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30代からの寮生活についての雑感


 たいして忙しかったわけでもないのだけれど、いつもより長く、noteを書かない期間が伸びていた。ブログもしばらく書いていない。ちょっと前から、少し長めのライティング(過去のとても個人的な経験を書くようなもの)の仕事をいただいてそれに注力していた反動か、現在のプライベートのことは自分だけが見れるクローズドな場所に書きたい気持ちになっていたのかもしれない。



その間に、生活に変化があった。
6月からは平日を奈良市北東部のとある地域で暮らしている(その地域のことも、いつか落ち着いてきたら書きたいと思っている)。

これまで住んでいた奈良の市街地から、原付で約1時間ほど。さほど遠くもなく、近くもない場所なんだけど、平日は職場の寮で、男3人(月の半分くらいは+1人)で暮らしている。

思えば、去年の秋に五條市で柿収穫をしていたときも、3か月だけの短い期間だけど、寮生活だった。大人になってからの寮生活について思うことを、noteに書くことのリハビリがてら、ゆるゆるだらだらと書いてみようと思う。


もともと、人と暮らすのが苦手だった

自分は、過干渉な家族のもとで育ったからか、もともと人と暮らすことにしんどさを感じやすいタイプだった。もう10年以上前になるけれど、大学で下宿をして初めて一人暮らしをしたときの安心感を今でも覚えている。誰にも干渉されない自分だけの空間が落ち着いた。誰に何を言われることもないし、家にいるあいだ、好きなときに好きなものを作って食べて、自由にすごせるのは嬉しかった。そんな生活を長く続けていたら、ずいぶんだらしなくなってしまったのだけれど。

これまでも何度か人と暮らしたことはあるけど、距離感がよくわからず、相手にしんどい思いをさせたり、自分もしんどくなることがときどきあった。個としての境界をあまり意識せず、異常に近い心理的距離感で相手に干渉していくのが当然のような家族で育ったから、そんな関り方はよくないと頭では思いつつも、ときどきそれに似た態度を自分も同居人にとってしまってしまっていたなと、過去のことを振り返って思う。

だけど、何度か人と暮らすことを経験するうちに、ある程度は、程よい距離感がつかめるようになってきたんじゃないかなと思う。話しかけられたら話すし、自分も用があればタイミングを見て声をかけるし、ときどき一緒に夕食をとったり、飲んだり、出かけたりもする。だけど無理はせず、誘われても断るときは断るし、その分、なるべく普段は人当たりよくふるまえるように意識はする。寛容でありたいと思うし、互いに快適にやれたらいいなと思って生活している。


一人になれる場所、一人の時間はやっぱり大事

 とはいえ、一つ屋根の下に人と住んでいても、一人で過ごす時間や、快適に過ごせるひとりの空間は大事だと思う。幸い今の寮は一人ひとりに確保されている個室が広いので部屋でゆっくりできる。

仕事以外の時間はもちろん自由なので、仕事後は原付で20分ほどの街に出て、買い物や銭湯に行ったり、寮から散歩にでかけたりしている。6月にもなると日中は暑いのだけど、少し標高の高い地域で、夕方以降は比較的涼しいので散歩もしやすくて助かっている。


大人になってから人と暮らすということ

同居人も皆20代や30代なので、なんというか、いろんなことをわきまえて、互いに配慮をしながら過ごしている。これが、互いに中学生や高校生のときだったら、難しかっただろうし、自分はもっとしんどかったんじゃないかなと想像する。

人と暮らすというのは本来、結構難易度が高いことなんじゃないかなと思っている。「人と一緒に仕事をする」だったら、わかりやすい目的があるし、仕事の時間だけの付き合いでも良い(そうじゃない職場もあるだろうけど)。一方で、生活というのは、何が快適か/不快かは人によっても違うし、各々で感じているそれを、言語化して共有する人もいれば、しない人も多い。

そのなかで、自分も、同居人も快適に過ごせるようにしていかないといけない。何か気になることがあれば、なるべく話し合って確認するのがいいんだろうな。

たぶん、自分は人と暮らすのがとても苦手だったのだけど、いつか人と生活したいという思いもあって、それが大事なことだと思っていたから、大人になってから、少しずつ練習をさせてもらっているのかもしれない。

まだまだ未熟だし不器用だけど、これからも少しずつ、「人と暮らすこと」を上達させていけたらいいと思う。


たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。