見出し画像

クリエイターとして生きる人々について (「ルックバック」を読み、「D.Gray-man 原画展」を見に行った話)

『D.Gray-man』のこと

 先日、「D.Gray-man 原画展~星野桂の世界~」を見に行ってきた。世間では『チェンソーマン』で有名な藤本タツキ氏の読み切り漫画『ルックバック』が少年ジャンプ+に掲載され、ネット上で話題になっている折だった。

 知らない人もいるかもしれないので一応説明すると、『D.Gray-man』とは、2004年に週刊少年ジャンプから始まり、ジャンプ増刊号への移籍を繰り返しつつ、現在にいたるまで連載されている少年漫画(ダークファンタジー)である。


 少々自分語りをさせていただくと、わたしと『D.Gray-man』(通称「Dグレ」)とのかかわりは、連載し始めた頃、つまりわたしが中学2年のJCだった頃まで遡る。

 もともと絵を描くのが好きで、学校の漫画研究部に入り自分でも漫画を描きつつ、オタクとしての道を歩み始めていたわたしは、ある日友達からDグレの1巻を「布教」してもらった。すげー綺麗な絵だなっていうのが第一印象だった。

 2巻、3巻と友達から借りながら、自分でも単行本を買うようになった。ものすごい黒歴史であることを承知で話すけども、7巻くらいで主人公(アレン・ウォーカー)のガチ恋勢になり、漫画上で主人公に近づく女性キャラの撲滅を(一応ネタで)願って二次創作活動などをする「撲滅委員会」なるものをクラス内で発足したりした。いや、正直活動については私だけが勝手に二次創作してそれを周りに見せていただけだったのだけど、友達に「作品」を見てもらえる機会ではあったし、オタク友達どうしで真面目にバカなことをやっている感じが何より楽しくもあった。

 そんなわけでそれなりに入れ込んでいた作品ではあるのだが、わたしがDグレの絵やストーリーが好きだったのは7巻がピークだった。それ以降は(おそらく作者の病気等がきっかけで)絵柄やノリなどが変わってしまったこともあり、「なんかコレジャナイ」という思いを抱えつつも撲滅委員会の委員長を続け、そのうち本当に熱は冷めていった。本屋で見かけるたびに買い続けていった結果、一応単行本は最新巻まで持っている。

 わたしのDグレへの思いはそんなところだ。だから今回の原画展も、大変失礼な話ではあるのだが、なつかしいなと思って足を運ぼうとは思ったものの、あくまで「過去好きだった作品」の原画展である、というそれ以上でもそれ以下でもなかった。


『ルックバック』のこと

 ところで、Dグレの原画展に行く3日くらい前、Twitter上の感想(「あれはすげえ」)に後押しされる形で、『ルックバック』を読んだ。

 感想や考察はすでに沢山の人が色々なところで書いているので、あえてこの記事で深掘りして考察することはしない。ただ、冒頭で学内新聞に漫画を投稿する藤野の姿を見て、「自分は何者かにはなれる」と思っていた小学生~高校生時代の自分を思い出したのは事実だ。

 特に子ども時代に、「他人よりもちょっと絵が上手い」とか「周りよりもちょっと○○が得意」とかいう理由で、自分は成長しさえすればそこそこすごい人になれると思っていた人は、おそらく一定数いるのだと思う。そもそもその「上手い」はあくまで狭いコミュニティの中での話であって、言ってみれば井の中の蛙に過ぎなかったことが後から判明したりするのだけど、きっと小学生中学生くらいまでなら、自分の「才能」への根拠のない自信があるくらいが、あるいは丁度いいのかもしれないとも思う。

 漫画の描写を見る限り、藤野も最初はそういう小学生だったようだ。そして彼女自身が自分は「井の中の蛙に過ぎなかった」と痛感する出来事は、意外と早く訪れる。それが京本との出会いであり、自分が学校に行っている間に引きこもりの生徒がひたすら家で絵を練習し続け、そいつがやばいくらい上手かったという事実、そして藤野がいくら時間を惜しんで絵を描き続けても、「そいつには勝てない」という事実に直面した時なのだと思う。

 ただ、かつて「藤野」だった我々には、学生生活を棒にふってまでひたすら絵を研究し練習し続ける藤野の背中を見て、どこか琴線に触れる部分があるのではないか。なぜなら我々は自分の「好きなこと」「得意なこと」に関して、「自分よりも圧倒的に上手くできる誰かがいる」という事実に直面したとき、努力する前に諦めるか、努力することをすぐに放棄してきたからだ。「自分には才能がある」と信じていた人なら、なおさらかもしれない。

 そもそも藤野は周りからもてはやされてはいたようだけれど、たぶん小学生の時の絵は一般的に見て「そんなにすごく上手いわけではない」し、「もともとそんなに才能があるわけではない」のだ。しかし例え本当に才能があったとしても、藤野ほどの熱量で努力できる人はきっと少ない。それは彼女自身の負けず嫌いな性格によるところが大きいのだろうけれど、そこで努力できることこそが、藤野の持つ最も大きな才能なのだろうと思う。

 そこまでの努力をもってしても、京本には勝てない。それは京本自身が絵の才能があることとあわせて、ものすごい練習量をこなしてきたからに他ならないのだが、ともかくそこまでやっても勝てない上に、心配した友達や家族から「もうすぐ中学生になるのに漫画ばかり描いて何になるの?」というような趣旨のことを言われ、さすがの藤野もそこで「や~めた」となるわけである。

 そしてそんな藤野を再び漫画の道に引き戻したのもまた京本だ。つまり京本が(もはや「信者」と言えるレベルで)藤野の漫画のファンだったことが判明し、それまでは「私はこんなに漫画が上手いんだぞ」とただイキりたくて描いていた節のある藤野が、本気で本格的に漫画に打ち込むきっかけになったわけである。

 (余談だが、ここで京本に漫画を褒められて、嬉しさを隠しきれずに雨の中で踊る藤野の描写は、セリフがなくとも気持ちが伝わる&藤野のアホさ・チョロさ加減が何ともいえないおかしみを醸し出している&普通に絵が上手い という3拍子により、本当に神がかったシーンだと思う。)

 …はい。『ルックバック』に関してはまだまだ書きたいことがいっぱいあるのだけど、さすがに長くなってきたのでこのくらいにしておこうと思う。

 ともかく言いたかったことは、漫画をはじめとした、大人になるにつれそれを続けたとしても周りから賞賛されづらくなるようなことがら、つまり多くの場合お金になりづらく、ある程度才能があり・ものすごい努力を継続することができて・かつ環境や運に恵まれたごく一握りの人だけが成功することのできるアクティビティを、それでもなお続けるということ、そしてそれを「仕事」にするということが、どれだけ大変で、どれだけの精神力を必要とするか、それをリアリティーをもって描いたことが、京本がそこらへんの変質者に簡単に殺されてしまうという展開もあいまって、特に「元アマチュアクリエイター」達の心には刺さったのではないか。そのことも要因の一つとなって、この漫画がこれほど話題になっているのではないか、と思うのだ。


「原画展」のこと

 そして先の「Dグレ原画展」に赴いたのは、そんな漫画を読んだ直後のことだった。

 行く前は正直、原画を見ても、1巻からずっと読み続けてきた中で感じたこと(最近の絵や話はあんまり好きじゃないな)を感じるだけなのだろうなと思っていた。


 でも、違った。 

 展示されている原稿や作品の中で、特に連載前や連載初期のものについては、勿論ものすごく上手いことに変わりはないのだが、それでもわたしが中学高校で描いていた漫画の延長線上にあるという感じがした。シンプルな構図や色んなところを描き直しホワイトで修正した跡など、悪戦苦闘しながら描いているのだろうなと思われる様子は、自分にも身に覚えがあった。

 それが2021年に近づくにしたがって、背景や人物の線の描き方、パース、色使い等が見違えるように上達していくのがわかった。わたしが「好きじゃない」と言っていた時期の絵ですら、完全に「プロの仕事」だった。それはおそらく手法がアナログからデジタルになったこともあるとは思うのだけど、特にカラーの一枚絵など、ごく最近の作品に至ってはもはや「芸術作品」と呼んで差し支えないものになっていた。

 

 ああそうか、と思った。連載が進むにしたがって絵が変わっていったのは、病気になっても、Dグレがジャンプの主流作品と言われなくなっても、星野先生が「描き続けた」からだ。その途方もない努力の軌跡が、原画で見るととてもよく分かった。そうか、これが「プロ」になるってことなんだな。なんだか涙が出そうになった。

 そしてそこまでして描き続けてもなお、わたしのようなイキった読者に「最近のDグレはつまらない」とか言われて、それが売り上げに直結したりするのだから、厳しい世界だ。しんどいことがあってもどうにかこうにか出勤し続けていれば給料がもらえる公務員のサラリーマンとはわけが違う。


 『ルックバック』の中で、京本が「45ページって全然完成する気しないですね」と言っていたけれど、あれはガチだ。わたしなどは部活の部誌に載せる5~6ページくらいの漫画を描くだけで、2週間くらいひーひー言っていた。だから「週刊連載」であれだけのページ数の漫画を毎週描き続けるって、どんだけ大変なのだろうと想像もつかないし、たまに病気とかで休載する先生がいるのもさもありなんと思う。わたしもネタで「冨樫仕事しろ」とかたまに言うけど、腰に激痛が走る中で漫画を描くのがものすごく大変なのはよく分かるから、内心言いながら冨樫ごめんって思っている。まあ、それでもHUNTER×HUNTERの続き読みたいから言うけど。

 

最後に

 ものすごく長くなった。

 そんなこんなで、『ルックバック』を読んだことと、「D.Gray-man 原画展」を見に行ったことが、かつてちょっとだけ創作活動をしていたわたしにも深く刺さる出来事となった。

 クソチョロアライグマだから、ちょっと触発されただけで「絵はわたしより上手い人がいくらでもいるけど、正直文章では誰にも負ける気がしねぇぜ!」などと傲慢にも信じていた中高生くらいの頃を思い出し、今こうして記事を書いている。自分でこの文章を読み返してもそれがひどい勘違いだったと分かるので、お恥ずかしい限りだ。が、趣味としてでもたまに文章が書けると嬉しいな、とは思っている。


 最後に、星野桂先生、藤本タツキ先生他、連載を続けている漫画家の先生方、そしてクリエイターとして生計を立てているすべての作家の皆様に、最大限の尊敬の念をこめて、素晴らしい作品を世に送り出してくださってありがとうございますと言いたい。体力的にも精神的にも大変なお仕事とは思いますが、これからも頑張ってください。陰ながら応援しています。

画像1