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子供のために生きるという理由付けのできない私の「生きることの意味」

「何のために人は産まれて生きるのか?」

「生きることの意味は?」

この人生最大の謎、答えを出した者はまだいない。

なので個人的な人生哲学をそれぞれ個人が導き出す事になる。
子供がいたら、自分の人生のピークがそろそろ過ぎる時点で子供に軸を移動できる。なにより、「なんのために生きるのか」って人生哲学の答えが目の前にいるって強い。

誰かのために生きるのは容易い。ただ自分のために生きるのは難しい。

人間は、自分の行為に何らかの意義がないと根本的に耐えられないものなのだ。
中島らも

「生きる意味」の人生哲学(難題)って、子供のためとか、子孫を残すため、っていう自分以外の別軸があると理由付けが容易いと思う。これは子育てが安易という意味ではなくて自己実現を含めた哲学の解を得やすいということで、何者か(母)(役割)になれるという意味でもある。

人間は社会を形成する生き物なので、その中で認められた役割を得る事の安心感、子を育てる使命感、は生きる意味に大きく付与する。と同時にその、

「生きる意味」

について、自分なりの解を得ようとしている私の、いまここまでで得たことのメモする気持ちで書いておきたい。


私は、私達がただ生きることに「生きる意味」というものは存在しない。と思っている。

行動には理由があって意味を付けられるけど、現象には意味付けできない。
雨が降ること(現象)に理由も意味もないのと同じ。現象が起きる「根拠」はあっても「理由」ではない。

水蒸気で雲ができて雨が降る事と人間が産まれて死ぬ過程は同じ。生命の起源アミノ酸からタンパク質になったのに意味も理由もないのと同じ。現象。

どうして?というクエスチョンは放置され誰も返事は返してくれないし、優しくも残酷に等しく流れる時の中で、産まれて命が尽きる事その一つ一つに大いなる何かの意図がある訳ではない。

ただ、他の生物のように粛々と生きるには人間は頭脳が発達しすぎてしまったから、

そこにエッセンスを加えたい、
それに意味を見出したい、

と思った時初めて「生きる意味」が顕現する。

利己的に考えれば人間という種を存続させる事を生きる意味とするのかもしれないし、遺伝子メッセンジャーにそう刻まれているから、それを神秘的な創造者の意図と捉えるのもありだと思う。

解などないから、だからこそ一人一人が「生きる意味」を探して自分なりの答えを探す余地がある。人類共通の、これが正解です!は残念ながら今のところ科学的に解明されて無い。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」とか、「子供は親を選んで産まれてくる」というのもそのエッセンス、救いの手立ての魔法の一つ。
ただそれは「この世の全てに意味がある」はずの世界線で、どうしても理不尽で受け入れられない事が起きた時に魔法は効力を失う。

生命活動には理由はない。ただ雨が降る事と同じで意味を持たず続いていくもの。

これが今のところの私の解です。

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