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「きゅうし」した友人(戸谷洋志著「友情を哲学する」)

「〇〇は”きゅうし”したんだよね」
初めに聞いた時、脳内で漢字の変換ができなかった。
私は、その友人が”休職”していたと思っていたからである。
返事のないことが気にかかっていたLINEの、最悪の答え合わせだった。

彼女は、私の中では、一番親しさを感じていた同期だった。
入社前のグループワークでも同じグループで、その後も仲良くなり、
彼女の住んでいる地方に行った時には、一緒にランチに行ったりお散歩をしたり、修士論文を書いたりしていた。

なんとなく特別に感じていたのは、同期入社の中では珍しい、同い年の同期だったこともある。
私は通常の大学院卒業の年齢に加えて+2年間学生の期間があり、
彼女も同様だった。
年齢やキャリアで悩むわたしたちにとって、同い年であることも、色々なことを考える上で、お互いの参考にしやすかったのかもしれない。

入社してからも、私と彼女は違う部署に配属になったが、
彼女は私が勉強していて希望していた部署に配属になったこともあり、
よく電話することがあった。
彼女にとっては新しいセクターの分野に配属されたにも関わらず、
周りに感謝しながら、ひたむきに努力を続ける彼女を、
私はとても尊敬していたし、信頼していた。
なにか困ったときや悩んだ時は、まず同期の中で相談しようと思えていたのも彼女だ。

仕事だけでなく、趣味の映画の話や将来の話も、電話でよくしていた。
彼女のおすすめしてくれた映画アプリに、彼女が教えてくれた映画のおすすめのメモが残っている。
会社の同期の中ではきっと珍しく、「いつかまたヨーロッパに住みたい」と話す彼女に、
どんな場所にいても自分の方向性をもっていることが素敵だと思っていた。

私が病気で長らくお休みをしていた後、復帰にあたって相談の電話をしたのは、彼女だった。
お互いの近況も併せて、気が付いたら4時間近く電話をしていた。
「こむぎちゃんは本当に頭がいいし仕事できるし、きっと大丈夫だよ!」
と明るい声でいつも励ましてくれていた。
自信のない私に、こむぎちゃんはすごい、と屈託なく励ましてくれていた少し低い声が、今でも頭の中にこだまする。

彼女の訃報について、同期は私の職場のメールアドレスにも送っていたらしいが、休職中は職場のメールアドレスが消えることを知らなかったらしい。
私は大切な友人の訃報を、半年以上経ってから知った。

彼女に相談のメッセージや、彼女の最寄り駅に行くのでもしよかったら会わないかというLINEを送っていたが、珍しく返事がないのが気にかかっていた。
彼女のLINEの返事がないことを、同じように体調が優れずに返事ができないのかと思っていた。その場合、事情を周りの同期にあえて聞くのも、彼女に申し訳ないと思っていたのだ。
最後に彼女とランチしたとき、私はまだ固形物が食べられなかったので、普通のランチに行けず、
今回はお互い元気に復帰してランチできたらいいな、楽しみだなあと思っていた。

「そういえば、彼女ってどうしてるかな?TeamsやLINEの返事がないから、心配してるんだよね」
と、復帰後、ランチに行った同期へ別れ際に問いかけた。
そこから、「〇〇は”きゅうし”したんだよね」という冒頭のことばにつながる。
”きゅうし”の理解ができなくて、「休職?」と聞いたところ、
亡くなったのだと伝えられた。
人通りも多い中、私はその場で泣いた。
その後、業務の合間に人のいないトイレでも泣いた。会話にならないくらい泣いてしまった後、
素知らぬ顔でマスクをして、業務に戻る自分が気持ち悪かった。
その日は家に帰るのがこわくて、友人から薦められていた映画を観ようと、
仕事帰りに映画館に寄り、2本連続で映画を観て、疲れて帰ってそのまま眠った。

そこから1か月間、ふっと頭をよぎることはあっても、泣くことはなかった。
重たいマンホールを、深い海の底において、蓋で覆い隠すかのように、気持ちを平坦にして過ごしていた。

大丈夫だと思っていたのだ。

週末に友人と電話していたとき、面白かった映画の話になり、
2本連続で見た映画のうち、時間合わせで観た映画の方が気に入ったという話をした。
おそらく友人は平日にそんな2本連続で観ることを訝しく感じたように思い、
とっさに「同期が亡くなって、家にいるのがこわくて映画館に行ったんだよね」と口から言葉が出た。
驚いた友人に、心配させないよう、
「でも大丈夫。教えてもらってから2週間経ったし」と伝えると、
「まだ2週間しか経ってないよ。それは大変だよ」
と心配そうな声で言われた。
そうか、大丈夫じゃなくてもいいのか、
まだ訃報を聞いて2週間なのか、と思った。

職場の人たちからすると、半年以上前の出来事だ。
最近復帰した私が勝手に動揺して涙して、
これ以上、心も職場も揺るがしちゃだめだ、と思っていた。

そこから更に2週間後。
朝出勤する前に開いた業務用メールで、
訃報を教えてくれた同期が送ってきたメールを見てしまった。
出勤しようとドアを開けると、外は雨が降っていて、靴濡れるの嫌だなあ、
でもお気に入りの傘がさせるのは好きなんだよなあと思いながら、
いつもの通勤路を進む。
歩いていてしばらくして、涙がとまらないことに気づいた。
雨が降っていてよかった、
息苦しいけれど、まだマスクをしていてよかったと、心から思っていた。

その日、普段通りに仕事をしていて、パソコンを向いているはずなのに、
涙がとまらなくて、鼻が詰まり、呼吸が荒かったのだと思う。
横に座っていた上司に心配の声をかけられて、事情を話し、
その日は午前中で帰宅した。

「彼女のことを言い訳にしたくない」という気持ちと、
「大切な人たちが心や身体を壊してまでいた職場で、私もさらに身体や心を壊してたまるか」という気持ち、
そして、自分の大切だった人が、同じように病気を支えてくれた人を事故で亡くしたことがあると聞いた時に、
何もできず、最終的には傷つけてしまったことを思い出し、
改めて自分を強く責める気持ちでいっぱいになっていた。

「死生観は人それぞれだけれど、祈るということで通じるものもあるし、
『しあわせでいてほしい』と祈ることも、大切なことだとおもうんです」

私が情報共有として、同期の訃報に動揺していると話した際、
主治医がやさしい声で言ったことばだった。

同期のことを話せないと思ったので、紙に書いてまとめた内容を読んだ時に、「本当につらかったね」と声をかけてくれた。
「どんな立場のひとでも、かなしいし辛いですよね」と言われて、
家族じゃないから」、
「一番そばにいた同僚じゃなかったから」、
あまり私が悲しむ権利はない
と思っていた気持ちがゆるりとほどけた。

また、何気なく手に取ったこの本に、思わず気持ちがこぼれそうになった一節があった。

友達が目の前にいないときに、その友達がもう死んでいるかもしれないと想像してみる。
そのとき、それでも友達への愛が失われず、それどころかより強化されるなら、それは真の友情である。…(中略)…

死んでしまった友達は、もう「私」に対して何も働きかけることができない。もうその友達は「私」を愛することができないし、「私」の孤独を和らげてくれることもない。もし、友達の死によって友情が失われるのなら、「私」はその友達を愛していたのではなく、友達から得られるそうした見返りを愛していたことになるのだ。
死んだ友達を愛せるだろうか。そう問うことは、もはや何の見返りも与えてくれない友達を愛せるかを、試すことである。そしてその試練に耐えられる愛こそが、友情に値するものなのだ。

戸谷洋志「友情を哲学する~七人の哲学者たちの友情観」

この文章を書いてみても、涙はこぼれるばかりで気持ちの整理はまだつかない。
マンホールの重い蓋は閉じたままだ。
なぜならそうしないとマンホールの底から出てくる海流に飲み込まれて、日々を送れなくなってしまうと思ってしまうからだ。

それでも、マンホールを、今までの海の底のイメージから、
少しでも晴れやかな明るい場所に置いている。
そっとマンホールのふたを撫でて、彼女のことを私は愛しているということ、これまで彼女がくれたことばや思い出にも心から感謝していることを。

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