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航空機事故から学ぶ:シミュと違った!

スイッチが違った:1992年6月6日、パナマのToucumen空港からコロンビアのCali空港へ向かうCOPA航空201便のB737型機は、老練な機長と若手の副操縦士ほか乗員7名と乗客40名を乗せて、雷雨の中を夜間飛行へ飛び立った。
途中雷雲を避けるため両国々境の北側Darien州の密林地帯の上空FL250で方位090°へ変針した後、同機はradarから消えた。地元住民から大きな火の玉が幾つも見られたとの通報があり、ジャングル墜落したものと考えられた。
パナマ航空機事故調査委員会と米国NTSBの調査官らが現場に入り、まず事故機の残骸捜索から開始した。捜索範囲は数百平方マイルに及び、最初の数日ヘビ咬傷8名、骨折3名、心停止1名が発生する過酷な捜索活動だった。
B737型機は米国コロラド州でUnited航空機がrudder固着で墜落事故を起こしたばかりであり、同部の捜索がまず焦点となった。rudderを操作するPower Control Unitが見つかり、現場でこれを操作してみたが、正常に作動した。
他方、墜落地域が麻薬団の活動地域であったことから、秘密の滑走路からトランスポンダーOFFで離陸した飛行機が空中衝突したのではないかと検証したが、残骸から別の機体の塗料は検出されなかった。また機内で爆弾が爆発した可能性についても検討され、FAAの爆発物専門家が残骸に爆発物反応が出るかを試験したが陰性であった。収容された遺体をX線透視して爆発物の破片が体内にないかも調べたが、異常は見つからなかった。
その後、操縦室部分がジャングル内で見つかり、操縦士の遺体が収容されたが、麻薬などの薬物反応は陰性であった。
ブラックボックスが回収され、NTSBの検査施設へ送付された。CVRのテープは墜落の衝撃でスパゲッティ様であったが、音声を解析したところ、数日前のCOPA129便の録音が残されていただけであった。
FDRを解析すると、同機は左へ傾きながら、突然右へ大きく傾いてそのままFL250から10,000fpmの高速で落下しており、9,000ft付近で音速を超過し、機体が空中分解していた。
操縦席の残骸からvertical gyroスイッチに疑念があった。通常は左右別個のジャイロをそれぞれ表示すnormalポジションではなく、both on #1になっていた。つまり左右のgyro表示とFDRデータがいずれもgyro#1からのみ記録・表示されていた。左席のgyroは配線が断線寸前で、固着する挙動があった。そこで#1の姿勢儀が左に傾いて固着し、操縦士が左旋回と誤解して右旋回を過度に行ったため錐揉み状態に陥ったと考えられた。
同社のsimulatorで再現実験をしようとしたところ、gyroスイッチの位置と表示位置が異なり、それがnormalの位置と誤解された可能性が分かった。
もし操縦士がこの操作間違いに気づいて、standby gyro #3へスイッチしたら正しい姿勢へ回復できたかも検討されたが、機体の機首下げが大きく、機速も速かったので、難しかっただろうと推測された。

プログラムが違った:1994年4月26日、台北空港から名古屋空港に向かっていたChina Airlines 140便(Airbus A300-600型機)は256人の乗客を乗せ、2時間半のフライトを無事に終えて、高度6,000ftから名古屋空港RWY 34に向かって降下して行った。機長は元空軍パイロットで、B747型機の副操縦士から1年前にA300の機長に昇格した。副操縦士は1年前に副操縦へ昇格した新人であった。
機長は口笛を吹きながら副操縦士にアプローチを任せ、「尋ねるなよ…邪魔はしないから!」と嘯いていた。副操縦士は相当緊張しながら、170ktへ減速、gear-down、flaps-downの手順を踏んでいった。
名古屋空港管制塔からRWY 34への着陸が許可されたが、突如エンジンが吹き上がり、機首を押し下げても降下しなくなった。throttleをdisengageしても状態が変わらず、高度300ftで機速は142ktまで落ちた。副操縦士は機長に操縦交代を願い、機長が操縦桿を取った。機長はgo-aroundを決心し、管制塔へその旨を伝えた。しかし事態はますます悪化し、機首が極端に上がって失速して、機体はパンケーキのようにRWY 34脇に墜落炎上した。
同便は鎮火するまでに1時間以上を要し、3歳と6歳の子供を含む7名が生還したが、両操縦士を含む264名が死亡した。
運輸省鉄道航空機事故調査委員会AAICの調査官らは、第一にATCを尋問し、何故gou-aroundしたのかを尋ねたが、はっきりした理由は分からなかった。
機体の残骸からエンジンflame-outはなく、フラップはjack-screwの位置から15°出ていたことが確認された。スラッツもgo-aroundの仕様となっていた。事故機の残骸からFDRとCVRが回収され、その解析のためAirbus社の技術担当者が招聘された。
FDRを解析すると、short finalでG/A-modeが入れられていたことが分かった。CVRでも高度2,300ftで自動操縦装置を解除する際に、副操縦士が誤ってgo-aroundレバーを握ってしまっており、そのことを機長が指摘していた。
問題は一旦入れられたgo-aroundモードを解除する術を知らず、2人の乗員は操縦桿をひたすら押すことで機体の安定を図ろうとしていた点だ。そのため最終的に機種は50°upの姿勢となり、機長はもう駄目だと絶望的な声を発して20:15:30で音声が途絶していた。
中華航空では自社でA300-600型機のsimulatorを所有しておらず、事故機の機長はタイでsimulator訓練を受けていた。ところがこのsimulatorは搭乗機の仕様が異なり、G/Aモードでも操縦桿を押せば機首を下げられた。
実は同様な混乱が数件あったため、Airbus社はこれを修正し、プログラムをサービスブリテン(S/B)で周知していた。事故機は別のFLT modeを入れないとG/A modeは解除されないプログラムのままであった。プログラムの改修はNot mandatory changeに指定されていたため、中華航空ではプログラム変更はpendingとなったままだった。

航空会社は新しい機材や乗員の導入を図る際に、安価で短時間に実施できるような計画を立案します。
新しい機材で飛ぶ乗員らは、まずベニア板等で出来た計器盤ボードで、色々な計器やスイッチ類の位置や形状を覚え込みます。その後、シミュレータで仮想空間を飛んでみる訓練を続けます。
シミュレータといえばMicrosoft社製のFlightsimulatorが思い浮かびますが、マウスの代わりに操縦桿やスロットルレバー、ラダーペダルを実機同様にした固定式のシミュレータや、操縦室を模した大きな箱型の高級シミュレータもあります。これは箱の四隅にある脚が油圧で上下するので、かなり実施に近いリアルな操縦感覚が養われます。ただ、画面と箱の動きは実際とは相当異なり、開発初期のモデルでは体幹が変に反応して緊張してしまう問題がありました。自分自身も1990年代にデルタ航空のL-1011型機を模したシミュレータで訓練を受けた際に、ひどい腰痛と肩こりに悩まされ、教官から「シミュレータ症候群だよ」と云われたことがあります。
この過程を経て、最後に実機で訓練飛行するのが今でも大道でしょう。

シミュレータ訓練は自社機と同一の仕様で行うのが理想ですが、それが出来ない会社も沢山あります。ですから自社の操縦士を他社で訓練させる場合は、会社も本人もシミュレータと実機の仕様で、どこが異なるのか充分理解していないと、上述のようなトラブルが事故となるのです。
きちんとしたシミュレータ訓練を受けた乗員でも、後年導入した同型の機材が、従前の機材と仕様が異なったり、装備品の入れ替えで計器類のレイアウトが変わっていたりすることも稀でありません。同じ型式の機材だからと慢心することなく、コックピットや操縦系統の微妙な違いをこまめに注意しておく気配りが、優れたエアマンには必要なのです。

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