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航空機事故から学ぶ:不運の先にある不幸な事故

ミスと不運が幾つも重なって:Indepent Air 1851便着陸失敗事故
1989年2月8日の昼過ぎ、イタリアのBelgamo空港からドミニカ共和国Punta Cana空港へ向かうIndependent航空1851便(B707-331型機)は、給油のためポルトガル領サンタマリア島の空港へ降下していた。機長44歳、副操縦士36歳、航空機関士34歳ら乗員7名と観光客137名が搭乗していた。
Santamaria空港の69NM手前でFL220から降下中に、1851便は空港管制塔へ交信した。同空港は当時1日3便の利用なのでレーダー設備がなく、事故当時は訓練中の男性が女性上司の監督で指示を出していた。訓練生は「QNH1,027hPa、ILS Rwy 19使用」を伝えて、3,000ftまで降下して報告するよう指示を出した。空港から35NM手前で、島の中央部にあるPico Alto山頂 (1,936ft)が雲に隠れているのを目視し、機長は自動操縦装置を解除した。ところが雲の中に入って、GPWSからPull up!のMaster Cautionが作動し、なすすべもなく滑走路の手前4.5NMにあるPico Altoの山頂付近に激突した。
ポルトガル事故調査委員会の調査官らは、乗員乗客144名全員の死亡を確認した。NTSBから調査官らの支援を受けて、実地調査が開始された。事故機は山の南側斜面1,795ftの地点に激突し、その破片は反対側の北側斜面まで吹き飛んでいて、高速で低い角度にて衝突したCFIT (Controlled Flight Into Terrain)事故を起こしたと結論した。
JeppesenチャートではSantamaria空港周辺のMinimum Sector Altitudeは3,000ftであり、なぜ標高1,795ftの山腹に衝突したのか疑問が生じた。調査官らは空港管制塔で交信していた訓練生に当時の状況を尋ねたところ、彼は3,000ftまで降下して報告するよう指示したこと、また空港周辺は天候良好であったが、Pico Alto周囲は雲で覆われていたと証言した。
他方、事故機の残骸を調べたところ、エンジンや高度計には故障はなかったが、高度警報器は2,000ftにセットされているのを発見した。空港管制塔の録音テープを聴取すると、訓練生は13:56に”Report reaching 3,000”とはっきり伝えていたが、事故機との間で同時交信した形跡があり、操縦士に高度が正確に伝わらなかった可能性が考えられた。その際、訓練生の上司は電話対応中で、double transmissionの可能性を指摘することはなかった。
事故調査委員会では高度警報器を2,000ftに設定したにも拘わらず、1,795ftで墜落した点について検証した。事故発生当時の大気圧は13:44に1,027hPaであったのが、13:56には1,019hPaまで低下していた。この大気圧差が補正されていないと200ftほど実際よりも低く飛行することとなり、そのための誤差であったことが判明した。
この点について、調査官らは改めて訓練中の管制官へ尋ねると、「1,019と伝えた筈」と答えたが実際は古い数値を伝えたようで、CVR分析では副操縦士が数字を聴き取れずに機長に聞き返すと、「1,027だ」と一蹴されて終わっていた。
CVR分析からは、着陸前の点検でMSAが3,000ftであることが未確認であったこと、客室乗務員がサンタマリア島の絶景に驚嘆して乗務員を邪魔していたこと、GPWSがPull up!を7秒間警告していたにも拘わらずgo around操作をしていなかったこと等が判明した。同社の訓練状況を調べたところ、B707型機のsimulaorは他型機のもので、着陸直前にGPWSが作動しても警報スイッチを切るのが常套手段であった。
Independent航空は死亡した乗客の遺族へ3,400万米ドルを支払い、1990年に運航を停止した。

些細なミスや不運が次々と連鎖して、遂には大事故へつながるスイスチーズ・モデルの典型例とも云える事故でした。副操縦士は同社へ入ったのが2週間前で、恐らくこの空港への着陸は初めてか、数回であった筈です。昭和末期の航空業界では機長の権限や指示は絶対的であったでしょうが、もっと慎重に、注意深く空港へアプローチすべきでした。
ATCで前置詞"to"を使うと、数字の"two"と誤解されることがあり、注意が必要です。米国のATCでは12,000ftの指示を、"one two thousand, twelve thousand"とATC式の表現と日常的な呼び方を併用して誤解を防ぐようにする管制官もいるくらいです。

それにしても解せないのは、管制からILSアプローチを発出され、その電波に正しく誘導されていたら、地表への異常接近は起こらなかった筈なのに、山腹に衝突してしまったのは何故でしょう?QNHの設定が実際より高く設定されたままであったとしても、ILSのLocalizerとGlide Slopeに機体が正しく乗っていれば、大気圧の変化とは無関係に衝突は起こさないのが、ILSの安全性と言えるのです。ILS電波の特にGSの誘導から大きく下方へ逸脱していたのでしょうか?
CVRの音声解析では、操縦士らが「これからお楽しみだ!」と云ってauto pilot OFFにしていたようです。かなり集中して操縦していた筈なので、どうしてILSコースを逸れたのか分かりません。
それにしても、事故機がlocalizerコースには乗っていたとしても、滑走路の4.5NM手前に1,936ftのPico Altoがあるというのは危険だと思います。現在のSantamaria空港(LPAZ)の標高は308ftですから、標高差1,628ftというのはちょっと信じ難い過酷な設定条件です。この島内で、より安全な場所に滑走路を移設することは出来ないのでしょうか?

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