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眠れない。

秋は好き。涼しいから。パーカーを羽織って過ごしやすい季節は心地良い。ちなみに見出しの写真は10月末くらいだと思う。寒かった。過ごしやすい秋、短すぎる。

まあ気候以外は別に好きじゃない。花粉がしんどいし、夏休みは終わるし、学校が始まるし、なんだかんだでいろいろ忙しいし。短いし。

『夏は嫌いで、冬は惨めで、春は何かに追われてるようで、秋になると君を思い出してしまう』(学生街全能幻想/PK shampoo)なんて歌詞がなんとなく好きだ。秋の気候以外は好きじゃない、思い出すような君も存在しないけれど、この歌詞が好きだ。まあ夏は暑いから嫌いだし、冬は惨めな気がするし、春になると何か新しい風が吹いて急かされているような気が、する。

https://music.apple.com/jp/album/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E8%A1%97%E5%85%A8%E8%83%BD%E5%B9%BB%E6%83%B3/1519944704?i=1519944716

歌詞といえば『才能なんて嘘だ 努力なんて詭弁だ』(来世は他人がいい/Δ)なんてのも、なんとなく好きだ。才能を羨んだことも、努力をして報われなかったことも特にないけれども(報われるほど努力をしたことがないので)。才能は妬ましく、努力は無駄だと、自分に言い聞かせているように思えて。

https://youtu.be/NPaaRKlKrCM

https://nico.ms/sm34598976?ref=other_cap_off

この歌詞たちを見ると、自分はこういう人間なんじゃないかと思ってしまう。そんなことはないのだけれど。こういう歌詞が書きたいなぁと思う。

秋の話題はもうとっくに終わりました。

音楽を聴く度に、音楽は良いなぁと思う。音楽をするときにも、音楽は良いなぁと思う。だけどそれは既存のものを聴いたり、演奏して、良いふうに自分で消化しているわけで。他人の感情、他人の言葉、他人の音楽で良いなぁと思うことと、自分で何か作って納得いくことはまた違うんだろなぁと、思う。

なにか辛いことがあったとき、いつも藤原基央(とその音楽)、ほか自分の気持ちを代弁してくれている曲に頼る。そうやって生きてきたんだけど、そろそろ藤原基央に頼らずに、自分で物事に向き合うべきなのではないかとたまに考える。そういうときに、自分の気持ちを言葉や音楽で表現できるといいのではないかとも、思う。辛いときに「ギルド」や「才悩人応援歌」を聴いて泣くのは悪いことではないけれども、そろそろ自分の気持ちは自分の言葉で消化したいな、と。自分に無頓着なせいで、自分の感情やイメージを持つことが苦手で、自分で音楽を作ることもまた苦手だ。

遠い昔に、好きなキャラクターのイメージソング(歌詞はない)を作ったことがあった(キモヲタク)。もう忘れてしまったけれども、当時はそれを弾く度に幸せな気持ちになった。天才的なメロディだと、自画自賛していた気もする。

自分が作った音楽を自分で好きと言えることは、きっと良いことだなと、思う。そんな自己肯定感すら、最近は失ってしまったが。そんなハッピーなものじゃなくてもいい。マイナスな気持ちも吐き出せる手段を、そういう曲を作れたら、少しだけ人生楽になれるんじゃないかな、などと供述しており…供述しているだけで…何も…おれは…。




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