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KOMPEITOの生い立ち(ワタナベ目線) 立ち上げ〜シード期(2012〜2016)

株式会社KOMPEITO代表取締役CEO渡邉です!

このたびシリーズCラウンドの資金調達完了にあたり、ベタにnote書きました!社内で役員陣みんなで書こうってことになったので!自分が書く内容はワタナベ目線でのKOMPEITO社の生い立ちと成長過程です。

書き始めたらめちゃくちゃ長くなってしまって(汗)大半の人は読む気失せると思いますが、今後KOMPEITOに興味持ってくれたり、仲間になってくれた人が読んでKOMPEITOってこんな感じでやってきたんだな〜っていうのを理解してくれたら嬉しいです。あと起業目指してる人が雰囲気掴んでくれたり、こんなんでもうまく行くんかい!って勇気を持ってくれても嬉しいですw

渡邉が共同創業者である川岸さんとの出会いと、なぜ農業系ではじめたのかのキッカケからはじまります。それではスタート🍅長いよ〜!

■立ち上げ〜シード期(2012〜2016)

大学の新卒で日本能率協会コンサルティング(=JMAC)に就職。コンサルタントは給与水準高め、会社経営に関われるってことで就活時は外資含めてのコンサルファームとリクルート系で合計10社強しか受けませんでした。就活時はグループディスカッションにめちゃくちゃ苦戦して(まあ受からない)、おそらく性格的に協調性がないからか全然受からず・・でした。

運良く?グループディスカッションがなかったJMACに入社しましたw入社時はPCもまともに打てない劣等生でボーナスは同期でトップクラスに低かったです。

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農業との出会いはそのとき。JMACはものづくり系企業に対してのコンサルに強みを持つ会社で2000年入ってから株式会社の農業参入解禁などもあり結構メディアに農業が取り上げられることも増え注目を集めてきた中で農業系のコンサルサービスをつくるチームに入ったのが出会いのキッカケでした。

様々なヒアリングや取組みなどを通して、農業界の販売・流通経路の選択肢は他業界と比べて少ない印象を受けたこと、業界が旧態依然の商習慣のままで課題を感じたことが、起業して農業界に参入、OFFICE DE YASAI 立上げに繋がってます。

起業の大きなキッカケになったのは会社グループ連携で行った東日本大震災のボランティア。そこで後にKOMPEITOを共同創業した同期の川岸さんと話しをしていたなかで彼が

「起業したいんだよね〜」

「起業してなにすんの?」

「ワインを売る」

と、聞いて。そんときはふーんというくらいに聞いてて、ワイン売るのは別に正直面白そうではないな〜って思った記憶がありますwwスマン

自分自身、前職で評価が低いことは認識してた&会社の求める人材像とあんまりマッチしていない気は正直していて、自分自身いままで生きてきてもうちょっとやれるんじゃないかな?と、沸々とジョブチェンジの気持ちが沸き起こってきてはいて、そんときに転職サイトを結構見たりしていたんだけど転職より起業のほうが自分の腕試しできるんじゃないかな?と思い、そのとき起業しようと考えていた同期・川岸さんのことが思い浮かび、出張先の北海道から彼に連絡して蒲田で会って飲みながらいろいろ話したのは今でも鮮明に覚えています。

千歳から羽田への機内でビジネスプランをちょっと考えて、、最初やろうとしたのは今でいう「食べチョク」とか「ポケットマルシェ」みたいな生産者とエンドユーザーを繋ぐ直売EC。

生産者さんと話しをしていて、彼らは販路開拓への悩みだったり、彼ら自身の想いをなかなか消費者に伝えられないとか意見をなかなか聞けないっていう悩みを聞いていて、それを解消するために生産者とエンドユーザーをつなげるサービスを当時は考えました。

「コンサルは給料はわりかし稼げるから、金稼ぎよりもやるからには業界を変えられるような、世の中にシゲキを与えられるようなことをやろう!」と伝えて、この瞬間から2人で起業することが決まりました。

ちなみに「世の中にシゲキをつくる」っていうのがKOMPEITOのミッションです。

自分は、そのとき結婚して子供もいて二人めがその年に生まれる予定だったので社長をやるには連帯保証など諸々ハードルあるなって思ったので社長は川岸さん、自分は平社員のかたちでスタート。

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嫁への説得はそんなに工数かからず、自分がやりたいならやってみれば、くらいだった。毎月家に最低いくら入れるって約束はして。。懐の深い嫁でとても感謝。

会社名はKOMPEITO(コンペイトウ)。世の中にシゲキを作れるようななにか大きなことを成し遂げよう!って漠然とした思いからはじまり、世の中にシゲキをつくるためには自分たちの組織に集まる人は「トゲがある人」「いろんなカラーの人」が集まって、そして将来、世界に飛び出す時には日本人としての誇りを持ってやれたら・・って思って考えたらお菓子の金平糖が思いついて。KOMPEITO、文字にするとそんなにカッコ悪くないしいいじゃん!!ってことで

株式会社KOMPEITOが2012.9.3に誕生!!!今期10期めです。

後になって調べたら金平糖はポルトガルのお菓子で、日本初の物じゃないってわかったんだけど、もう面倒でとりあえずKOMPEITOにしましたwww

ふたりで150万円ずつ。資本金300万円でスタート。前職後輩の越くんのつながりから東麻布のゼロワンブースターに入居。オーナーの鈴木さんとジョージさんにはとてもお世話になったし、そこで出会った仲間とは今でもいろいろやりとりしてます!

最初は仕入れのために北海道から九州までいきまくって、畑仕事しながら住み込みとかしてましたw(あきらかに住所ない人も中にはいました。一緒に鍋つっついて・・)航空券はLCCのバーゲンを連打して1円で取ったりw

そんなこんなで最初は全国の20くらいの生産者さんでECサイトをスタート。その名も「Agrich(アグリッチ)」!アグリカルチャーをリッチに!となんとも鼻息プンプンな愛あるネーミングをしました。農業界をよくするんだ!って意気込みだけは感じてもらえたら嬉しいです。

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友人にお願いしつつ買ってもらっていたけど2周くらいで注文がパタリとストップ。。おおこれはやばいと。困ったな〜と。

このときはビジネススキルがなさすぎましたwwwちなみにECサイトづくりに200万円!!

銀行から創業融資でたしか6M受けてたけど、早々にお金なくなりました。

とりあえずうまくいかなそうだからやめよう、と。農作物の流通の基本を学んでみよう!基本のキといえば八百屋だ!!八百屋をやれば課題抽出とか出来て色々と見えるだろう!と、ふたりで話し合い、八百屋を始めることに。

運良く自分が学生時代に家庭教師をしていた知合いの酒屋さん@麻布十番の一角を借りて八百屋をスタート。

前職で大事なのは現場だ!って叩き込まれていたので、とりあえず手触り感ある八百屋やれば何か見えるだろう!!ってくらいの浅い考えではじめてみる。

ちなみにKOMPEITOのトレードマークと化している野菜の被り物が生まれたのはちょうどこの時。

友人から野菜をかぶった人が電車にのってSNSでバズってるってことを教えてもらって、それ見て八百屋の集客目的でかぶってみようってことで野菜の被り物を購入。

→ここで被り物買えます♫マスカラファブリカ

ひとつひとつ手作りで作っている(ハズ)京都のご夫婦でやられるお会社さんです。

八百屋の店頭で野菜かぶってると近所の小学生が群がってきて、彼らにミニトマトのサンプルと飴をあげて、君たちは飴食べてミニトマトはお母さんに渡すんだぞーって配りまくってました。

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そうすると週末にお母さんが子どもを連れて買いに来てくれてwそれでも1日の売上1万円前後で、、粗利を時給換算したら絶対にバイトしたほうがマシな状況が続いてましたwww

そのとき自分は夕方から浜松町駅から出てる納涼船のビール注ぎのバイトと週末はフットサル審判の合宿バイトをしてなんとか生計を立てて。。

家に帰ったら3歳の娘と0歳の娘がいて、、彼女らを見るたびに俺はこのままで大丈夫だろうか?この子らを食わしていけるのか?大学いかせられるのか?とか考えるとめっちゃ不安になって日々本当に眠れなかったです。。。あー結婚前の若い時に起業すればよかったってその時めっちゃ思いました。なので起業は固定費が低い段階で早ければ早い方がいいと個人的には思います。

ぜんぜん売れない日々、、店内でいろいろ考えたり調べ物したり、、近所のおばあちゃん達とお茶飲んでだべる日々、、

「あんたたち若いんだからちゃんと仕事しなさい!」って近所のおばあさんに説教されたこともあったな〜。たしかにスローライフな29歳でした。でも気持ち的には夢は捨ててませんでした。


転機は突然に訪れました。


廃棄ロスを避けるために売れ残った野菜を夕方、知り合いの会社に持って行き、買ってくださいとお願いして買ってもらってたんだけど、その売り先をつくるために前職の大先輩の紹介でビースタイルの三原社長を紹介してもらってお会いすることに。

そのときに・・「持って帰るのめんどくさいからその場で食べられるようにしなよ!シリコンバレーのスタートアップではサラダバーの福利厚生とかあるじゃん!その廉価版サービスとかウケるんじゃない?」

的なアドバイスもらい。「(現Zアカデミア学長、当時PLUSの執行役員だった)伊藤さんに話してみたら興味持つんじゃないかな?」と、言われて。。

その2-3日後にシェアオフィスの01ブースターに伊藤さんが来てて偶然お会いして、その話しになり、おもしろいねー!テストするなら協力するよ!みたいな感じで言ってくれて。。

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(真ん中が伊藤羊一さん)

あれ?なんかオトナたちが盛り上がってるな🤔もしかしたらイケるんじゃないかと思い、ビースタイルさんやPLUSさんのオフィスでテスト販売させてもらうことに。

そのとき我々は野菜を切ることはできなかったからミニトマトをパック詰めしたものを持って行って

無料だったり、100円、200円で小さな冷蔵庫で売ってみたところ・・

無料は置いたとたん瞬間風速でなくなって、100円はまあまあ利用されて、200円はちょこちょこ利用されて、、

100円だと商品の原価より安いからどこか違うとこでマネタイズしなきゃいけないよね〜と話して、色々話ししてると健康に良いとか従業員満足ってワードが企業の担当者さんから出てきてて。企業が福利厚生で補助すればいいんじゃないかと考えつき、最初は月12000円の補助で2014.4にスタートしました!

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(ドコモイノベーションビレッジでもテスト販売させてもらいました!真ん中はLibry後藤くんですねw)

KOMPEITO立ち上げから1年7ヶ月。現在基幹事業となっているOFFICE DE YASAI がスタートしました!!!

こちら→OFFICE DE YASAI

ローンチ前のテスト販売をしていた頃、KOMPEITO社のお金がもう本当に本当に底をつきそうで、、せっかくよさげな事業を世に生み出せそうなのにって絶望してたんだけど、川岸さんがインキュベイトキャンプに参加し、サムライインキュベート榊原さんから5Mの出資オファーを受けてきて、、もう預金がほぼつきそうだったので本当に助かった。

初外部資本!1回目の資金ショート危機回避!!
(実際はその前に縁あって帯広畜産大学教授から出資いただいたんだけど買い戻した経緯あり)

OFFICE DE YASAI ローンチして、最初は飛込み営業100社/日以上とか知人紹介とかで50社近く導入してもらって、うまくPRしたらTechCrunchに掲載してもらってこれがわりかしバズり(↓その時の記事)https://jp.techcrunch.com/2014/04/22/jp20140422office-de-yasai/

その流れで日経新聞やWBSに取りあげてもらって、問い合わせの電話とメールがひっきりなしに!!

そのとき誰も配達スタッフを雇ってなかったのでで二人で東西で分けて自分たちで自転車こいで配達してました。

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(電動ついてないのよ!汗)

漕いでる中も電話対応とかしながらでなかなか大変な状況でw

今思い返すと雨の日はめっちゃしんどかったし、雪の日は恵比寿の坂道ですっ転んだり、内閣前でカラスに追っかけられたり、本当に泣きそうなくらいつらかったです。

2014.4にサービスローンチして3ヶ月ほど経過し、大事件発生!!

顧客企業の冷蔵庫できゅうりが腐る、というクレームの電話の嵐。クレームと新規問い合わせと宅配と仕入れとでもうパンク。パンク寸前じゃなく明確にパンクしました。。

3日3晩寝ないで対応。そのときにキユーピーの経営企画室の榎並さんがフラっとゼロワンブースターに訪れてオーナーの鈴木さんとジョージさんにつないでもらって。これが本当に重要な出会いだった。

新規導入の伸びから冷蔵庫買うお金が尽きてきていて資金調達しなきゃいけない。いまのクレーム状況伝えたら出資どころの状況じゃないんじゃないかと思い、、

今起きている事実を素直に話すか話すまいか悩みつつも話すことを決断し、今の悩みと出資の相談できないか意を決して話してみることに。

こっちはビクビクしながら伝えたんだけど、キユーピー榎並さんは意外にも笑いながら、「そっかー!そしたらうちと組む意味あるねー!社内で話してみるわ!」と。そして「いくらほしいの?」と。

自分は勢いで50M欲しいですと伝えて。「オッケーちょっと動いてみるねー!」と。

その後、キユーピー榎並さんから品質改善のために品質管理の方をつないでもらい、工場を外部委託することだったり、工場の品質管理の作り込みに入ってもらって・・その間はリスクが大きいからサービスを休止して、ほんとに出資してもらえるかわからない不安感も入り混じりながらとりあえず言うこと聞いてがむしゃらに動いてみる2ヶ月間。

群馬の藤生さんって野菜卸会社さんがそれまで加工等はしてなかったんだけど、頼み込んでやってもらえることになり工場委託は決まって、そこでの工程づくりはキユーピーの藤村さんがしてくれてとりあえずサービスを再開できそうな目処が立ち。。

その間にインキュベイトファンドから15M(CBでの)出資が決まり、キユーピーからも話し始めてから2ヶ月くらいで50Mの出資が決まり、サービス再開&資金調達に成功!と難局を脱す。この時は不安がっても意味ないからなるようになると思ってがむしゃらにやってた記憶。

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(キユーピーから資金調達で記者会見🍅)

このタイミングで手伝ってくれていたエンジニアの黒木さんがCTOとして正式ジョイン。(いまはDr.ストレッチの株式会社ノビテルの取締役CTOとして活躍中)

黒木さんとの出会いは麻布十番の八百屋時代。ちょうど八百屋の裏にミクソロジーBARができて、売れ残った野菜やフルーツを持って行ってた。そんでちょこちょこ呑ませてもらってたんだけど、ちょうど呑んでたときに横に座っていたのが黒木さんで。その時、持って行ってた野菜が宮崎県のミニトマトで。

黒木さんは宮崎の出身でしかも同い年でなんか話しが合い意気投合。おれらはそんときエンジニアが喉から手が出るほど欲しかったから、そっから口説きまくりで。

黒木さんは合コンマッチングサイトを作る会社で正社員として働いていて、毎日23時ころに黒木さんのオフィスに押しかけて最初に立ち上げたECサイトを手直ししてもらったりしてて、だいたい2時3時くらいまで作業して(おれは横で見てるだけw)黒木さんの都内のマンションに毎日泊めてもらってww非常に迷惑なやつだったと思うけどおかげですごく仲良くなって色々手伝ってくれて、会社が大きめの資金調達できたらジョインするよーって約束して、資金調達できたからジョインしてもらったって流れ。なかなか奇跡的な出会いからのジョインwやっとエンジニアの参画が正式に決まった!よっしゃ!

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(左が黒木さん。この冷蔵庫だと品質管理上NGで全台回収・・。なぜ笑顔なのだろうか?笑顔にでもなってないとやってられないからだろう・・。)

話し戻って、資金調達できたから営業入れようとか経理が必要だーとか、あとオフィス移転しよう!ってことで北参道にオフィス移転。シェアオフィスを卒業して自分たちのオフィスに移転する時は本当に嬉しかった。

その後、黒木さんが友人のうめちゃんこと梅津をを誘ってジョインしてもらいエンジニア2人体制に!ちなみにうめちゃんは現在KOMPEITO社の取締役CTOです。

エンジニアふたりと自分は月曜にオフィス来てはほぼ毎晩寝袋で寝泊まりしてましたwああ、31歳の青春。あの生活はもう絶対できない。死ぬ。

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(上からうめちゃん、黒木さん、自分。これが日常。。)

キユーピーさん出資から早1年ほど経過した2015年夏すぎ、またもや資金ショートしそうになり、キユーピーさんにお願いして、そしてJA全農さんにもお願いして資金調達をしてぎりぎりブリッジ。

2回目の資金ショート危機回避!このときのMRR2.5Mほど。

商品のラインナップを増やしたり、基本人力で営業したりで糸口が大して見えないずっとツラい日々。

この時かな現取締役CMOのりこぴんこと好岡と出会ったのは。まだジョインしないけど。→出会いとジョインのきっかけはりこぴんのnoteから。

これがKOMPEITOの立ち上げ〜シード期。とりあえずずっとバタバタ。

自分の役割はCOOとして事業開発、営業に比重を置いてゴリゴリバタバタやってました。

でも結局このままいっても半年以内には資金ショートするよね。。と。
難局打破するために淡い期待を抱いて飛び込み営業時に偶然出会ったSHIFT丹下社長に会いに行ってオフィスを間借りさせてもらうことになったり、値上げを断行したりと、、そしてシリーズAの資金調達につながる話しをまた次回「KOMPEITOシリーズA期」編に書こうと思います!つづく。

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(あー!目の前に偉い人おる!!って思って撮らせてもらったSHIFT丹下さん)

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最後に・・イベントとかでトマトかぶっていくと女の子にチヤホヤされるのがこのときのほんの少しの幸せを感じれる時でした。

様々な部門、全国でKOMPEITOの仲間を募集してるんでもしよかったら応募してください!一緒にやさい被りましょう🍅

🍅インサイドセールス(東京)

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