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好きと無意識

書く欲が落ち着いてきたと書いたはずなのに、書き始めたら次が書きたくのるのが、人間の性とというものなんだろうか。

最近、緑黄色社会の「LITMUS」をエンドレスリピートするぐらいハマっている。
最初は、ドライブ中に聴く、耳障りのいい曲を求めて、メロディーラインが気に入ったためにプレイリストに入れた。
それから、何回か聴くうちに、メロディーがとてつもなく気に入り、リピートするようになった。
そして、ふと歌詞をしっかり知りたくなり調べたら、恥ずかしくて叫びたくなるほど、自分の感情にリンクしている気がしてたまらなくなった。

まぁ、想いを寄せいていた人と、「別れ」を決定的に伝えて別れた私は、曖昧な別れをしておけばよかったと思わなくもないわけで。
さらに、自分が離れる理由として、「嘘はついていない」けど「本当」のことを伝えたわけでもなく、自分が言える範囲だけ伝えるというある意味「秘密」を抱えたまま離れるという、なんとなく歌詞とリンクする部分があった。
それに気がついた時に、メロディーに惹かれて聴き込んでいた曲が、無意識のうちに歌詞の一部にも惹かれていて、自分の中にそんな感情があるということが、露わになった。
人間面白いもので、無意識の行動に、その時自分が一番欲しているものを求めて行動や好みの選択をしている気がする。
無意識下のちょっとした行動が、その人の本質を映し出すのと言われるのと似たようなものなのだろうか。

私の好みや沼にハマった作品を振り返ってみると、それはもう色濃く自分の核に触れる作品が多い気がする。
1つ前にワンピースにハマっているということを書いたが、やはりウダウダ期に自分の行動指針一本貫き通すルフィに憧れて、1000話以上のアニメを全て見ていると感じるし、高校2の冬から高3の春にかけて、自分が歩んでいた道をこれ以上進むことができなくなり、どうしたいのか葛藤していた時期に、当時放送されていた「空飛ぶ広報室」に強く惹かれたのも、空井大祐の生き様に感銘したからだと思う。
そこから有川ひろさんの作品を読み始め、「図書館戦争」にハマったのも、笠原郁が夢に向かって力強く歩んでいく姿に、自分も強く生きていきたいと思ったんだろう。
「Fantastic Beast」に惹かれたのも、変わり者と言われても自分の信じる道を進み続けるニュートに、勇気をもらったからだと思う。
全て後付けに過ぎないのかもしれないが、当時の好きなものにその時の願望や理想が詰められていると思う。
その好きになるものとの出会いは偶然で、無意識に選んでいるわけだが、面白いぐらいに自分の純粋な想いが詰められている。

「好き」を突き詰めると面白い。
「好き」に理由をつけられない時もあるし、もちろん感覚的な「好き」もあるが、それでも「何故」を繰り返していくうちに、何か本質と言えるようなものが見えてくることが面白い(本当に君はめんどくさい人間だよねと、心の中の誰かが言ってる笑)。
自分が何を大切にしてきたか、何を大切にしていきたいか、それが詰められたものが「好き」なのかもしれないと、ふと思えた。
言語化できるか感覚的なものなのかは、さまざまだが、「好き」は私が大切にしたい何かを集めたものなのかもしれない。

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