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航空機事故から学ぶ:無線で墜ちた、墜ちそうになった

ATCは無線とレーダーシステムの情報を元に、航空管制しています。複雑なシステムが故障したり、生身の管制官が判断を誤ると、直ちに危険に満ちた指示になってしまいます。

旧式のレーダーシステムと便名間違いで混乱して墜落:1997年9月26日、ガルーダ・インドネシア航空GIA152便(A300型機)はJakarta空港からMedan空港に向けてアプローチしていた。当時Indonesiaのあちこちで山火事が発生していて、Medan空港は微風ながら視程が400mまで低下していた。FEからFOへ昇格したばかりの副操縦士と機長は、RWY05に向かって高度を下げて行った。Medanアプローチ管制官はGaruda152便へ左旋回で240°を指示したつもりだったが、同空域にいたMerpati152とcallしてしまい、GIA152が反応せず、ATCが改めて"Garuda152、do you read me?"と確認して指示が伝わった。機長がHeadingを240°へ変針し、副操縦士がFlapsを8°展開したところ、機長が操縦室内が暑いのでエアコンを入れるよう副操縦士に指示した。森林火災の煙の中を飛行中、副操縦士は高度が1,650ftまで下がっているのに気づいた直後、突如山肌が現れた。機長は慌てて推力全開としたが間に合わず、同機は空港から17NM南西の山腹に墜落した。乗員乗客234名全員が死亡した。
Indonesia航空機事故調査委員会の調査官らは、英国AAIBの調査官と墜落原因の調査を進めた。墜落地点には沢山の住民が集まり、出店が立つ賑わいだった。一部の者は残骸から金目のものを持ち去ろうとしていたため、Blackboxが持ち去られぬよう、懸命に遺留物の捜索が続けられた。
調査官らはまずMedan空港の管制官を尋問した。ちょうど出発機があったため、空港の南方からアプローチしていたGIA152便には滑走路を横断してLeft downwindでRwy05へ着陸する通常のアプローチ方式ではなく、滑走路の南側でRight downwindへ入る方式を指示したと分った。その際、Merpati航空とGarudaの両便がたまたま同じ152便で、コールサインを呼び間違えたことを確認。管制官の管制録音を押収した。
事故から26日後、Blackboxがいずれも泥の中から発見され、直ちに解析された。事故機はLt.240°でRt. dowindへ誘導され、Rwy05をinterceptと指示された。更にLt. 235°、Lt. 215°と滑走路南側のdownwind legを飛ぶよう指示され、Base-turnとしてRt. heading046°を指示された。機長らは滑走路が目視できておらず、機長は滑走路の北側をLt. downwindで飛んでいるものと勘違いしたらしく、Lt. 046°と180°旋回する形でRwy05へ正対するような旋回をした。そのためRwy南側を飛んでいた事故機は、滑走路から離れる形で左旋回をしたため、目前に小高い山が迫って衝突したと判明した。ATCが右旋回しているか問いただしたところ、機長が左旋回していると答えたため、ATCは右旋回を指示し直した。副操縦士は機長に旋回方向の誤認を詫びていたが、実際CVRで副操縦士はRt. turnと復唱していた。機長からエアコン設定を指示されて、誤りに気付くのが遅れた。更に混乱をもたらしたのは、同機が山に向かっているのに気付いたATCが、理由も言わずに今度は左旋回を指示した。同空港のRadarシステムは旧式で回転速度が遅く、機影が更新されるのに12秒を要していた。
Auto Pilotへ2,000ftを入力した筈なのに1,552ftまで降下していた点について、事故機の残骸からA/Pが回収できなかったが、Airbus社は入力誤作動の確率は1/10億回と解答された。GPWS様の警告音はなく、"pull-up! pull-up!"という音声は、前方に山肌を視認した副操縦士の叫び声であった。
この事故を受けて事故調査委員会は、操縦士と管制官の交信方法の改善、旧式のRadarシステムの入れ替え、同じ管制空域で便名が同じとならないような工夫を勧告した。

恐らく地球温暖化が影響したと思われる大規模な山火事は、Indonesiaに限らず、Austraria、USA、Brasil、Spainなどで毎年のように発生しており、航空機の運航に多大な支障を来しています。視程が著しく低下するだけでなく、煤煙がエンジンへも悪影響をもたらすでしょう。RightとLeftという簡単な単語は、英語を母国語にしないAirmanには、直感的にイメージしにくいため、度々混乱をもたらすと感じます。今回の事故でATCが事故機に対して"Left heading 240, to intercept Runway 05"と指示したようなのですが、多くがRwy05を北側へ抜けて、Lt. downwindのパターンへ誘導するに乗せるつもりと理解するだろうと思いました。"Expect right downwind Runway 05"の一言があれば大分違った筈でしょう。

便名を言い間違えてニアミス事故:2001年1月31日の午後4時前、羽田空港から那覇空港へ向かっていた日本航空907便(B747-400D型機、JA8904)と韓国釜山空港から成田空港へ向かっていた日本航空958便(DC-10-40型機、JA8546)は、静岡県清水市沖合に向かって飛行中であった。両機は東京航空交通管制部の関東南Cセクターを飛行中で、JL907便はFL390へ向けて上昇中、JL958便はFL370を水平飛行中で、両機は訓練生と監督の管制官により管制を受けていた。
午後3時54分、管制卓のレーダー表示画面に907便の高度がFL367、958便はFL370と、両機が異常接近しているとの警告(CNF:Conflict Alert)が表示された。それまで訓練生は907便とアメリカン航空157便の管制間隔の確保に気を取られており、他のセクター内にいる航空機とも交信していた。監督の管制官は、907便とアメリカン航空157便の管制間隔の調整につき、隣接セクターと調整を行っていた。そのため58便の接近には気づいていなかった。
訓練生は907便に対しFL350まで降下するよう指示し、907便は降下を開始した。その直後、両機の空中衝突防止装置に回避指示(RA:Resolution Advisory)が作動し、907便では「上昇せよ」、958便では「降下せよ」の指示が発出された。958便はRAに従い降下を開始したが、907便は訓練生の指示に従って降下を継続した。
958便のRAが「降下せよ」からさらに急降下を要する「降下率を増加せよ」に変わり、同便は降下率を増加させていた。これを見た監督は907便に上昇を指示したが、"Japan Air 957"とどちらでもないコールサインで指示を出した。
午後3時55分、958便の機長は907便を視認し、衝突回避のため機首上げして降下率を弱めた。他方、907便は上昇しようとしても反応が遅れることを懸念して、操縦桿を強く押し込んで降下を継続。両機は最接近距離約135m、最接近時高度差約40mで、辛うじてすれ違った。958便の機長らは、この瞬間を10時方向から907便が自機の下を通り抜けるのを目視しており、「相手機の背中が見えた」と供述している。
907便は著しいマイナスGで907便の乗客411名と乗務員16名の427名中、乗客7名及び客室乗務員2名計9名が重傷を負い、乗客81名と客室乗務員10名の91名が軽傷を負った。ギャレーカートが天井を突き抜ける程の物的被害も出たため、同便は羽田空港へ引き返すことを決め、午後4時44分同空港に着陸した。958便の搭乗者250名(乗客237名・乗員13名)には負傷者なく、午後4時32分成田空港に着陸した。
事故調査では、訓練生は907便と958便の便名を取り違えて指示したためと推定された。907便はこの指示に基づき降下を開始したため、結果的に双方の機体が衝突する可能性のある危険な指示となった。監督は、958便に対して降下指示を出すのが妥当であったために、訓練生の指示が958便に対するものと誤解した。そのため958便に対して再度降下指示しようとしたが、907便・958便・157便など類似の便名で混乱し、「957便」と交信してしまった。
国土交通省航空局が規定する航空法関連規則では、TCAS作動時の管制指示逸脱は認められていたが、TCASと管制指示が相反した場合の優先順位について規定されていなかった。一方、日本航空が設定した社内マニュアルでは、TCASのRAが発生した場合、機長が危険と判断した場合を除き、RAに従う旨が定められていた。
事故調査委員会はシミュレータを用いた検証で、TCASの指示に従って飛行した場合の状況を再現した。もし双方がTCASの指示に従えば、907便は直ちに上昇出来ており、958便との接近は回避出来たと結論された。

0から9まで英語で数えるのは、小学生でも簡単に出来ますが、緊張状態に置かれると、日本語であっても間違えやすいものです。国際民間航空機関(ICAO)は航空管制に用いる言語を、英語もしくは現地の公用語で運用することを規定しています。中国、ロシア、フランス、スペイン語圏では母国語がメインで、国際便へは英語で航空管制するのが一般的です。そうなると、一部の操縦士は空域内の運航状況を理解できなくなってしまいます。
日本や韓国の空域は、米軍機の飛行が日常的なこともあり、英語がメインで、小型機へは日本語でも管制するのが一般的です。定期便への管制は、異常事態や複雑な通信内容の際、稀に日本語で報告される程度です。この重大事故では、管制の訓練中であったこともあり、それが裏目に出たのかも知れません。
後年の最高裁判決では、二人の管制官は有罪とされ、失職しました。国際民間航空条約ではRAが作動した際には、その指示に従うことが定められていました。しかしICAOを通じて、各国の管制機関と航空会社へ直ちに周知徹底されることはありませんでした。それが一因で2002年7月1日、スイスで同様なRA指示とATC管制の乖離から、DHL貨物機とバシキール航空機が空中衝突する大事故が起こってしまいました。

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