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私のドルチェ 〜音探しの旅

人の思いがけない一言に虚をつかれたことはないだろうか。
 
私は、あるコンサートに向けて練習を重ねている。先日、ピアノ伴奏者の自宅で初顔合わせをした。グランドピアノが置かれた部屋の壁には額に入ったコンクールの賞状が所狭しと掛けられている。合わせ練習を始め、曲の中盤にさしかかった頃、その一言は発せられた。
 
「ここはドルチェdolceよ。あなたのドルチェはずいぶん現実的réelね」
 
現実的。彼女の鋭い指摘に思わずはっとした。自覚がある。そのドルチェの箇所は演奏していて気持ちが良くなる場面なのだ。最初は緊張感のあるピアニッシモ(微弱音)をキープしていたのだが、途中から気が緩んで心地よくなり、鷹揚に流暢に鳴らしてしまった。
 
私の音がドルチェではなく、現実的であるとはどういうことだろうか。そもそもドルチェとは何だろう。どうしたらドルチェを実現できるのか。それ以来、私のドルチェ探しが始まった。
 
ドルチェdolceとは、イタリア語で「甘い、柔らかい音色で」という意味で、フランス語に訳すとdouxだ。味覚が甘いとか、触り心地が良いという場面でよく使われる。現実的と言われた私のドルチェを変えるために、具体的なイメージを持ったらどうだろうか。舌に乗せた柔らかく甘い食感が口一杯に広がる瞬間や、ビロードのような柔らかいものに触れるイメージを思い浮かべてみる。何か、現実離れした、夢見心地な感覚のことなのかもしれない。
 
仏仏辞典でdouxを引いてみた。先に挙げた味覚としての甘さや、触り心地の良さの他に、とても興味深い意味を発見した。「暴力的で不快な感覚を保持している状態」とある。最初の二つの意味とかけ離れたイメージだ。辞書では声を例に挙げている。優しく甘いが、その後の望ましくない出来事を予兆させるような声ということだろうか。そのまま読み進める。「静かで、繊細な」「極端なところがない、中庸の」と続く。ドルチェは一言では定義しがたい、極めて面白い表現だということに気づいた。

これをどう音に込めたらよいのか。改めて譜面をよく読んでみた。ドルチェの前は、激しい恋愛や人生の浮き沈みをおもわせる乱高下のようなフレーズから、少し落ち着きを取り戻し、そして例のドルチェに入る。それが終わると、テンポが変わり、ゆったりとした前向きな音に満ちていく。変化に富むこの流れの中でドルチェが重要な鍵を握っていることが分かった。こうして自主練習で試行錯誤を重ねた。
 
ピアノ伴奏者との2回目の練習日がやって来た。ドルチェの場面にさしかかる。愛する人の髪を撫でながら幸福に満たされる一方で、この幸福がいつまで続くのかと案ずる不安を音に込めた。演奏後、ドルチェについて、前回の指摘からずいぶん考えさせられたと伴奏者に言うと、彼女ははにかみながらこう答えた。
 
「私、ロマンチックな曲が好きなのよね。私にはフルートの音がロマンチックなものに聴こえてならないの。もしかしたら、昔お付き合いした人がフルーティストだったからかもしれない」
 
ロマンチック。幸せと不安が入り混じる感情を再現しようとした方向は間違っていないということか。彼女の指摘が、この曲への理解を深めてくれた。本番までにさらに表現を磨いてドルチェを進化させたい。人間の、矛盾をはらんだ心の奥底にある深い感情を音でもっと表現できるようになりたい。アマチュア音楽家の修行は続く。

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