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航空機事故から学ぶ:Flap-up at all?

United Express 6291便着陸失敗事故
1994年1月7日、米Washington,D.C.Dulles空港からOhio州Columbus空港へ向かっていたUnited Express 6291便は、新造されたばかりのBAe Jetstream41型機に乗客5名を乗せて14,000ftを飛行していた。同機の機長35歳は、中程度のrime icingを管制から報告され、15,000ftへ上昇して両翼の氷結を回避した。加えて、slum dunk approachと呼ばれる階段状の急降下アプローチで着陸を試みようとしていた。
Columbus空港管制塔よりILS 28Lへの着陸が承認され、170ktにて進入するよう指示された。ところが高度と速度が定まらず、失速して滑走路端から1NMの地点に墜落して建屋に激突。座席ベルトがなかなか外れなかったこともあり、台湾人親子3名だけが辛うじて軽傷で脱出できた。
NTSBは先行機の乗員へ聞き取り調査をしたところ、天候はfreezing drizzleであったものの、着陸に支障はなかったと。アプローチ管制官からは事故機の進入速度が速すぎで減速を指示していたこととの証言を得た。
FDRの解析では、slum dunkで氷結危険高度を短時間ですり抜けようと試みたが、ILS標準進入角度より下方を飛行してしまい、滑走路手前で高度・速度とも過度に低下して墜落していた。更に自動操縦装置の解析では、管制から進入速度170ktへ減速を指示されてthrottleをidleへ落したが、A/PはONのままであった。そのため標準パス角へ機体を戻そうと機首上げ姿勢が強くなり、機速が急速に低下していた。失速状態でthrottle全開としたが、機長が逡巡の末"Give me flap-up!"と指示したため揚力が減弱して墜落した。
CVRの解析ではアフリカ系の機長は同じく6歳年下のアフリカ系新米副操縦士へ、「計器に触るな!」などと罵声を発しており、Crew Resource Managementは醸成されていなかった。
同僚機長からの証言では、彼はILS approachに自信がなく、自動操縦で着陸することが多かったことや、同社の訓練記録からISL進入で過度に委縮して、試験に2回不合格であった。
NTSBはCRM訓練の改善と座席ベルトの設計変更を勧告した。

American Eagle 3379便着陸失敗事故
1994年12月13日、American Eagle 3379便(BAe Jetstream32型機)は米国N.Carolina州Greensboro空港からRaleigh-Durham空港へ向けて6pm過ぎに18名の乗客を乗せて離陸した。29歳の機長と25歳の副操縦士は、副操縦士がMiami基地所属で応援乗務であったため、初めてのペア乗務となった。
目的地の視程は2SMと低下しており、先行するUA1402便(B727型機)の後方乱気流に注意しながらの降下となった。地上の風010°/8ktで、管制塔からRwy 05Lへ着陸許可が降りたので、propレバーをfull forwardにして300fpmで降下を続けた。着陸数分前に突如イグニッションに異常を知らせるIGN灯が赤く点灯し、機長は「左エンジンが停止したのか?」と想像したが、着陸続行をコールした。
その数秒後1,500AGLの時点で着陸復行することに変更。着陸やり直しの手順を打ち合わせている間に機速が低下した。機長が右スロットルを全開とした直後、1,400AGLで失速を警報するshakerが作動し、副操縦士が機首を下げるよう助言した。機体は左へ傾いていき立て直せず、遂には90°左へ旋回しながら滑走路4NM手前の木立の中へ墜落。機体は分離炎上して、操縦士2名と乗客13名が死亡した。
NTSBの調査官らは実地検分で降着装置が展開され、フラップは着陸態勢にセットされているのを確認。プロペラが前方にひしゃげており、墜落時に回転していたと判定した。UA1404便との垂直方向のパスは600ft超離れており、後方乱気流の影響は否定された。
先行機からicingの報告があったので、事故機のCVRからエンジン音の波形解析をBAe社の実験設備で試みた。ウワァン~ウワァン~と唸るようなblade-passing revolution soundから、throttle idle下のengine torqueが低い状態で、prop forwardにしてプロペラ回転数を上げる操作を行うと、negative torque状態が発生し、IGN灯が点灯することを確認した。missed approachの手順を検証すると、操縦士はgear-up、flaps-up 10°の操作を怠っていた。同社のテストパイロットがシミュレータで飛行状況を再現したところ、この状態で右スロットルを全開にすると、機体が左へ傾斜して墜落した。
乗員の飛行経歴を調べると、白人の機長 (総飛行時間3,499hrうちターボ時間2,294hr)と白人の副操縦士の経歴(総飛行時間3,452hrうちターボ時間677hr)とまずまずであったが、機長は片肺エンジンでの着陸復行が不適格で、Com Airを解雇されていた。その後、同便を運航するFlagship Airlinesに採用されたが、両社間で本人の飛行経歴が共有されることはなかった。同僚パイロットからの聴き取り調査は、問題があるパイロットとか、操縦操作でtunnel visionに陥るとの指摘があり、同乗するのを拒む者もいたという。

これらは、1994年に相次いで発生したヒューマンエラーによる残念な事故でした。機長の操縦能力に問題がありながら、会社の杜撰な運航管理によって事故危険性の芽が摘み取られることなく、結局事故に至ったという内容で共通しています。
当時の米国の中小航空会社は、厳しい競争の中で機種増強を進めていたため、相対的な乗員不足に悩まされていました。一部の乗員に操縦技術や人格に問題があることを知りながら、操縦技量が最低限パスすれば良いだろうというexpectation biasがあり、事故発生を許したと云えます。つまり乗員ばかりでなく、会社運営にも問題があった訳です。Flagship Airlinesは事故の25日後にRaleigh-Durhamの基地が閉鎖され、1998年にはSimmons航空とWing West航空に合併されて消滅しました。
米国の中小航空会社は乗務員の給与や勤務体系が大手航空会社と比べて圧倒的に劣悪です。多くのパイロットは大手航空会社へ就職するための腰掛け程度にしか考えていない一面があり、乗員は一概に若くて流動的です。このような危険性は今日でも続いています。
American Eagle 3379便の事故報告書では、これら乗員の飛行経歴に関する情報共有不備の問題が指摘されましたが、これが航空会社間で共有されるべきとの勧告には至りませんでした。
しかし同様な原因による航空機事故が1988年、90年、93年と続いていたこともあり、連邦航空法で情報共有条項が規定されたのは、1996年のことでした。

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