

  いつ死ぬかわからないなら、いつ死んでもいいように、いつ死んでもいいと思えるくらい、「今」を幸せに生きればいい。

そんなに簡単なことじゃない。

  いいや。簡単なことだね。君が恐れているのは、自分が捨てた道の輝きを知ることでしょう?後悔したくないんだ。

誰だって後悔なんてしたくない。

  すればいいよ。何度でも。しなければいいよ。一回も。どうするかは自分で決めれることだ。

そんなわけ……。

  あるよ?自分で決めるのが恐ろしい。そうだろ。だって自分で選んだからには、傷ついても傷つけても自分のせいだもんね。他の誰かのせいにはできない。

うるさい。

  考えることを放棄するな。本当に馬鹿になったら取り返しがつかないぞ。

怖い。考えたくない。

  考えろ。怖くない。

怖い。

  考えろ。今、一瞬を大切に生きる覚悟があるなら恐れることじゃない。

考えたくない。知りたくない。

  考えろ。知れ。自分の人生だ。二度目はない。一度きりのゲームだと思えばいい。

楽観視しすぎだ。

  重く考えすぎだ。私たちは自由だ。

ずっと何かに縛られてる。

  そう思うのは、君がこのくだらない人生を捨てられていないからだ。変わりたいなら捨てろ。変えたくないとこだけ持っておけ。

都合よく選べるわけない。

  選べる。それが生きているものがもてる一番強い権利だ。知って、考え て、選んで、生きて、いつか笑って死ねればいい。







日光は優しく部屋を満たしていた。

軽く火照った頭に手を置いて、ふっ、と笑った。

いつの間に寝たのか。

むしろずっと寝ていたのか。

私の声で語った誰かの言葉を思い出す。

「知って、考えて、選んで、生きて、笑って」。

簡単に言ってくれる。

目を閉じると謎に笑えて来た。

「ふふ」

「ははは」

とうとう腹を抱えて笑ってしまった。

「ははははは、くくっ」

カーテンを開ければ朝日は眩しい。

空は青かった。

「空って青いんだな」

自分のバカみたいな呟きにまた笑えた。

そう、空は青い。

朝日は眩しい。

緑は綺麗で、小鳥はどこかへ行ってしまった。

人の声は明るくて、向かいの家はまだ眠っている。

路地には猫が体を寄せ合って、ダンゴムシは石の下に逃げこむ。

私は生きていて……。

まだ生きていたか。

私は自分を笑った。

  しぶといやつめ。

  だが……

ちょっとかっこいいことが言いたくなった。

  人間なんてしぶとくてなんぼだ。






こんばんは

こんです。

これは小説ではないのですが、ちょっと書きなぐる感覚で書いてみました。

noteによると、投稿するのは駄作でもいいらしいので。

誰かの、とまで願うと高望みになるけれど、未来の自分の励ましにでもなればいいです。

投稿しておいてなんですが、ちょっとハズイです。

この話は事実に基づくものでは一切なく、私の主観がどっぷり入った話です。ここの登場人物である「私の中の私」も正論を言っているかもしれないけど、そんな簡単じゃねーんだよ、ですよね。

でも、「死」が異常に怖くなっていた、多分、「そういう時期」である私が埒のあかない悩みから抜け出せたときの考え方です。その考え方を実行するしない、というより、自分の支えにできればいいと思って書きました。書きなぐりだけど。

「意味」とか「死」の前に「生きてる」ってほうが重要だなー、て他の誰かとか、未来の私が思えたらいいです。

という、淡い思いで書きました。

読んでいただきありがとうございました。




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