■シリーズA(2016-19)順風満帆!?〜KOMPEITO沈没寸前
前回、創業〜シード期までを書きましたが第一話シード編はこちら
今回はプレシリーズAというかシードラウンド後に資金ショートの危機に直面してキユーピーさんとJA全農さんのチカラを借りてブリッジしてそこからシリーズAに向かうまでとそこからまたまた資金ショート危機の話を書きます。2019.6-8は自分の人生で一番のハードシングスでした。これを乗り越えたのは自分の人生にとって大きい気がしてます。(逆に大抵のことになんとも思わなくなってしまいましたがっw)それではワタナベ目線でのKOMPEITO記第2話スタート。
キユーピーの追加出資、JA全農の出資でブリッジしたものの、この時メンバーが7人(代表1、ビジデブ2、エンジニア2、営業1、バックオフィス1)+インターン生。どうやっても先々このままじゃショートするよねーって色々と頭を悩ませていました・・。その時、ふとある方が自分の頭の中でよぎりました。SHIFTの丹下社長。
丹下さんとの出会いはOFFICE DE YASAIサービスローンチ時の2014.4。そのとき自分は飛び込み営業しまくっていたんだけど、そのとき偶然SHIFTの丹下社長と出会い、一度呑みにも連れて行ってもらったこともあり、この人すげえなー。ビジネス力くっそ高いな〜ってなんか感覚的に感じてて。丹下さんに会って話したら何か開けるかも!?と、ダメもとでアポを取ってみた。会えば何か起きるかもと淡い期待を抱いて・・。
丹下さんと都内でランチして今の状況を話して。。そしたら開口一番「うちのオフィスに来なよ!」、と。
???
最初言ってる意味がよくわからなかった。でも、別れた後すぐにSHIFTのバックオフィスの方をFBでつないでくれて。あっこれは今のオフィスを解約してSHIFTのオフィスを貸してくれるってことだ。と遅遅に理解する自分。不動産屋さんに即行連絡して最短で解約させてもらうことに。
後から聞いたんだけど、オフィスをタダで貸してくれた理由が、ワタナベ君とはじめて会った時にOFFICE DE YASAIは絶対にうまくいかないビジネスだと思った、と。だいたい丹下さんは自分の感覚は当たる、と。でも、潰れずに3年生き残るってことは何か持ってるんじゃないかってことでオフィスを間借りさせてくれたとのこと。disられてるんだけどhappyな気持ちに・・。神様、丹下様。この御恩は一生忘れません。
長々と人様のオフィスを間借りしているのはカッコ悪いと1年以内に資金調達を成功させて出ていくことを勝手に約束してSHIFT社のオフィスを間借りさせてもらうことに!2016年4月、また東麻布に戻ってきました!
家賃ゼロ。固定費で年5M削減。正直デカい。
そこから約半年ほど・・、ARPUを適正化して(かなり値上げをさせていただきました・・ご迷惑をおかけした皆様本当にすみません)、オーガニック流入や人力で顧客を月10社前後増やすレベルの日々。
2016.8期末のMRRは4M超えるくらい。でも前年同月比で200%近く成長するようにはなってはきていた。
デリバリーは朝日新聞さんや明治の牛乳販売店さんと業務提携できてそれなりにオペレーションも安定化してきてた。
2016年秋、ニッセイキャピタルがリードインベスターになってくれてシリーズAラウンド150Mの資金調達に成功。このときのフォロワーのインベスターの方々を集めるのにも丹下さんにはかなり協力いただきました。丹下師匠!本当にありがとまとでした🍅
丹下さんが我々にオフィスを貸してくれた理由としてこう話してくれました。この言葉は一生忘れないし、その時、今後の自分の人生で心掛けることを誓いました。
「自分も本当に苦しいときがあった。そのとき先輩経営者に助けてもらった。だから渡邉君みたいな自分より若い経営者が困っている時に力になると決めている。だから、渡邉君も成長したら、自分より若い経営者が困っていたら力になってあげてほしい。そうやって恩送りをしていくんだよ。」
恩送り。できるような人間、会社になれるよう頑張ろうと誓いました。
2015年秋からバーンレートを下げることで延命し、事業改善を施しなんとかシリーズAラウンドの資金調達に成功した。
会社が成長できただけでなく、人の優しさに触れなんとか生き延ばせてもらって自分自身も大きな学びをもらった一年だった。
2017年4月。
資金調達に成功したKOMPEITO社は、再び自分たちのオフィスを構えることに!今度は渋谷に居を構える。居抜きでめちゃくちゃおしゃれ。2代前の入居企業からこのデザインらしい!内装費に700万円かけたそう。即決で申し込み。競合もいたがなんとか入れることに!!
このときのメンバーは変わらず7名。広さは40坪ほど。場所を持て余す状態ではあったけど、こっから2年で20名近くにする計画だったので先々考えるとまあちょうどいいサイズのオフィス。なんてたっておしゃれだ。テンションが上がる。
2015年の北参道から再び渋谷のベンチャー企業にw今度は正真正銘最寄駅は渋谷駅だ!気分上々である!!
2015年途中から取り組んできた値上げ施策により収益性はだいぶ改善された。資金も調達したしPMFのスピードを上げる段階。
プロダクトの磨き込みのために商品企画メンバーを採用したり、顧客獲得のスケールのためにセールスメンバーやマーケティングメンバーを採用。
まず
商品企画のメンバーとセールスメンバーがジョイン。
ここで運良く!?約2年前にラオスでフラれたリコピンこと好岡が転職を考えていてKOMPEITOに来てくれることに!彼女は広報のつもりで来たのにがっつり未経験のマーケティングをしてもらうことに!広報もマーケティングも大体一緒でしょ!!ってくらいのノリで誘ったんだけど(今は業務の明確な違いはわかってますww)
彼女の経験とかスキルよりも彼女がすごいのはマインド部分。こんなエピソードがあって。過去、KOMPEITOの広報業務を本業のかたわら副業としてお手伝いしてくれた時期がありました。1〜2ヶ月すぎた時にリコピンから「申し訳ない、副業が会社的にNGになりました。」と。「もらう予定だったお金とか全部要らないんで、やる予定だったことは今月しっかりやって離れます。」という話しをもらいました。
大体終わりしな、去り際の業務ってモチベもあんまり高くないしクオリティがぐっと落ちるって感覚が経験則的にあるんだけど彼女の場合はまったく関係なし。一切の妥協なしにコミュニケーションも業務もやり遂げてくれて。。自分はそこに本当に感銘を受けて。彼女と一緒に仕事したいなーと。
お金を頑なに受け取ろうとしないから一緒に食事に行く約束をして・・。そこからのことの顛末はコチラのりこぴんの入社記事から(まだ未掲載)。
商品のラインナップを増やしたり、サラダのバリエーション増やしたり、商品ラインナップは月10種類から20-30種類くらいに。
顧客獲得も新規で2-3倍増やし、2018、2019年とyoyで安定的に150%成長できるように。
2019年1月には累計で1000拠点を突破!
順風満帆に成長しているように見えていた。
PMFもそれなりに出来てトップラインも順調に伸ばしてきている。調子は良いと思っていた。このときMRRは20Mを超えるくらいで前年同月比200%超の成長。しかし、会社のキャッシュは刻々と底を尽きていた(って自分はわかっていなかった・・)。
2019.6月、会社のキャッシュが底を尽きていることを把握する。
調べると通帳の全預金合計で20万円に届かないくらい・・。この週末には従業員の給料日もある。給料は約1000万円くらいだろうか。ファクタリングも既にしててのこの預金高だからなかなか絶望的・・。
広告費を除いてのバーンレートはほぼ±0だから広告絞れば生き残れる。でも、既にガンガン広告打っていて今すぐ止めても翌々月まででCFで▲50Mほど。
一瞬、絶望感は感じたけど怯んだのは一瞬だった。やれることの選択肢は多くなかったから逆に悩まなかったwwむしろ逆境に燃えた。取り乱しても何も生まない。ここは冷静にやれることをやろうと思って行動した。
<やったこと>
1. 現CFO武冨への協力依頼の連絡
2. 株主への状況説明
3. 資金調達の模索(デット&エクイティ含め様々な手段)
4. キャッシュアウトの後ろ倒し
5. 会社メンバーへの状況説明
①現CFO武冨への協力依頼の連絡
状況が分かったタイミングですぐに中学時代からの先輩である武富さんに連絡。苦しい状況の中、どのように動いていくべきかアドバイスをもらう。彼は大卒後にサムスンで経理、ベンチャーでCFO、PEファンドといった経歴の持ち主。中学サッカー部からずっとひとつ上の先輩である。
やったこととしては直近の出血を極力止めるために④キャッシュアウトの後ろ倒しを実行
具体的には
・事業の基幹となる必要経費以外はすべてストップ。
・他社に切り替え可能な費用は支払いをできる限り後ろ倒し。
等々。
ここでは言い切れないかなり無茶なこともしました・・。サバイブ能力は相当高まったのでお金なくなりそうで困った時はいつでも相談くださいww
②株主への状況説明
すべての事実をしっかり各株主へ正直に話して謝罪。その後、株主陣が集まってくれて緊急会議。あの日のことは忘れられません。渡邉個人で20Mを準備する目処を話し、インキュベイトファンド村田さんが口火を切りポケットマネー個人で10Mを貸してくれることに。後日、ツネイシCさんが社債で15M出してくれることになり、45Mを準備し8月までブリッジ。その間に資金調達をするということで方針決定。
③資金調達の模索
デット、エクイティの両輪で模索。デットでは銀行20行近く会うもどこも決まらず・・。
エクイティではISGS五嶋さんが我々の悲惨な状況を理解した上で出資を決めてくれたり、シリーズAリードのニッセイキャピタル高尾さんが「なんとかできるようできる限りがんばりましょう!」と声をかけてくれて一縷の望みにかけて協力してもらいながら7月上旬〜約2週間、投資委員会にかけるために資料作成。嗚呼、、あの期間は本当にハードだった・・。
⑤会社メンバーへの状況説明
これは全員会議室に集めて、素直に今の状況を伝えました。
給与はしっかり支払うことと期限も遅らせないことを明確に伝えました。現状の動きは常に共有することも約束しました。
それとひとつだけ、今後よりどんなネガティブな未来が待ってるかわからない中で、社員のみんなは勿論大事なんだけど自分自身は物事を判断するプライオリティとして子供の人生を守ることは社員のみんなを守ることよりも高いことは伝えました・・。
なんとか8月上旬に諸々の条件付きでニッセイキャピタルからの出資が決まり、壮絶な2ヶ月間を過ごしなんとか危機を脱出。ほんとに会社が潰れるかもしれないという危機的状況の中、ほとんどのメンバーは残ってくれました。当然離れるメンバーもいました。離れたメンバーは特段間違った選択肢だとも思わないです。このとき残って前向きに取り組んでくれたメンバーは今までもこれからもKOMPEITO社の大事な大事な宝だと思っています。
ブリッジ部分では株主の皆さんもですが、嫁や嫁の実家にも多くの迷惑をかけました・・。彼女の懐の深さにはいつも多くの学びを得ています。(これについてはまた後日)
そうして波乱の2019年夏は終わりを告げ、KOMPEITO丸なんとか沈没を回避し生き残る。そしてシリーズBラウンドのフォロワーを探すことに。
こういったクリティカルな問題が発生すると当然組織もダメージを受けています。。まだまだハードな2019.8期以降はまた次回に。
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