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「作る」ことについて思い巡らせたこと。

おととい90歳になった祖父は大工だったというのに、孫の自分は長い間、物を作ることから無縁な生活を送ってきた。長い間、と言っても25年とかそこらの人生だ。いろんな人や出来事に影響されて、変わっていく余地が多分にある。

小学生のころに夏休みの工作の宿題で、おじさんに船の形の貯金箱作りを手伝ってもらったことがある。祖父の息子にあたるおじさんは当時、祖父と同じ工務店で働いていた。カメラや昆虫が好きなおじさんと一緒に工場にいながら、自分はほとんど何もせず、ほぼすべての工程をおじさんにやってもらった結果、小学生の工作にしては立派過ぎる貯金箱ができた。木でできた船の形の貯金箱を気に入った祖母は、それを死ぬまで自分の部屋においていたのだけれど、祖母の部屋を訪ねるたびに僕は少し恥ずかしい気持ちになった。僕はその貯金箱をほとんど作っていない。

大学で臨床心理学や教育学を学んでいた僕は、大学に入ってからも物作りとは無縁の生活を送っていた。大学で作ったものといえば、臨床心理学の実習で作った箱庭と、1回生のときに学祭で出した沖縄料理のソーキ汁くらいだった。

物作りの面白さを知ったのは大学5回生のころー僕は4回生の後期を休学して全部で5年間大学生をしていたーで、夏休みにGood Job! Center KASHIBAという奈良の福祉施設にボランティアに行ったときだった。施設の竣工式の前にグッドドッグというはりこのおもちゃを作るなかで、無心になって何かを作ることのおもしろさを知った。同時に、漆塗りや木工、アクセサリーなど、本業や副業で自分で手を動かして物を作る人たちと一緒に働いているうちに、自分がいいと思うものを自由に作る彼らのクリエイティブさに憧れた。

それからしばらくして僕は、デンマークのフォルケホイスコーレというユニークな学校に留学する。そこで教師をしていた山本さんにある日、放課後に学生がくつろげる場所を作りたいと言われた。校舎裏には古びたワゴンが放置してあったスペースがあって、そこに置くための机や椅子を廃材から作るのを、電動ノコギリやドリルの使い方を1から教えてもらいながら手伝った。

苦戦しながら作った椅子やテーブルには愛着がわいたし、自分で作ったものを実際に使う経験をそれまでろくにしてこなかった人間にとって、それはかなりわくわくする経験だった。

帰国してからも、職場のカフェの本棚や家で使うテーブルなど、木工で作れるものをいくつか作るようになった。デンマークで学んだことのうち一番大きかったのは、自分で作ることのおもしろさだったんじゃないかと思っている。

ビスコ缶。

「つくる」という言葉から最初に連想されるのは物作りだったけれど、考えてみれば、この世の中のすべてのものが、誰かや、何かによって作られたものなのだと気づく。システムも、人間関係も、何もかも。それを使っている人もまた、作られたものからまた何かを作り続けている。

物作りとあまり縁のなさそうな福祉の仕事だって、働き手がいなければその会社は存在しようがなくて、働くひとりひとりが会社を作っているとも言える。家族だって、社会だってそうなんだろう。存在してるだけできっと、みんな何かを作っている。ひとりひとり、いやもっと言えば、微生物とか、マグマとかアルゴンとか、いろんなものが今の世界を作っている。

自分がどんなに微力であっても、世界を作っている一部なわけで。存在してるだけできっと何かの役に立ってるんだろうなあ。存在って尊いなあ。

考えているとなんだかよくわからなくなってきたので、「作る」の意味を引用して終りにします。こうして文章を書くことだって、ちゃんと作ってるんですね。

作る

①(その人の独自の精神活動の結果を)形のあるものにする。②(苦労・努力を重ねて)役立つものに仕上げる。③今まで無かった状態を新しく存在させる。④手を加えて、もとと違った形(や価値)のものにする。⑤意図的に、そのような形(状態)に見せかけるようにする。

(三省堂新明解国語辞典第六版(2005年)より引用)

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5月の頭に始めたしりとりリレー、早くも3週目が終ろうとしている。

佐野さんの靴の話もおもしろかったな・・・。ぼろぼろの靴を履き続けるのはそろそろやめにしよう。

「靴」→「つくる」の次は、

・”る”から始まる言葉で3番目に思いついたもの

・ルール

・ルームメイト

から選んでもらいます。

なごみさん、お願いします。

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。