共感の光と闇

共感と聞いて、悪い印象を持つ人はあまりいないでしょう。僕も出来るだけ周りの人には共感したいと思っています。ですが、共感する事が必ずしも良いことばかりではないという事も頭に置いておかないといけないと思っています。

ある人が悲しんでいます。隣に座って、どうして悲しいのか事情を聞き、それは辛かったねと、同情し、寄り添い、なぐさめたり、どうにかその悲しみを緩和できないかと考え行動する。それは素晴らしい事だと思います。

では

友人のAさんとBさんが喧嘩をしました。Aさんの方が少し親しいので、Aさんの話を聞き、共感し、Bさんに対して不快感をもちます。

その後Bさんは孤立していきますが、同情はしません。

この場合、Aさんに共感し寄り添った反面、Bさんに対してとても残酷な対応をしている事になります。

Bさんにも事情はあっただろうし、事実ベースではBさんに落ち度はなかったかも知れない。でも初めにAさんに共感してしまったが為に、Bさんに理由のない残虐性を向けてしまっていたとしたら、それはとても罪深いと思います。

ニュースでは、被害者側を善に見立て、加害者側を悪に仕立て上げます。それを見ている人たちは善に共感し悪を憎む。限られた情報の中での判断なので仕方ないとは思いますが、そこには共感の光と闇を感じます。

僕はわりと共感する事は得意な方だと思っていますが、冷たいニンゲンに思われる事が少なくありません。おそらくそれは、判断を出来るだけ先送りにするからだと思います。話していて、共感を欲しがっているんだろうなと思うことはありますが、情報が断片的だったり、そもそも情報量が少なすぎる事もあります。感情的にゴリ押しで共感を促されても、そこはやはり共感出来ないのです。非モテの原因の一つと理解しているのですが、まあソコを直したところでモテるわけではないのでもういいんです。

元日に書く内容ではないなと思いつつ、暇だったので今年の抱負などを考えていたら、「非モテおじさんに10年ぶりの彼女降臨」というおバカワードが浮かんでしまい、彼女つくるためにはどうすれば………共感力か?という変遷を経ての今。2022年も18時間が経過し、何も食べていない事に気づいたので弁当買ってきます。





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