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お金なんていらないけどiPhone15欲しい

お金なんていらない。
「お金なんてあればあるだけいい」という意見には割と本気で賛成できない。でもiPhone15が欲しい。できたらProがいいなぁ


お金不要論

基本的にお金は必要ない。必要なのは収入と支出のバランスがあっていて「お金に関して心配がない状態でいること」だと思う。永遠に「収入を増やすか」を考えるのではなく、今の収入で心地よい支出のバランスを探す。
心配性な人は多額の貯蓄をしていれば良いし、今を生きている人は宵越しの金を持たなければいい。

仮にバランスが取れたとして、お金の使い方は下記のようになる。

年収 =
a (自分の周りと同じ生活レベルを送る費用) +
b (自分の心配を解消できる分の貯蓄や投資) +
c (本当に価値のあること)

厄介なことに年収が高くなるにつれ、a,b,cどの量も増えていき、一度増えると減らすことができない。
c(本当に価値のあること)の取り分が、いくらになろうがその中で最大限楽しめばいい。
旅行が好きなら、今行ける範囲で遠いところに行こう。ヨーロッパだろうが、沖縄だろうが、隣の市だろうが楽しいことには変わりない。
憧れの北欧に行くことができないまま死んでもそりゃそれで一興だろう。

今は貧しい大学院生として、割と満足はしている。来年からなんだかんだ社会人になり、今よりお金の総量は上がるんだろうけど、生活に対する満足感は今以上でも以下でもないことになりそうだ。

それでもお金は無限に必要だ

自分がどの程度の給与を貰おうがどうでも良かった。
ものを考える度に、「まぁいつ死んでもいいしなぁ」と虚無感を感じる。最近流行りの楽観的ニヒリズムだ。

どうでもいい > どう過ごすか(恋人, 友人, 趣味) > その他(お金, 仕事)

今の僕には、どんな仕事をしてどのくらいお金をもらえるかより、今の恋人と一緒に入れるかどうかの方が明らかに大切で。
とはいえ、明日死んでもなぁ…と段階を踏むごとに「どうでもいい」に帰着する。

しかし、最大のお金必要イベントが世の中にあることに気づいてしまった。
それが「子供ができる」ことだ。

「子供ができる」ということはとんでもなくすごいことだと思っている。
人ひとりが存在することの原因になる。その人が生まれてから、死ぬまで本人が知覚する全ての物事とその人が与える全ての情報の原因になる。
そんな大きなイベントが、恋人同士で子供を作ろうなんていう単なる二人の人間の一途機の意思によって発生するのだ。

とかなんだとゴチャゴチャ言ってるが、別に子供を作らないと決心してるのではない。
「子供が欲しい・欲しくない」なんて恐れ多くて議論できませんが、もし子供ができるとなったら自分精一杯尽力いたします。という立場である。

そこで、もし子供ができるとするとお金不要論は全く覆ってしまう。
お金が自分のみに帰属するものではなくなるのだ。言っちゃえば無限に必要になってくる。当然子供が「島が欲しい!」と言い出した日には、一括で無人島を買わなきゃならない。お金を稼がねば…

iPhone15を買うべきか否か

とはいえ今のところ、直近で子供ができる予定はなく、未だお金不要状態ある。少ないバイト代ではあるが、特段心配はなくバランスが保たれている状態だ。

なのにここ最近古のiPhone8の調子が悪いときた。
電車で音楽聴きながら、Safari開いてただけで充電が80%から15%になり危うく改札から出られないところだった。
お金に心配がないことを重要視してきたのに、今はお金が無さを突きつけられている。

新しいiPhoneが欲しい。
自分もみんなみたいにカメラレンズが複数ついた奴が欲しい。
できればMacと共用のType-cが良いし、かっちょいいチタンのproがいい。
と欲望はとめどない。

iPhone15 Proを一括で買えるような余裕は大学院生にはない。
一括で迷いなくぱっと買う未来より、お金がない状態であれこれ悩んでいる今を楽しもう。という感じで締め括りたいが、おそらくいつまでもスマホ(等の生活必需品かつ高額なもの)は苦渋の決断をしながら買うことになりそうだ。




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